129話 仙狐の力
128話での一文の『ティアちゃんから聞いた』を、その前話との整合性を取る為に『サレスさんから聞いた』に変更しています。
この時ティアちゃんは世界樹の中ですし、聞くのは無理っす。
──ユイカ──
「──ユイカ。そろそろ準備出来そう?」
「うん。そろそろ必要な魔力が貯まると思う」
高くそびえるヘドロの腐ったような色合いをした邪気の壁を前にして、声を掛けてきたソルちゃんにあたしは返事を返した。
見ているだけで嫌悪感をもたらすほどの濃度。渦巻きながら揺蕩い続けるこの邪気はあまりにも濃く、壁の向こう側の景色がまるで見えない。
生けとし生ける存在を拒むかのようなこの壁は、別に物理的にも魔法的にも何かを防ぐような……不可侵の障壁とかバリアみたいな存在ではないの。
普通に前に歩いていって、向こう側に行こうと思えば行ける。ただし足を踏み入れるなら、人生の終わりを覚悟しなければならないけどね。
そう、この先は生ある者の心を蝕み、魂までを侵食する空間となってしまっている。
そんな場所に無対策で足を踏み入れる訳にはいかない。
実際邪気に触れた場所のプランターの草花とかは、見るも無惨な様相で枯れ果てている。
この邪気の壁の厚みはどれくらいあるのだろう?
神殿内部にまで邪気が広がっていないことを祈りつつ、この邪気の中を潜り抜けてセイ君がいる場所に辿り着けるだけの力を得るために、あたしは宿屋にいる時から周囲の魔力をひたすら吸収し、体内で練り上げ続けていた。
こうしている間にも、この邪気の壁は少しずつ大きくなっているみたい。
本当はすぐにでも突入してセイ君の元へとすっ飛んで行きたくて気ばかりが焦っちゃってるけど、あたしがちゃんと生きてセイ君の所まで辿り着けなきゃ意味がないからね。
仙狐としての能力の把握も含め、準備は入念に行っていた。
それに……。
「──ソル様。ユイカ様。一般住民の避難誘導が全て完了致しました!」
こちらに駆け寄ってきた一人の神殿騎士と見られる男性が、あたし達に敬礼し、そう報告を行ってきた。
「ご苦労なのだ」
四つ足で立つ白虎さんの背に腰かけたままのソルちゃんが彼の報告に頷き、そして労う。
「被害状況の変化は?」
「はい。今入った情報として、住民の避難時に邪気中毒の症状を訴えた者が五名いたとの追加報告あり。いずれも軽症。かの者達の命には影響なし。現在治療中で、治療に当たっている神官によると、直ぐに回復可能との事です。
邪気の嵐に巻き込まれて死亡した者は、依然として、一般住民四十九名、神殿関係者十名、警備兵三十四名。計九十三名変わりなし。重篤者八十二名。軽症者二百七名。現在このように推移しています」
「……了解したのだ」
本当に最低最悪な事件だよ。腹立たしい。
夕方の一番人が多い時間帯に、里の中央区画を直撃した今回の事件。だけど、規模の割には被害がまだ少ないらしい。
咄嗟に対応出来たのか、兆候があったのか。
いずれにしても、これ以上被害が出て欲しくない。
「ありがとうございます。あたしはこれから突入します。あなた方も安全な位置まで下がっていて貰えませんか?
