126話 相対する者
──ユイカ──
お兄ちゃんやみんなに内緒でこっそりと宿を抜け出した後、里の裏通りを選びながら、この里のマップを埋めていく。
どうしてそんなことをしているのかと言うとね。地形把握の意味合いもあるんだけど、セイ君の為でもあるんです。
セイ君が欲しがりそうな食材や小物を扱っている店を、こうして前もって把握しておこうと思ったわけで。
冒険者ギルドに行けば地図を買えるし、もちろんついさっき購入したんだけど、この地図では大規模有名商店や公共施設しか記入されていない。
それ以外の個人商店やあたし達みたいなプレイヤーズオーナー店は、自分の足や口コミで探すのが鉄則なんです。
もちろん怪しい所や危なそうな場所を探すのも忘れていない。
寂れた場所、歓楽街、スラム街……はこの里にはないみたいだけど。そういった衛兵の目が届きにくそうな場所を重点的に移動していた。
これが元のあたし達が暮らす世界だと、こんなところを一人でウロウロするなんてこと、とてもじゃないけど出来ない。
けど、この世界ならあたしは力を持っている。大抵のことは切り抜けられる。
少なくとも逃げることくらいは出来るはず。
それにね。
「──白虎さん、いざという時は協力お願いね」
何も見えない虚空に、妙に意識が引っ掛かる場所へと振り向いて声をかける。
傍目からは相当間抜けな絵面だけど、ややあって「……グルッ?」と返ってくる唸り声。
その声が「何でバレた?」と言っているような唸り声に聞こえて、あたしは思わず笑ってしまう。
そりゃ過保護なセイ君のことだもん。
姿を消した状態でそれとなくあたしの傍にいて欲しいと、白虎さんにお願いしたんだろうと思っていたけど、やっぱりビンゴだね。
多分近くの屋根辺りに、こっちを見張る朱雀さんもいるんだろう。
あ、呼び方なんだけど。
虎さんから白虎さん、鳥さんから朱雀さんへと、あのイベント後に変えてます。
本人は否定していたけど、絶対に五獣というか、四聖獣プラス麒麟になるに決まってるもの。
だってセイ君だもん。
「近くに朱雀さんもいるよね? あ、姿は隠したままで。二柱ともいつもありがとね。今日もよろしくお願いします」
ペコリとお辞儀をすれば、何だか面食らったような気配を感じた。
「──くるるっ」
肩に何かが停まるような感覚と、小さな鳴き声。これは多分朱雀さんだろう。
今は鷹のような大きさになっているはずなんだけど、ほんと重さを殆ど感じない。
「くるるっ? くーく?」
「……あ、ごめんなさい。セイ君じゃないから、全く言葉分かんないの」
一生懸命に話し掛けてくるような様子の朱雀さんらしき存在に、あたしは申し訳なく思いながら返答する。
「くきゅー……」
落胆するかのようなその返事に、何となくふと気付いて。
「……バレたのは、セイ君には内緒ね。あたしも言わないから」
「くるっ!」
あ、なんか元気な声になった。
なんか可愛い。セイ君が愛でたくなるのも、なんか分かる。
二柱の存在に気付いてから、安全面については全く気にしていない。
白虎さんの強さについては、西方エリアに行った時や、先のイベント戦で優勝したPVを見れば分かる。
進化した朱雀さんの強さについては……うん、今後の観察で。
表の通りから外れながら、どんどん奥へと進んでいく。必要以上に早足にならないように、かつ周囲を見ないように。
思った通り、少し前から誰かがつけてきている。
仲間の誰か……ではないと思う。
ちょっと前にお兄ちゃんからメールがあって、あたしの所在の確認と探しに出た旨が記されていたけど、ショッピングに出ただけだから心配しないでと返信しておいたからね。
うん、実際買い物もしてたから、間違ったことは言っていない。現在地は書かなかったけど。
セイ君と一緒で、お兄ちゃんもあたしに対して非常に過保護なんです。
そのメールを見たら、きっと探しに来ること間違いなしだし。
あたしだって、あれから色々と成長してる……はず。同い年なんだし、少しは信じて欲しいんだけどね。
そんなことより、背後の誰かの対処だ。どうしよう? そこまで考えてなかった。
普通こんな寂れた場所で狐の女の子がウロウロしてたら、狼の如く襲い掛かって来るだろうと思ってたんだけど、ずっと隠れたままで一向に姿を見せる気配がない。
仲間を呼んで、あたしを挟み撃ちにしようとしているのかもしれない。
もう少ししたら誰何してみようかな?
