117話 問題発生!?
傾き始めた太陽の強い陽射しが照りつける中、ボク達は遠浅なこの湖に架かる巨大な木の橋梁の一つを進んでいた。
この湖自体もかなり広大な面積を誇っていた。
綺麗に澄んだ透明度の高い水のため、完全に湖の底が見える。水面から射し込む陽の光が、湖底でユラユラと戯れ、小魚達が集団で群れをなして泳いでいた。
夏の突き刺すような日射しへと変わりつつあるこの季節、この湖水へと飛び込んだらどれだけ気持ちいいのだろうか。
こっちの世界はもう夏なんだなと、何となくそんな事を思いながら、馬車の屋根に留まっているテンライの視界を借りて眺めていたボクは、ふと前方に大きく見える島のような目的地へと視線を移す。
この広大な大森林地帯のちょうど中央に位置するこの巨大な湖。
これだけでも驚愕に値するのに、その前方にある樹木もあり得ない大きさだった。
湖上にあるエルフの里ファルナダルム。
樹木の精霊を奉じる氏族と同じ名を冠する里。
目の前に聳える樹木──世界樹のお膝元に形成されたこの里は、一つの街と言っても過言ではない規模を誇り、その中央にはこれまた天を突く巨木がその威容を誇るように聳え立っている。
その島のように見えるモノは、いわゆる世界樹の支柱根。その地上へと放射状に広がる気根や走り根、浮き根を利用して作られた街がエルフの里の正体だった。
これが世界樹……の分体樹。
まさか湖の中に生えているとは思ってもみなかった。いや世界樹が生えている所に、後から湖が出来たのかもしれないけど。
ほら、あれだ。マングローブタイプの樹をひたすら巨大化したような感じ?
ほんと何から何まで規模が桁違いだよ。
アーサーさんが一見の価値があると言っていたけど、確かにその通りだった。
彼は笑って説明してくれなかったけど、こんなの説明されても絶対にピンとくるわけない。想像していたのとは全く違う。
事実ボク達が今渡っているこの橋も、世界樹の地上根の一部である。誰が加工したのか分からないけど、半空洞化した根の上半分が切り開かれ、橋として使えるようにしてあった。
いや、世界樹にちゃんと意思というモノがあって、橋になるように綺麗に伸ばしてくれたのかも知れないけどね。
さっきからテンライの精霊眼が周囲に揺蕩っている、実体化していない下級精霊達を捉えている。
ボク達の馬車隊の周囲に寄ってきては、興味深そうにこちらを眺めている意思を感じた。
そんなにこちらが珍しいのかなと思ったところで、この馬車には、眠ったままのエフィも入れれば三柱の上級精霊に、三柱の中級精霊、御子に巫女がいる事実に気付く。
そりゃ興味も持つよね。
彼女達下級精霊にとっては、自分達の上司達がいるんだし。
「──はぁ、すごい光景だよね」
一通り景色を堪能したボクは、テンライとの感覚同調を解除すると、寝転がっていたソファーから勢いよく起き上がった。
その際につい両足を上げて反動で起き上がった行為を、いつの間にか向かいに座っていたアルメリアさんに見咎められる。
「セイ様、スカート姿でなんてはしたない。ここにもし殿方が居られたら、どうするおつもりだったんですか」
「うっ、い、いや、その……。
──い、今ここにいるのは女性だけだし、別に……」
アルメリアさんの指摘につい反論しながらも、完全に捲れ上がってしまった雷精の加護衣のスカートの裾を、そっと手で直す。
「……はぁ。本当は私のような者がこのような事を言えるような立場ではないのですが、セイ様は淑女として失格です。たまに男性のような振る舞いをしたりと、少々はしたな過ぎます」
「そりゃボクはおと……」
そりゃボクは男だし。
ついそう言いそうになって、慌てて口を噤む。
彼女にまたそんなことを言ってしまえば、更に指導という名のお小言が倍増してしまう。
「……今また言いかけましたね? もう一度私に確認して欲しいのですか?」
低い声で言われて、真っ青になりながらボクは必死に首を振った。
実は今朝同じように注意された時、つい男だと言っちゃったのよ。
