130話 狂気にまみれた男
──レント──
「──あれか?」
ダークネスの転移門で移動した先、闇夜に包まれた閑静な住宅街にあるネライダ神殿長の住居の近く。
明かりも殆ど灯っていないその静まり返ったその邸宅を物陰から窺いながら、俺は誰に言うともなく呟く。
見た感じ敷地は広いものの、そこまで豪邸って感じじゃない。
ただ幾つかの家屋がある上、周囲を衛兵の恰好をした男達が灯りを持ち巡回を行っていた。
「ふむ……。この転移魔法というのは便利じゃな。セイの嬢ちゃんも、はよ覚えてくれんかのぅ」
「確かに」
椿玄斎さんの嬢ちゃん呼びに苦笑しつつ、その言葉に同意する。
潜入部隊のメンバーは、椿玄斎さん、ミア、そして俺の三人。それにソルさんを除く三柱の精霊達とフェルと呼ばれている聖獣フェンリルだ。
太陽の精霊であるソルは、結局ここに来ていない。ユイカと共に別件で動き出したからだ。
あの時、ユイカはソルと共に部屋に引っ込んだかと思うと、いきなり種族進化を果たし、しかも特異職にまで格上げして戻って来た。
それだけでも十分驚いたのに、並みならぬ決意の表情で戻って来たそのふたりは、セイから連絡があったと言った。
しかもその内容が予想以上に酷かった。
世界樹内部で起こっている事態の状況報告に、皆絶句してしまったのだ。
こちらの件も至急対応しなくてはならなくなったが、ユイカが精霊薬を持って一人で世界樹へと行くと言い張り、これまた俺と揉めに揉めた。
けど、現状選択肢がなかったからな。
結局押し負ける形で、ユイカに運搬を任せる事になってしまった。
しかしそれでも俺はユイカの心の傷の原因を知っているからか、ユイカ一人だけだとやっぱり心配だと主張を続け、エリックさんに言って何人か世界樹の方へと向かってもらう事にしたのだった。
ただ過保護過ぎるその発言のせいか、何だか仲間やエリックさん達から変な眼で見られてしまった気もしないでもない。
確かに最近掲示板とかで、シスコンだのロリコンだの女誑しだの不名誉な事を言われ始めているし、何とかならないのか、これ。
俺はただ心配なだけだぞ。家族と親友を心配して何が悪い?
事実誤認もあるし、全く風評被害にも程がある。
まあ、それはともかくとして。
だから今この場には、アイツの事情を知らない人間はいない。だから、椿玄斎さんも普通に言えばいいものを。
まあ普段から皆アイツを女扱いしているせいで、それが咄嗟に出てしまったというところか。
「アイツの事です。その辺はすぐ使えるようになると思いますよ」
「ふん。我の力をそう容易く会得出来ると思うなよ」
「また心にも無いことを言ってますね。このツンデレちゃんは」
「サ、サレス!? 変な茶々を入れるな! 大体お前も大概……」
「声が大きいです。二柱とも静かになさい」
「「……はい」」
背後から聞こえる精霊達のやり取りに、溜め息と共に額を押さえる。
俺達の会話に反応したダークネスが胸を張り、サレスが茶々を入れ、ダークネスがヒートアップして、それを見かねたシャインさんに二柱が怒られるというこの一連の流れが、なんだか定番化してきたぞ。
シャインさんが段々と引率の先生に見えてきたんだが……どうしてくれる?
「まあでも、音は問題ないですよ。既に私の結界の中です」
「闇を周囲にまとわり付かせている。奴等ごときには見えん筈だ」
「……二柱ともそれを先に言いなさい」
この騒動が終わったら、彼女達もアイツと契約する事になるだろうしな。
……。
今後苦労しそうだな。
契約止めとけと言うか?
「にゃははは。相変わらずにゃ」
「ミア。笑ってないで、とっととやるぞ。シャインさん、ネライダ神殿長が囚われている場所は、あれで間違いないですか?」
彼女達全員から呼び捨てにしてくれて構わないと言われているが、どうにもシャインさんだけはつい敬語になってしまうな。
やっぱりあれか? 精霊格の差か?