と、思った時だった。
「──ちょっと! ちょっと待ってよ高辻さん!」
聞こえてきた声に、あたしはげんなりする。
よりによって何でコイツなの?
思わず舌打ちしたくなる気持ちを抑えて、あたしは足を止め振り返った。
長めの栗毛色の髪をウルフカットにした犬族系の獣人種の少年が、こちらに向かって駆け寄ろうとして来るのが見えた。
この男の現実世界での名を桐生聡輝といい、こちらの世界では確かキエルと名乗っていた。
その名前の通り、勝手に消えてくれたらいいのに。
そう思わずにはいられない。
あたしがここまでこの男を毛嫌いしているのは理由があるの。
生理的に受け付けないのもあるけど、コイツの自分勝手な思い込みによる理玖君への攻撃的な態度が、全ての原因なのです。
それに公言出来ないけど、例の件も絡んでいる。
事の始まりはそう、一年の時に理玖君がミスコンに出場した時のことだ。
本番を待つ間女の子の服装に着替えた状態であたしと彷徨いていた理玖君を見て、どうやら一目惚れしてしまったらしく、いきなり交際を申し込んで来たの。
あまりのことにビックリして、何も言わずにその場から逃げ出した理玖君。
あの時しっかりと否定しておけば良かったと後悔したのは、本番が始まってから。
そう、あんな悲劇は起こらなかったはず。
周囲の忠告も聞かず、しかもミスコン中のステージに強引に乱入したこの男は、全生徒が唖然として見つめる衆人環視の中、どこから手に入れたのか分からない薔薇の花束を持って来て、理玖君へと愛の告白をしちゃったのよね。
当然ながら、玉砕。
ただ理玖君も人が良いもんだから、それとなく小声で女装していることを伝えて、お引き取り願おうとしたの。
なのに、全く聞く耳を持たなかったこの男。
しかも元同級生の話では、今まで女の子にチヤホヤされてきたらしく、頭がとってもお花畑な野郎だった。
どうやら自分が告白すれば、どんな女の子も二つ返事で了承してもらえると思っていたらしい。
で、理玖君にあからさまな嘘をつかれて拒否られたと思い込んだこの馬鹿は、ステージ上でみっともなくごねまくった上、理玖君に掴み掛かったところを助けに入ったお兄ちゃんにぶん投げられるという……何かコントのような騒動になってしまった。
まあ理玖君が優勝したのは、多分この騒動のインパクトがあったせいだ。
本人は憮然としてたけど。
その後しっかりと先生達にお灸を据えられた上、本当に女装だったことを知ったコイツは、男にガチ告白した奴と全生徒達から笑い者になった挙げ句、本人もショックでしばらく学校を休んでいた。
まあ……ショックだったのは、理玖君もだけど。お兄ちゃんとの三角関係とか、あらぬ話を持ち出されて囃されていたし。
理玖君の中ではこの話を出来るだけ早く忘れたい出来事として、この馬鹿の存在をなかったことにしていたみたいだしね。
そんなこんなで。
それ以降こちらに一切絡んでこなかったし、クラスも別だったから、あたしもコイツの存在すら忘れていたんだけどね。
それが三年に進級した際にあたしだけ理玖君やお兄ちゃんと別クラスになっちゃった時、この馬鹿と同じクラスになってしまった。
そしたらなんと……。
今度はあたしにやけに付きまとってくるようになったの。
今まであたしの傍には理玖君かお兄ちゃんのどちらかが常にいてくれたから、多分寄って来なかったんだと思う。
正直なところ、あたしは彼のことを何とも思っていないどころか、むしろ恨みに近い感情を抱いているからね。
事を荒立てないように、怒りが噴出しないようにするために。
わざわざ無関心を装っているのに、勝手に変な解釈してアピール始めた上、人のいう事も全く聞かないし、とにかく鬱陶しかった。
しかもミスコン事件のせいで理玖君とお兄ちゃんのことを勝手に逆恨みしているようで、事あるごとに悪口を言ってくるしで、正直殴ってやろうかと思ったことが何度もある。
そもそも二人の悪口をあたしに言って、何をどうしたいの? と言いたい。
そればかりか、同じクラスメイトの神城美琴──みこちゃんにまで言い寄って来るし、二人してどうしようか対処に悩んでいたのよね。
あたしとみこちゃんの共通点といえば、親友同士でお互いに理玖君のことが大好きなことくらいだし、それはもう公然の秘密となっていたから、それに対する嫌がらせの意味があったのだろうと思っている。
ほら、人の彼女を奪おうとする行為に、楽しみを見い出す人っているでしょ?