それを聞いた瞬間、目をつり上げ鬼の形相になったアルメリアさんが取った行動がやばかった。
部屋からレントをはじめとした男達だけを全員追い出したかと思うと、女性であることの自覚がないように見えたボクにちゃんと自覚させようとしたのか、無理やりボクの服を剥ぎ取るというぶっ飛んだ行動に出たんだよ。
スカートをいきなり捲り上げられ、一瞬何が起こったか頭が状況の理解を拒んで呆けてしまった隙に、手際よく雷精の加護衣を完全に脱がされて下着姿にされた。
しかもまだまだ容赦しないと言わんばかりに、アルメリアさんは下着まで剥ぎにかかった。
ブラを鷲掴みにされた時点でようやく我に返ったボクが、悲鳴と共に庇うようにしゃがみ込んだのを見て、「ほらみなさい! 貴女のこの姿のどこが男ですか!」と彼女は吠え、ボクはそんな下着丸出しのまんま、みんなの前で正座させられてこんこんと説教を受ける羽目になっちゃった。
ユイカ達曰く、アルメリアさんのあまりの剣幕に気圧されてしまい、唖然として見ていることしか出来なかったらしい。
助け船を出そうにも、彼女を説得できる材料がなかったというのもあったそうだ。
このことを受けて、次は精霊化していない時に男と言い張った方がいいよねと、後でみんなに同意を求めたら、男の子だと絶対にバラしちゃ駄目だとみんなに必死で止められた。
どうして止めるんだと憮然としたんだけど、その彼女達の懇願の理由に真っ青になる。
今のエルフの民には、古代種もスティルオム氏族もいない。
そんな彼らの目の前に、古代種階級のスティルオム氏族男性が現れたらどうなるか?
その答えは、いくらボクでも容易に想像がついた。
というか、それ女の子としてでもヤバくない!?
勘違い野郎がボクに群がってくる可能性ありありなんですけど!?
あのイベントで出会ったエロ神官が脳裏に過り、思い出すだけで一瞬で鳥肌が立つ。
無理! むーりー! 絶対に無~理っ!!
そう反論したけど、女の子していた方が絶対安全だと、みんなに口を揃えて言われた。
その根拠は、この世界の一夫多妻の風潮と男女比率、そして事情を知っているアルメリアさんが女性だからだそうだ。
それに精霊としての身体の方がいざという時逃げやすいし、ティア達の援護も受けやすい。ボクの壊れかけなコードでも、そういう最後の一線だけは守られているから、そっち方面でも問題はないと、こんこんと説得された。
しかも、だよ。
「セイくんって男の子してる時、大抵寝てるか衰弱してることが多いよね。そんな時に、知らない女の子に組み伏せられて性的に襲われても、ちゃんと拒否して抵抗出来るのかな? かな?」
「フェーヤちゃんの想いに気付いているんでしょ。セイ君が男の子と主張しちゃったら、あの子が不幸になっちゃう。それでも言い張る気なの?」
と、こんな具合に、ユイカとティリルに凄みのある笑顔で迫られ、ぐうの音も出なかった。
ティリルの言う通り、衰弱中は多分一切抵抗出来る力がないだろうし、ユイカが言うように、アルメリアさんがボクの本来の性別に気付いてしまったら、彼女は間違いなくフェーヤとボクを何とかくっ付けようとしてくるだろう。
そう考えると、確かに女の子と誤魔化していた方がいいみたいなんだけど……いいみたいなんだけどさ。
ああ、涙がちょちょぎれそう。
こうして仲間達との話し合いは、ボクにとってかなり不本意な結果になってしまった。
──とまあ、こんな事があってね。
おかげさまで、アルメリアさんの言動に対して、過敏なくらいおっかなびっくりになってしまった。
これ以上不用意なことを言って、あんな恥ずかしい思いを繰り返すのはもう嫌です。
「そもそも品格を求められる立場ある貴女が自分の事を『ボク』などと……」
「そ、それは勘弁して下さい。必要な時はちゃんとしますし」
「……まあ、今は良しとしましょう。ただし、少しでもなっていないと判断すれば、きちんと直るまで教育させていただきます」
うげ。
声に出しかけたのを何とか飲み込み、がくりと項垂れる。