「はい、レントさん。ここに相違ありません」
「……これはネライダ殿の住居じゃの。監禁先は自宅じゃったか?」
「そうですね。この敷地の中央の屋敷の二階に無力化された状態で監禁されているのを確認しています」
顎髭を弄りながら確認を取ってきた椿玄斎さんの言葉に、シャインさんはそう答える。
「そこまで確認しておいて、救出を出来なかったのは何故です?」
「言い訳になってしまいますが、ネライダ殿の居場所が判明出来たのは、ユイカさんと会う直前だったのです。それに私とダークはそもそも荒事が苦手ですし、ソル様も今戦えません。それに隠密行動に長けているサレスでも、一柱ではフェル様の援護がなければ火力不足です。
よって、事が発覚してしまい、あの者達と正面からぶつかり合う事態になってしまいますと、ネライダ殿を五体満足で救出する事が不可能になります」
「ソルが今戦えない? どういう事ですか?」
桐生相手に戦って圧勝していたとユイカから聞いているんだが、どういう事だ?
「ソル様は非常に強大な力を持っておられますが、その分幾つかの制限が掛けられているのです。その一つに『太陽の光を浴びないと力の大半を失う』という制限があります。これはル……今はカグヤ様でしたか? あの方も同様です。
御子様との契約が終了していましたら、また少し状況が変わっていたのですが、今は無い物ねだりしても仕方ありませんし」
力の制限? カグヤもなのか?
そんなの初めて聞いたぞ。あいつそんな事一言も……。
「そんな重要な案件、俺達なんかに喋ってしまって大丈夫ですか?」
「皆さんはセイ様や精霊と共に在り、そして多くの信頼を得てきている方々ですので、この程度ならなんの問題もないでしょう。ただ今後色々知ったとしても、他言無用でお願いします」
「分かりました」
「うむ」
「とりあえず何も聞かなかった事にするにゃよ」
みんな頷く。
太陽と月、か。
やはり相関関係もあるんだろうな。
とりあえず御子であるセイと契約をしなければ、多くの制限が掛かるという認識でいいだろう。
「……じゃ話を戻すぞ。
椿玄斎さん。あの男達のプレートは何色です?」
「赤じゃ。すべからくな」
「やはり……。帰る時は手加減無用だな」
「赤確認で、即ブスリと背後から闇討ちするのがいいにゃね」
「くっくっく。仕置き人みたいじゃな。腕が鳴るわ」
俺の看破のレベルはまだ低い。
看破のスキルを高レベルで持っている椿玄斎さんに確認してもらい、外にいる奴ら全員が討伐対象なのを確認する。
室内にいる奴までは分からないが、恐らく同じだろうしな。無理矢理働かされている使用人にさえ気を付けていれば、恐らく大丈夫だろう。
ミアもかなり高いらしいから、二人の指示に従えば問題ない。
「しかしあのネライダの奴が拘束されとるか……。よっぽどの手練れがいると思った方が良いじゃろうな」
「はにゃ? じっちゃん、もしかして知り合いかにゃ?」
「うむ。昔ここを訪れた際に知り合っての。これがまたかなりの武芸者でな。昼夜問わず、お互い拳で語り合ったものじゃ」
……あれ? 耳がおかしくなったかな?
今なんだか訳の分からない説明があったぞ?
「椿玄斎さんと殴り合い……ですか? その人この里の長老で神官だよな? 魔法系の職じゃないのですか?」
「確かに奴は千年以上生きとる死に損ないのクソ爺じゃよ。じゃが、なんせ上位種と呼ばれるエルフじゃからな。見た目はまだ若く普通のおっさんに見えるぞい」
千年以上!?
随分長生きだな、おい!?