それにこの邪気の壁が完全に消えるまで、大きく距離を取り、誰も近寄らせないようにして下さい。この後も何が起こるか分かりませんから」
つい、口を挟む。
「はい了解しました。ご配慮ありがたく思います。全兵に徹底させます。
では、お気をつけて。ご武運を。貴女様に大いなる精霊の御加護があらん事を」
あたしのお願いに、彼は仰々しいまでの最上級敬礼を行い、そして離れた仲間達の元へと下がっていった。
今報告に来ていたこの青年騎士は、見た目まだ若かった。
しかし立派な鎧を身に纏い、この事変の陣頭指揮を取っていることから、かなり高い地位にいることが分かる。
異変に気付いて続々と駆け付けてくる神官や兵士達に事象の説明及び指示を矢継ぎ早に出し、この周辺で暮らす一般の住民に避難勧告、そして里の警備に穴が出来ないよう人員の振り分けを行っていたからね。
そんな彼がソルちゃんだけでなく、あたしにまで終始緊張した様子で畏まってくることに、どこか違和感と居心地の悪さを感じてしまう。
ソルちゃん相手になら分かるよ。だって、太陽を司る上級精霊だもの。
なんでそんなエルフの偉いさんがあたしみたいな小娘にまで、畏まって最上級敬礼してくるのよ。
今日この里に来た時は、誰もそんな素振り誰も見せなかった癖に。
やっぱりあれかな? ソルちゃんと一緒にいて普通に会話しているせいで、彼女の使徒だとバレてるんだろうか?
それともあたしの種族、つまり狐族の中でも最上級支配階位に位置する霊狐族だからかな?
まあ普通に考えれば、霊狐族と多尾族の見た目の違いは同族以外には普通分からないだろうし、階位なんて獣人種の中でしか通じない話だからね。
精霊を第一主君とするエルフ族ならではの発想で、あたしを太陽精の使徒と判断したからなんだろう。
それに狐族……それも多尾族や霊狐族は、魔力を多くその身に保有する関係で、エルフと同じようにいつまでも若く、それでいて長命種でもあるから、外見通りの年齢に見られていないかもしれない。
うん、今ならセイ君の気持ちがよく分かる。
どう見ても地位の高そうな偉いさんにこうも畏まれてしまうと、確かにちょっと落ち着かないや。
あたしのお願いを受けて、ここに集まってきていた大勢のエルフ達は随分後方まで下がっていった。
あたしは彼らに背を向けてはいるけど、こちらの方を心配そうな様子で窺っているのが、獣人種の超感覚が伝えてくる。
いや、あたし達だけじゃなく、世界樹の中にいる仲間達のことも案じているんだろうなぁ。
そう感傷的になりつつも、これから予想される事象を一つ一つ考えている時、傍でずっと状況の推移を見ていたエリックさんがこちらに問い掛けてきた。
「その……この結界の邪気を吹き散らして消滅してくれさえすれば、俺達が代わりに届けますよ?」
「……エリックさん。この邪気の層はここだけじゃないかもしれないんですよ? この先にも広がっていた場合、誰が処理するんです?」
「それは……」
あたしの指摘に口ごもるエリックさん。
「それにこんな濃度の邪気をその身に浴びてしまった場合、本来まだ耐性が高いはずの普人種や獣人種でも侵食されずに済むかどうか不明です」
というより、絶対負けるだろうね。断言してあげる。
エリックさんが闘気を使いこなしているのを見たことないし、よしんば闘気を使えて邪気の侵食を拒めたとしても、邪気に長期間晒され続けて新鮮な魔力を全く得られなければ、今度は生命活動に影響が出始めて、徐々に衰弱し死に至ってしまう。
魔法使いは経験あるんじゃないかな。
ほら、魔力を使い過ぎると、頭痛をはじめ身体が不調になり、そして枯渇しそうになった瞬間、自己防衛機能が働いて昏睡してしまうから。
そんな情報を知っていれば、こんな台詞は出てこないんだよね。
きっと今まで何とかなってきたせいか、邪気をあまりにも甘く見過ぎているんだろう。