多分その類いの奴だ、コイツ。
はっきり言って全く理解出来ないし、理解もしたくない。
そもそもその程度のことでこの大切な気持ちを変えるほど、あたし達の想いは軽くも安っぽくもない。
それに最近あの事件の犯人の一人に桐生という名の男がいて、その弟がコイツだと知ってからは、もう声を耳に入れることすら苦痛に感じるようになってしまった。
そういう事情もあって、理玖君にはとてもじゃないけど相談出来なかった。コイツを関わらせたくなかったから。
まあ色々と事情を知る先生やお兄ちゃん、他のクラスメイト達がフォローやアドバイスをしてくれたし、あたし達もなるべく理玖君やお兄ちゃんの傍にいるようにした。
コイツってば、お兄ちゃんにも何度も痛い目を見せられたせいか、どうも苦手意識を持っていたから、近寄ろうともしなかったから助かった。
出来るだけ接点を減らすという消極的な対処方法ながら、それなりに功を奏したみたいで、何とか卒業までこぎ着けることが出来た。
しかも遠くに引っ越しすることになって、別の高校へと進学すると聞いた時は、かなり嬉しかったんだけど……。
この世界で顔を合わせることになってしまったばかりか、その兄まで見てしまうとは思わなかった。
一応兄の方はバライスの出口で行ったPV戦でぶっ飛ばしたから、ほんの少しだけ留飲が下がったけど。
あの事件の記憶がないとはいえ、こっちの世界でも乱暴者だったのはやっぱりというか、何というか。
そう言えばこの馬鹿はどうしてあのPV戦に参加しなかったんだろう?
相手にいてくれたら、一緒にぶっ飛ばしてスッキリしたのに。
「やっと追いついたよ。さっき角を曲がるのを見かけてさ。高辻さんもこの里に来てたんだね」
妙にへらへらとした笑顔を見せるこの男のテンションに反比例するかのように、テンションが下がっていくあたし。
こんなに全身から〔あなたが嫌いなんです〕オーラを出しまくっているのに、どうして気が付かないんだろうか? ワザと? ワザとなの?
しかもまた向こうの名前を言ってるし。ホント早くこの世界から消えて。
「こっちでその名前で呼ばないでって言ったでしょ。いい加減にして」
「あ、ごめんごめん。つい言い慣れてる方で言っちゃって。……ええっと、ユイカさんだったっけ? どこ行くのかな?」
「あなたには関係ない。あたし忙しいので。じゃあね」
「待ってってば」
そう言い捨てて踵を返したあたしだけど、瞬時に詰め寄って来てあたしの手をガシッと掴んできた。
触れられた瞬間、怖気が全身を走る。
やっぱり生理的に受け付けない!