「実力の程は長命故とんでもないぞ。ほれ、例の邪霊戦役。あの戦場の前線に何度も立ち続け、そして生き延びてきたそうじゃからな。
例えるなら……回復魔法が使えてしまった武闘家と思った方がいいじゃろうて。そこらの雑兵程度なんぞ、軽く瞬殺じゃろ」
「どこの化け物ですか、それ」
「うにゃあ……全く想像出来にゃいにゃあ」
「というわけで、百聞は一見に如かずじゃよ」
「しかし椿玄斎さん。えらく詳しいですね?」
「ま、今やあの爺とはお茶と拳を交わす友人じゃからな。それに昔の武勇伝をあれこれ聞かされていたからの。ほれ、年寄りは昔話が大好きじゃから……」
そう口にした椿玄斎さんは少し寂し気に、これから襲撃をかける家の方へと視点を移した。
「でも、流石に年月が奴を衰えさせたのじゃろうな。やはり寄る年波にゃ勝てんか。前回はこの地を離れられんかったせいで、遠く離れた異国の地での戦乱に参加出来ず、ドラ息子と嫁の最後を看取れなかったと言っておったし……」
「じっちゃん?」
「──っと、すまぬの。ちょっと湿っぽくなったわい。さて、悪人なんぞに腑抜けにされたあの爺に活でも入れに行こうかの」
押し黙ってしまった俺達を鼓舞するかのように、明るく宣言したのだった。
ネライダ神殿長が囚われている部屋は予め分かっているし、三柱の精霊達の援護によって巡回している犯罪者どもをやり過ごすのは容易い。
あまりに簡単過ぎて、これでいいのかと思ってしまうほどだ。
しかし問題は脱出の時。
流石に奴らにバレるだろうと予測を立てている。
最終監視役は当然の事ながらプレイヤー自身が行っているだろうし、ここを取り仕切っている幹部級の奴らが待機しているに決まっている。
うまく処理出来なければ応援を呼ばれたり、またやり過ぎて死に戻りでもされてしまえば、その時点で間違いなく情報が回るだろう。
こういう組織的な犯罪の場合、少なくともそういった対策は建てられていると見るべきだった。
今までの情報を整理するに、桐生のような若年PKプレイヤーが作ったレベルの闇クランが、これだけの事件を単独で起こせるはずがない。
つまり必ずバックに巨大な組織がいる。
セイやユイカ、ティリルにはまだ話していないが、アーサーさん達とはこの世界の犯罪組織について既に話し合っていた。
この世界の犯罪組織は数あれど、それらは全てとある組織の子や孫組織だ。
そう、その組織の単なる手足に過ぎない。全ては一つに繋がっている。
その組織の名は【死方屍維】という。
この世界最大の犯罪組織で、闇ギルドの設立団体もこの組織だ。
PKプレイヤー達は最終的に皆ここに合流する事になるだろうと、アーサーさん達からそう説明を受けた時点で、いつか【死方屍維】と正面切って対峙する事になるだろうと予測はしていた。
まさかこれほど早く遭遇し、敵対することになるとは思わなかったが。
今回のこの事件。
恐らく世界樹神殿に向かったアーサーさん達も、この件について恐らく同じ結論に達しているだろうな。
出来るだけセイ達三人をこの件から遠さげたかったんだが、このままじゃ間違いなく彼らの知るところとなってしまう。
当然知ってしまえば、セイの奴が確実に首を突っ込んでくるのは目に見えている。
もちろんアイツと一生を添い遂げると公言して憚らないユイカや、最近吹っ切れたティリルも同様だな。
だからこそ、関わらせたくなかったのだが……。
もはやそうもいってられない状況だ。
無知識で奴らに突っ込んでいかれるよりは、きちんと説明した方が良さそうか?
そこら辺はアーサーさんと相談だな。
取りあえずは、まず目の前の事に集中する。
まあ実際やる事は、至極単純だ。
あちこちに立っている見張りや巡回をしているならず者達の位置を把握しておくだけ。そいつらの始末は、もちろん救出後にする。
この世界の犯罪者は人権が剥奪されているからな。そこらの魔物と同じ扱いだ。
ギルドに名前似顔絵付きで普通に公表され、刑罰に応じた懸賞金が掛けられて討伐対象に設定されている。
だからこそ、誤認討伐だけは気を付けないといけないんだが……。
その時、いきなり破壊音と怒声、そして悲鳴が響き渡り、俺達は互いに顔を見合せた。
すぐにその現場へと急ぐ。
「──プレートが見えない奴がいるにゃね。ま、赤確定にゃんだけど」
問題の部屋に辿り着き、代表してその開いていた扉の隙間から恐々と覗き込んだミア。
その言葉に、俺達は顔を見合わせた。
プレート自体が見えない?
そんな奴がいるのか?
まさか【死方屍維】の幹部クラスか!?
でもこの声は……?