それに『吹き散らす』とか、何とんでもないこと言ってるのよ。
周りに被害出ちゃうじゃないの。せめてこの場で浄化か無力化処理すると言って欲しい。
まあ酷評するようでエリックさんには悪いんだけど、そんな力この人は持ってなさそうだし、これ以上は言わないけど。
そもそも邪気の正体は、変質したマナ。
つまり負の感情に穢されたこの星の命の波動だ。
そしてこのマナというのは、この星の生物が生命を支える為に摂取し続けないといけない、重要なエネルギーの一つでもあるんだ。
それに魔法を発現させる燃料でもあるから、便宜上それを魔力と呼んでいるに過ぎない。
そしてその呼び名が定着し過ぎたせいで、正式名が忘れ去られた、と。
本来はこのエネルギーを星気と呼ぶそうだ。
そんな星の生命エネルギーである星気が穢れてしまったのが、今問題になっている邪気。
これらは生命ある存在がいれば、必ず発生してしまう存在だ。
そして、それに対処するために世界樹が各地に存在している。
色々途中の詳しい説明は省くけど、物質化する程凝り固まった邪気から産まれた邪性生物を倒して、見た目的に邪気が消滅しているように見えても、実は影響力を一時的に失っているだけに過ぎないの。
やっぱりどこかできちんと手順を踏んで浄化し、元の星気へと戻さないと、根本的に解決しないモノなんだ。
仙狐としての力に目覚めたあたしでも出来なくはないけど、効率が悪く流石に時間がかかり過ぎるから、結局は自然が持つ浄化能力を強化する力を持つセイ君や、世界の星命エネルギーを循環する役目を持つ世界樹に頼むしかない。
「悔しいけど、今のソルじゃこれ以上は進めない。ユイカ、後は頼むのだ」
ソルちゃんが心底悔しそうに言う。
これが昼間だったら……。
それとももっと早くセイ君と出会っていて、既に契約を結べていたら……。
たらればを言っても仕方がないけど、本当にそうだったらもっと楽だったのに。
「うん、大丈夫。後は任せてよ」
内心沸き上がる不安を押し殺しながら、敢えて明るく返す。
暗い表情をしていたらみんな心配するし、やっぱり駄目とか、付いていくとか、エリックさん達が再度言い出すに決まっているからね。
うちのお兄ちゃんに強く言われたせいで、ここまで付いて来ることになった彼らにこんなこと言いたくないんだけど、正直言ってここまで何の役にも立ってない。
しかも神殿長の救出作戦の後詰めに参加していた方がマシまである。
ホントお兄ちゃんってば、過保護過ぎる。
あたしだって変わるために頑張ってるんだから、少しは口を出さずに見守っていて欲しいよ。
「じゃ、白虎さん。ソルちゃんを頼むね。朱雀さんも何かあったら、お兄達の方へ報告をお願い」
「グルッ」
「ぴぴぃ」
二柱の返事を受けて、あたしは邪気の壁の方へと向き直る。
「さて、と……。行くよ! みんな離れて!」
声を張り上げる。
全員があたしから大きく距離を取るのを確認し、練り上げていた内なる力を解放する。
「三尾解放!」
四尾あるうちの三つに溜め込んでいた魔力が解放され、あたしの身体から濃密な魔力が溢れ出す。
遠距離魔法特化型の〔仙狐〕であるあたしは、星気を自由自在にこの身に吸収し、魔力として練り上げ、意のままに操るすべを得た。
これは星気を吸収して己の闘気に変換し、それを操って肉体を強化し、意のままに操作して戦う近距離武闘特化型の〔気狐〕と正反対の職だね。
けど操る力が魔力なのか、闘気なのか。
遠距離魔法戦か、近距離肉弾戦か。
ただ、それだけの違いなの。
戦闘スタイルはともかくとして、自分自身の身体能力の上げ方は、双方とも酷似している。
あたしがこれから行う方法のヒントは、セイ君が教えてくれた魔法のイメージの仕方。そしてお兄ちゃんが編み出した戦闘形態の合わせ技だ。
「展開! 『シャイニング・レイ』多重起動!」