アルメリアさんの中では、品位ある女性としてなってないボクの言動に対して、昨日から散々言う言わないの葛藤があったようで、今まではボクの行動にアワアワしていただけだったのに、一夜明けたらこんな風にボクの教育係のような感じになってしまった。
昨日彼女が語ったように、どうもボクをどこへ出しても恥ずかしくないエルフ族の主導者にするために、やはり自分がやらなければと義憤にかられ、教育と下準備をしようと昨夜決意したらしかった。
正直ありがた迷惑と言いたい。
言いたいんだけど、これから王侯貴族に会うために礼儀作法を学ばなきゃならないという負い目もあって、反論出来ないし言える状況でもない。
いや、これでもまだそこまできつく言われてないんだろうな。
アルメリアさんから見たボクは、いくら年下でも位の高い相手で他所様のご息女との認識だから、まだまだ遠慮してる部分はあるだろうし。
それに今は今後の指導のためのチェックをしているんだろう。
そこまでして会ったばかりのボクに苦言を呈してくるのは、今まで巫女として上流貴族の中を渡ってきた彼女の誇りがそうさせるのか、後任者を育てるという教育者としての性なのか。
多分両方ともだと思う。
そんなボクの姿を見て、アルメリアさんの横にちょこんと座っているフェーヤが、さっきから同情的な視線を投げかけてくる。
彼女も痛いほど経験してきてるんだろう。
でも自分へのとばっちりを恐れているのか、何も言おうとしない。
「そ、それはそうと、アルメリアさん。他の地域にも世界樹があるって聞いたのですが、その辺りの事を教えて貰えませんか?」
隣に座っているティリルが話題逸らしをしようと、今度は助け船を出してくれた。
「世界樹の事ですか?」
話題が逸れて思わずホッとした表情を浮かべてしまったボクの方を、チラッと横目で確認したアルメリアさん。
それを見咎められ、再度緊張で顔が強張ったボクの様子に、彼女は諦めたように一息つくと、世界樹についての説明を始めた。
「創造神様と精霊様から授かった世界樹は、全て合わせてこの世界に十二本ありました。それぞれの世界樹にはその地域を統治する氏族と同じ名称がつけられており、その氏族の本家本元の里があります。
まあ、全ての里の世界樹の管理やお世話自体は、私どもファルナダルムの手の者がしておりますけども」
「氏族ごとに十二本ですか? 十三氏族ですよね? どの氏族が関わっていないん……。
──あ、もしかしてそれはスティルオム氏族ですか?」
「その通りです」
首を捻りながら問い返したユイカに対して、出来のいい生徒とばかりに微笑みながらアルメリアさんが答え合わせをする。
「かのスティルオム氏族は各里ごとに名家として存在しており、エルフの民の象徴者として名を連ねていただけで、独自の世界樹の里を持っておりませんでした。
そしてこのファルムヒュムス大陸にある世界樹は、プレシニア王国のファルナダルム、エインヘリア帝国のケラヴィノス、ヴォルガル王国のティエノラが現存する世界樹と里になります。
──残念ながら、ベスティア王国にあったスィーナ氏族の世界樹は邪生物の襲撃によって破壊され、里も消失しています」
スィーナ氏族というと、昨日の話にも出たあのサレスさんを奉じる氏族か。
あんなノリだったけど、あの精霊にそんな過去があったなんて。自分を奉じる氏族の里や分体樹が壊滅するとか……凄惨過ぎる。
「邪生物の襲撃、か……。
この里の防衛機能って、どうなってるのかしら?」
気になるのか、レトさんが質問する。
ちらりとボクを見たことから、昨日のボクの発言が脳裏をよぎったようだ。
「世界樹は領域内の邪気を霧散させて吸収、浄化する機能を持っているので、邪気が入り込む事は無いですし、邪生物化した存在でも近付くにつれ弱体化と浄化を受け続けるので、里の守備兵達が負ける事などあり得ません」
「へぇ」
それならどうしてスィーナ氏族の世界樹は倒壊したのか?
確か指導者争いの隙を突かれたと言っていたけど、そこに至るまで何があったのかな?