「猫の嬢ちゃんが見えん奴がいるのかの?」
「じっちゃんは見えるかにゃ?」
「──ふむ……確かに。プレート自体見えんの。どうなっちょる?」
そんな事あるのか?
場所を変わってもらい、俺も覗き込む。
本来客と歓談する場所なのだろう、豪華な絨毯が敷き詰められ、革張りのソファーが並んでいるこの応接室。そんな場所で発生した惨状を目にしてしまい、すぐに見たのを後悔する。
その絨毯の上に倒れ伏す一人の女性。
元々この屋敷のメイドだったのか、ロングドレスタイプの女給服を着たそのエルフの女性から流れ出る血潮が、床に敷かれている絨毯を赤く濡らしていく。
「──何でだよ、何でなんだよ? 何で今頃バレるんだよ!?
しかも最高額の賞金首? この俺が?
ハハハ……お前か? お前がバラしたんだろう!? 絶対そうだ! 今や俺のメイドの癖に、せっかく俺の奴隷にしてやったのに、主人を売りやがって!」
その近くには一人の犬系獣人が抜き身の剣を持ち、大きく息をついていたが、急にブツブツと怨嗟の声を吐き出しながら、剣を何度も突き立て始めた。
その衝撃に女性の身体が揺れはするが、もはやピクリとも動かない。
完全に息絶えてしまっているようだ。
もちろんコイツがユイカが会議で報告していたキエル……!
「あの野郎!! なに下衆なこっ!?」
思わず前に出ようとしたところを、椿玄斎さんの腕に遮られる。
「なっ、何で止め……!?」
「馬鹿もん。早く怒気を抑えんか。感知されたらどうする。
……気持ちは分かるが、行くでない。騒ぎになるぞい。わしらの第一目的は何じゃ? 見知らぬあの娘の仇を取る事かの?」
「くっ」
「ねぇ……。あいつ、頭逝っちゃってない?」
衝撃的だったのか、ミアはいつもの猫語を忘れて問いかけてきた。
「──あれが邪悪なる祝福を完全に受け入れ、身を任せた奴の末路だ。よく肝に銘じておくが良い」
女給服の女性に対して憐憫の眼差しを送るダークネスが、男の行為に不快感を隠そうともせず吐き捨てる。
「とても強い祝福の力を感じます。恐らく邪霊の使徒ですね。私も名が見通せません。下手をすれば、寵愛レベルを得ている可能性が……」
「自我がしっかりと確立していない年端もいかぬ子供、つまり大体十までの歳の頃からネフィリムに誘われ堕ちてしまった場合、このように性格が歪み精神異常を起こす事がある……そう聞いた事があるの」
「じっちゃん、じっちゃん。これ、最低でも十五にならないと出来ないにゃよ?」
「──あ。いや……まあ、そうなんじゃがな……。
うむ、確かに変じゃの。何がどうなっておる? どう見ても、妙に歪み過ぎておるのじゃが……」
「そもそもネフィリム云々はこっちの世界の話だろう。元々歪んでいたんじゃないか?」
「変なクスリでもやってんにゃないかにゃ?」
「……あれかの? 怪我しておったのなら、飲んでおるじゃろうし」
「そんなのはどうでもいいでしょう。考えるだけ無駄です。このゴミ屑が単に精神がまだ幼稚だったと仮定したら、辻褄が合うんです。それなら何もおかしい事はありません」
サレスの酷評はどうかとは思ったが、考えても無駄なのは賛成だ。
俺は被害者の女性を見ないようにして、こちらの奴の顔を覚えようと、もう一度覗き込む。
「コイツがあの桐生……か? 確かに言われてみればその面影があるんだが、こんな奴だったかな? 豹変し過ぎだ」
しかしユイカの奴。
よくこいつを見て、すぐ桐生と分かったな。
多分俺だと誰かに教えて貰わなければ、普通に街ですれ違ったとしても、多分気付けないぞ。
それくらい最後にこいつを見た時と今とじゃ、人相だけでなく纏っている雰囲気までもが違う。
コイツの代名詞である自己中心主義の発言は、何も変わってないんだが。
「でもまさか……このゴミ屑とセイ様が顔見知りだとは思いませんでした。しかもユイカさんの話では、血で血を洗うレベルの敵対関係とか……。