「放して!」
強引に振り払おうとしたけど、強く握られてしまって放してくれない。
「そう言わずにさ。ほんと照れ屋だなぁ。照れ隠しもほどほどにしてよ。俺だってあんまりしつこく言いたくないんだからさ」
「照れ隠しなんかじゃないし、十分しつこいよ!」
苛立ったあたしは、仕方なく護身用の雷の魔法陣を起動。
セイ君に教えてもらった通り、思考から魔法の形態を変化させ、掴まれている手を基点にして、ごく低電圧の電撃を這わせる。
「っと!」
「きゃぅ!?」
それと同時に手を振り払い、大きく離れようとしたら、お腹を蹴り飛ばされた。
そのまま地面を転がり、道路脇に置かれていた木箱にぶつかってしまう。
「おーいてて。ビリっと来たな。
あ、ごめんごめん。つい癖でやっちゃった。まあこれは高辻さんが悪いんだよ? 人のいう事全く聞かないんだから」
「……どの口が言うの……!」
よろよろと木箱にもたれながら起き上がる。
両の足が震える。
咄嗟に後方に跳んだにも関わらず、結構な衝撃とダメージを受けてしまっていた。
そんな……こんなのおかしい。ここはエルフの里で、当然セーフティエリア内だよ?
同じプレイヤー同士なら、お互いダメージは発生しないはずなのに。
「こうして会いに来たのはさ。ずっと聞きたかった事があったからなんだけど。
あのさ、御陵の奴は一体どこにいるのかな? うざいことに、アイツもこのゲームしてるんでしょ? いるのは分かってるんだ。だから、隠さないで教えて欲しいな。ずっと……ずーっと探してるんだよ……」
ゾクリと背筋に冷たいモノが走る。
コイツ……まさか!?
「知らない! 大体何で彼を探してるのよ!」
傍に寄り添う気配。恐らく白虎さん。
ただその剣呑な気配から、白虎さんはコイツを敵と認識し、臨戦態勢に移行したのがわかる。
だけどもう少し待って。
少しでもコイツから情報を……。
「ふーん……。じゃ、俺の神がかった推理でも聞いてみる?
実はね、何か引っかかるんだよな。君や神城さんといつも一緒にいる、あのセイっていう女の子がさ。
あのバライスの街で会った時は気が付かなかったけど、よくよく考えてみたら、あの日俺を散々コケにしてくれた御陵の女装姿によく似てるんだよな」
やっぱりバレてる……の!?
「初めて彼女に会った時、あまりにユーネちゃんに似ていたから、このゲームのNPCかと思ったんだけどさ。ちょっと前のプレイヤーイベントに参加してたし、あれっと思ってね。何度もPV見直しちゃったよ……」
その端々に見え隠れする狂気。
ヤバい。このままじゃ確実にセイ君へと辿り着き、絶対に彼を害そうとする。
「でもさ、何度見直しても女装っぽくないんだよね。PVで見せたワンピースの水着姿もそうだし、どのスレ漁ってても、どれも女の子だと言われているし。もしあれが本当に御陵なら、何で女の子になってるんだよ? 元々女の子なのに、男装していて嘘ついてた……のか?」
右手で顔を押さえて俯き、呪詛を吐き出すように恨み節が止まらないこの男から、あたしは徐々に距離を取りながら、複数の魔法陣を展開し対策を始める。
「そうだよ。男があんなチビで声も高くて……少女と見間違う外見なんて、普通常識的におかしいよな。女と見るのが自然だ。いつも高辻の野郎といるし。
あはは……俺よりもあの男の方がそんなに良いのか……? 俺よりも……? あり得ない……あり得ない!」
黙って聞いていれば、好き勝手なことを……!
理玖君が今までどんなに苦しんで生きて来たか、全く知らない癖に!
「俺を今までずっと騙して……そのせいで俺は常にどこでも笑い者になって……あはははははははは……アハハハハハハハハ……ははっ……。
──ふざけんなぁ!!」
「それはこっちの台詞! 理玖君は正真正銘男の子だし、それにセイちゃんは……」
「ま、本人捕まえたらどうせ分かる事だし。じゃ、高辻さんには、餌として一緒に来てもら……」
「『スパークアロー』!!」
今度は複数の矢を一つに束ねるようなイメージと共に、魔力を限界まで魔法陣に込めて解放。矢というよりは槍に近い太さになったソレを、手加減なしで時間差をつけて複数放つ。
あくまでこれは非殺傷魔法の捕縛魔法の一つで、セーフティエリア内でも護身目的で一部使用を許可されている魔法だ。
効果は感電を利用した麻痺。
セーフティエリア内なのに、あたしにダメージを与えてきたさっきの攻撃の原理は不明だけど、この非殺傷魔法なら街中でもこうして放つことが出来る。
最初に使ったあれも、この魔法の応用なの。
躱すしか対処のしようがないこの魔法。不意を突いたこのタイミングなら、まず避けられないはず……。
「あはっ、無駄だよ」
放った電撃の矢をどす黒い濁った闘気に覆われた手で払いのけ、その中の一本を掴み取り、見せ付けるように握り潰す。
「なっ!?」
掴んだ!?