ついさっき魔導書で覚えたばかりの新しい光の上級元素魔法。
金狐の称号の効果か、はたまたソルちゃんの使徒としての力か。
その名に恥じぬだけの、光の力に対する強大な補正があたしに発生している。
あたしの身から噴き出した膨大な魔力を受け、急速にチャージされた『シャイニング・レイ』の魔法陣、その数、実に数十個。
それらがすぐに臨界に達する。
「収束!」
上空で発現した魔法陣から、あたしに向かって降り注ぐ聖なる光の光線。
それらはあたしのイメージ通りの軌道を描き、天に向かって突き出したあたしの右手のひらへと殺到する。
この星の星命エネルギーである星気を光の属性の魔力へと変換してその身に受け、それを自身の力として再び吸収して取り込んでいく。
そして全身へと光の魔力を巡らせて、全身鎧のような姿へと変化させた光を纏った。
離れた所でこちらを見ていた者達のどよめきが、あたしの耳朶を打つ。
正直こんな面倒なことをせずに、光の障壁を展開すればいいと考える人も多いかと思うけど、それとこれじゃ意味が全く違う。
そもそも光の障壁だと、身体の周囲に張り巡らせる防御の形でしかない。
あたしの意思一つで自由に形を変え、小出しに使用して剣や槍のような形状に作り替え、攻撃にも転用したりといった使い方も出来ない。
そう、応用力が全く違うんだ。
それにね。
あの日あの坑道で見たこの魔法『シャイニング・レイ』。障壁の魔法よりも、マーリンさんが派手に使用したこの魔法を早く覚えくて、ウズウズしていたんだよね。
うん。やっぱこの魔法いいな。
夕方見たソルちゃんの技にも酷似しているし、何より守ってばかりの魔法なんてあたしの性に合わないもの。
やっぱり何事も自分から攻めて、自分の信じる未来を掴み取らなきゃ。
「──じゃ、行ってくるね!」
「頼んだのだ」
離れてこちらを見守っていたソルちゃんへと手を振る。
同じように手を振るソルちゃんの励ましの声に見送られ、見守る皆に悟られないよう、あたしは邪気の渦の中へと恐々と足を踏み出す。
魔力を吸収し操るその特性上、実は霊狐族もある意味で邪気に対して非常に弱い。
いや魔法使いのように、星気を多く取り込む能力を持つ者は、全員弱いと言った方がいいのかな。
それに闘気を使う者達も、これは例外じゃない。
全く星気を摂取しないでいいという訳にもいかないから。
ただあたしの種族である狐族は、精霊やエルフ族をはじめ、他の種族と全く違う点が一つある。
それは魔力や闘気の特殊な扱いに長けているということ。
特に狐族の最上位である霊狐族は、魔力の吸収や拒絶を完全に自分の意思で自由にコントロール出来る上、生命の維持に必要な魔力を複数ある尻尾に貯蓄していくことで、全く星気を取り込まなくても、長期間生命活動を存続させられる点にある。
そう、霊狐族の尻尾は、スキューバダイビングに使用する酸素ボンベみたいな役割もあるのだ。
変質した邪気、すなわち穢れた星命エネルギーを、全身を包むこの光のオーラがきっちりはじき返していることを確認すると、大きく息を付いて安堵した。
本当はわざわざ光を纏わなくても、身体のいたるところにある点穴──すなわち星気や魔力の取り込み口を閉じれば良かった。
けど、こんなことするのは何分初めてのことだし、安全マージンをしっかり確保することにしたの。
また、周りの人達の不安を和らげるための力の顕示の意味合いもあった。
それに大丈夫と頭では分かっていても、実際こうして大丈夫なのを確認するまでは、ちょっぴり怖かったのよね。
「セイ君、待ってて。今助けに行くから!」
目を凝らし前方の進行方向を認識すると、あたしは足の裏に魔力を集中させ、それを弾けさせるように加速を行いながら、セイ君が待つだろう世界樹神殿を目指し、階段を駆け上がっていった。
これでユイカパートは終了です。
次はセイちゃん……の前にあの話です?