──しかし異界人で良かったです。何度も繰り返し地獄に叩き落とせますから」
「コイツ他に何したんだ?」
さっきから恨みの籠ったキツい発言だらけのサレスに、つい思わず聞き返す。
確かにコイツは今刃物を振り回して人を殺めたし、世界を支える精霊の一柱として、目の前の惨状を赦しがたいのは分かるんだが……。
「今分かっているだけで、村一つの住民全員とその周囲の精霊達全てを皆殺しにし、今のような殺人もいとわず、そしてプレシニア王国内のあちこちで要人の暗殺なども行っていた極悪人です。
事実〔不可視の覆面〕という認識隠蔽装備を用いて、過去にこの里の巫女の一家を惨殺した疑いもあります。巫女のフェーヤはギリギリの所で間一髪〔勇ある者〕に助けられたそうですが、その時の背格好があの男にそっくりだそうです。
そうした理由で、女王様の名の下に、奴を第一級討伐認定をするようにと指示されています」
一瞬シャインさんのその宣告の意味が理解出来なかった。
「「なっ!?」」
俺達は唖然とし、その言葉の意味に戦慄する。
コイツ何て事してやがる。PKどころか、普通に大量殺人者じゃないか。
しかも精霊までとか、あり得んぞ。
脳裏にさっき神殿へと向かったばかりのフェーヤの顔が浮かぶ。
よくもまあ、あんな子を……こんな俺達と何の変わりもない感情を見せるこの世界の住人を、そこまで……。
「やっぱり完全に頭の中ぶっ飛んでるにゃね。確かユイカはリアルの同級生だって言っ……」
「元、だ。二度と間違えないでくれ」
「……ごめんにゃ」
苦虫を噛み潰したような表情をしている俺を見たミアは、申し訳なさそうな顔をして謝ってきた。
「いや、いいんだ……。
はぁ、もう関わりたくないんだがな」
本気でもう二度と会いたくないと思わせた奴なんだよ、コイツは。
学園祭で桐生の本当の性根を知ってから、約二年半。常に苦労させられた記憶しかない。
それは俺達だけじゃない。
大勢の生徒達、特に女子からの苦情が大量に上がっていたそうだ。
凄まじく自分本位で、しかも勝手に自分の都合のいいように勘違いして暴走する問題児だったからな。
詳細は省くが、三年に進級してからしばらくした後、生徒達から直談判という署名を集めてきた先生から進言があったとして、学園の理事長である紬姫さんから、学生目線で詳しい実情と調査をお願いしたいと、俺に極秘の依頼が来た事がある。
もちろん彼女の息子である理玖や、アイツにベッタリの結衣にも内緒で。
仕事に関しては、公明正大を信条として、例え自分の息子相手でも、学園内では決して特別扱いをしなかった紬姫さん。
それにあの事件の弟と知りながらも、教育の現場は私的感情とは別だとして、桐生の奴に学園への入学を許可していたくらいのきっちりとした女性なんだよ。
そんな彼女が他の学生への素行の悪さを理由に、理事長権限を発動して桐生の高等部進学を拒否したくらいだから、あの馬鹿の常識と協調性の無さは筋金入りだ。
その結末のやり取りをこっそり俺だけに教えてくれた理玖の小母さんは、残り卒業までの間、それとなく息子を守って欲しいとお願いしてきた。
詳しく聞いてみれば、どうも桐生の奴は、その学園の判決を不服として反論してきたそうだ。
自分の悪さを棚に上げまくって良いように解釈した挙句、自分を嫉妬する輩に嵌められたんだと言い張り、弁護士が出てくる騒ぎとなってしまった。
当然両者は平行線で、かなり長い間揉めたらしい。そこで役に立ったのが、俺が調べた音声データや画像だったと言うわけだ。
そんな反省の欠片もなく、かつて自分と揉めた相手の名前を列挙し、特に目の前にその親がいるとも理解出来ずに、理玖をこけ下ろしし続ける彼の姿を見て、紬姫さんは息子に逆恨みして危害を加えようとしてくるんじゃないかと心配で堪らなくなったのが、この依頼の理由だったようだ。
それがだいたい半年前。
やたらと結衣や神城に付きまとい出したのも、丁度この頃だな。