そんな……あっさりと防ぐなんて。
「セーフティエリアの中で能力の制限がされちゃう奴は、こういう時辛いよねぇ」
へらへらと笑いながら、そう宣うキエル。
「自分はその影響下にないと言いたいの?」
「そりゃ〔セーフティエリア無効化〕のパッシブスキルを持ってるからね。知ってる? このスキルの良い所はね、自分自身の防御へはちゃんと恩恵を受けたままにして、相手の絶対防御のみを無効化出来る所にあるんだよ」
「へぇ? つまり自分はPKだと白状したわけ? これであたしもあなたを攻撃出来る許可が下りたんだよ」
セーフティエリア内にいるプレイヤーの防御を無条件でぶち抜くなんてスキル、普通は修得出来ないからね。
つまりコイツはPK。犯罪者。
今明確に、あたし達の敵となったということ。
素早くメニューのショートカットから目の前の『キエル』を討伐対象リストに設定する。
これでセーフティエリア内でも、コイツにダメージを与えることが可能になった。
このシステムは便利そうに見えて弱点もある。
登録した時点で誰であろうとも攻撃可能になってしまうからね。確実に相手が犯罪者と確信を持てなければ、設定しない方がいい。
もし冤罪で相手を傷付けてしまったら、オレンジになってしまうし、殺しでもしたらレッドまで落ちてしまう。
相手が犯罪者ならば、この世界では人権がないに等しいから、何してもいいみたいだけど。
あたしは〔看破〕のスキルをまだ持ってないし、どうしようかと迷っていたんだけど、これで気兼ねなく戦え……。
「……あぁ、しくったな。つい、うっかり喋っちゃった」
「うくっ!?」
凄まじい程のプレッシャーがあたしを貫いた。全身が瘧のように震え出す。
な、なにこれ……!?
さっきまでと桁が違……。
「まあいいや。一緒に来てもらおうかな。あのPV程度の実力だと、抵抗するだけ無駄だと思うけど。特に……こんな召喚獣に頼るようじゃ!」
身体を半回転して右手を背後の空間へと突き出したキエル。
バチッと蒼白い火花が散り、虚空から跳びずさるようにして白虎さんが転び出てくる。
あたしの傍を離れ、こっそりと背後に忍び寄っていた白虎さんの動きを正確に捉えるなんて……。
「グルルッ……」
「ちぇっ、躱されたか。少しずれたかな」
そんなことを言いながら再びこちらに振り向き、一歩前に出るキエルに対し、思わず一歩下がるあたし。
あたし達に囲まれているのにもかかわらず、さっきからへらへらと緊張感もなく笑っている様相をみせるコイツ。
なのに、あたしの尻尾が垂れ下がり逆立ってしまっていた。
あたしの中の何かが叫んでいる。
逃げろ。絶対に勝てない。
恥も外聞もなく、この場から逃げ出せ。
最初威勢のいいことを言っていたあたしだけど、こうして明確に敵対した時から冷や汗が止まらなくなっていた。
この世界で得た獣人種の本能と呼ぶべき強者を嗅ぎ分ける感覚が、あたしに二の足を踏ませている。
今のあたしじゃ絶対に勝てない。
不恰好でも逃げ延びて、仲間へと助けを呼べと。
でも……。
絶対にコイツをセイ君に会わせるわけにはいかない。捕まって呼び寄せる餌になんてされたくもない。
お兄ちゃんをはじめ応援を呼ぼうにも、そんな隙を見逃してくれるような相手じゃないだろうし。
目一杯虚勢を張りながら、一体どうすればと頭を悩ませていた時だった。
「待てぇえい!! そこな悪党め!」
天から、いや、側の民家の屋根の上から、そんな威勢のいい少女の声が響いたのは。