よくは分からないが、本人にとっては報復行動のつもりだったようだ。
理玖の傍には殆ど俺がいたし、手出し出来なかったのだろうな。
それでいて、弱い女性へと恨みの標的を切り替えるとか、男の風上にも置けない奴だった。
もちろんこちらも全て音声録音込みで紬姫さんに報告したし、弁護士への更なる追撃材料として貰ったが。
根本的に頭が悪いんだよ、コイツ。
ただ……今回のコレは異常だ。
リアルにおいてもこの精神状態なら、間違いなく生活に支障が出ている筈。精神病院にすぐにぶち込まれるレベルだぞ。
確かに昔から変ではあったんだが、ここまでの嗜虐性はなかった筈なんだがな。
一体リアルやこの世界で何があったんだか。
「──で、どうする? ここで雁首合わせていても埒があかないぞ。とっとと刎ねて殺るか?」
子犬サイズのフェルが右前足でキエルを差し、ジャキッと鋭い爪を伸ばしながら、方針を確認してくる。
「そうですね。じゃフェル様、サクッと殺っちゃって……」
「待ちなさい、サレス。やるなら救出して人を集めてからです」
「……シャイン。また止めるのですか?」
「サレス。貴女がユーネとその一味を憎む気持ちは分かりますが、今は戦力不十分です。この男の格にもよりますし、寵愛を受けているかどうかで変わります。下調べも何も出来てないのですよ。もし不意討ちが通じなければ、間違いなくこちらが不利です。そんなリスクを取る事は出来ません。ツバキ老のおっしゃる通り、ここは任務を優先すべきかと……」
「理屈で押し切られるのは、もうたくさんですよ」
「サレス!」
「……けど、また倒せず逃げられてしまう事態となれば、確かにもっと困ります。しかもそれで調子に乗られた結果がこれです。
──仕方ありません。セイ様がおられる時に応援を頼む事にして、その時こそ確実に仕留めましょう」
プイッと横を向きながら続けてそう返したサレスに、全員がほっと胸をなで下ろす。
コイツをこの場に放置していくのは、ちょっとマズい気もしないでもないが、俺達もやる事はたくさんある。
この救出作戦をとっとと終わらせて、世界樹に向かったユイカの援護に向かうとしよう。
「この結界もそれほど持ちません。この先です。急ぎましょう」
「帰りはどうするのじゃ?」
「……当然、無視して撤退です。見付かったら、事が事です。可能な限り戦闘を避けましょう」
「了解した」
そのシャインの言葉に、俺達は奴に背を向ける。
「──なんだ、この連絡?
……ああ、ダムドのおっさんから召集命令かよ。何でこのタイミングに? 面倒だけど、しゃーないか。ユーネちゃんもちゃんと来るんだろうな?」
しばらくして背後から聞こえてきたやたらと大きな独り言に、俺は振り返る。
何かよく分からない玉を取り出したキエルがそれを壁に叩き付けると、そこにどす黒い穴が拡がっていく。
その穴へと臆せず歩を進めたキエルは、その穴の向こう側へと消え去り、そして穴も閉じていった。
「消えた!?」
「あれは……転移の宝玉じゃの。【死方屍維】が開発したあやつらしか使えないアイテムじゃが……」
俺の驚きに、椿玄斎さんが説明してくれる。
「我の眷属精霊を捕らえて邪精霊に無理矢理変化させ、その力を簒奪したモノだ。本当に好き放題やってくれる」
ダークの苦々しく吐き捨てる声を聞き、あの精霊関係の物かと認識する。
精霊の御子となったセイが今後奴らと対峙する事になるのは確実で、それは避けられない確定した未来だ。
同じように【死方屍維】を敵対組織と設定し、戦争体制を整え始めている【円卓】との連携は必須となるだろうな。
「──しかし、ユーネ=サイジアか。久しい名じゃ。あの幽鬼未だ健在か……厄介じゃの」
「じっちゃん?」
「何でもないぞよ。さて、行くとしようかの」
「ああ、行くぞ」
ユーネ=サイジア。
それが奴らの首謀者の名前か?
椿玄斎さんが思わず洩らしたその名を、深く心に刻みながら、俺達は更に奥へと進んで行った。