「他の世界樹の里の人とのやり取りや連携はどうしてるの? 会いに行くのも大変でしょ?」
「各世界樹は樹木の精霊様のお力によって、互いに共鳴、接続しております。私達ファルナダルム氏族のみが世界樹のその力を用いて、他の世界樹と相互通話する事が可能です。この能力を利用する事により、国家間の外交会談の場も提供したりしています」
「電話で会談みたいな?」
「でんわ? ユイカさんの言うそれが何かよく分かりませんが、映像と声を相手に届けられるモノと思って下さい。王国から派遣されてきた外交官が里に常駐しているので、その辺りの調整も私どもの仕事ですね」
「相互念話みたいなモノだね」
そしてエルフの里の役目って、話を聞く限りじゃ、各国の外交窓口っぽくみえる。
国家としても、無くてはならないモノなんだろう。
「そうですね。セイ様の仰る意味で合っています。
あと、世界樹はその地域の特性をも支配しています。その土地に合わせて独自に進化したのか、どれ一つとして同じ形状をしていません」
ということは、このマングローブタイプの分体樹はファルナダルム独自の進化形態なんだね。
「分体樹の形状の差によって、機能とか特性が変わったりしているの?」
「分体……樹?
──もしかして世界樹の事ですか?」
怪訝な顔をしたアルメリアさん。
あれ、もしかしてやっちゃった?
分体樹って言葉、エルフには伝わっていないのか。今後は言わない方がいいな。
「そもそも世界樹の知識と儀式のいくつかは、太古より極秘案件としてスティルオム氏族の方々が秘匿してしまい、今や殆ど失伝してしまってます。情けない事に、樹木の精霊様の御力を借りて、何とか運用している有り様です。
私どもよりセイ様の方が詳しい事を知っておられるかと」
「ボクだって、つい最近ティア達に訊いた分しか知らないですよ。分……いや、世界樹を管理しているファルナダルム氏族に、どうしてスティルオム氏族は隠し事をする必要があったんだろう?
世界樹になにか問題があってからじゃ遅いよ。危機意識が乏しすぎる」
話を聞けば聞くほど、どう考えてもこの世界に無くてはならないモノだし、既に一本減ってしまった今、他の世界樹の負担は確実に増えてしまっているはずだ。
「お、お恥ずかしい限りで……本当に申し訳ありません」
「あ、違います。ごめんなさい、あなた方を責めているんじゃないんです。逆にその……同じスティルオム氏族を代表して、あなた方に謝罪したいです」
さっきまで普通だったのに、急に冷や汗を垂らしながら妙に萎縮してしまったアルメリアさんに、ちょっときつく言い過ぎたかなと思い、慌てて弁明をする。
昨日森で感じていたあの邪気について、ボクは一つの推測を立てている。
世界樹の機能の一つに、邪気にまみれた魂や大地の浄化を行っているということはだ。
もしその世界樹の浄化処理能力以上に、一度に邪気が溢れたらどうなるか?
一瞬だけ溢れるくらいなら、時間をかければ処理出来るんだろうけど、それがずっと許容量をオーバーし続けたら?
植物に必要以上の養分や水分を与えたら弱って枯れてしまうように、分体樹にも何らかの悪影響が確実に出てきそうだ。
事実、周辺の森には邪気が薄く漂うなどの影響が出て来ているみたいだし。
ティアの話では、このファルナダルムの分体樹に樹木の精霊さんがいるそうだから、彼女に話を訊かなくては。
「できたら樹木の精霊さんにすぐ会いたいんだけど、引き合わせてもらえる?」
「そ、それが……」
ボクのそのお願いに、何故かアルメリアさんの目が泳ぎ出し、フェーヤは俯いてしまって顔を上げようとしない。
あれ?
訊いちゃ拙いことだった?
「そ、その……誠に言いにくい事なのですが……。
──こ、今回里から緊急の知らせを受け、王都からの急ぎの帰還を行った事と関連していまして。このような形で、セイ様とお会い出来た事に幸運を感じております。申し訳ありませんが、御子様としての知識と御力を拝借させていただきたく……」
遠回しな言い回しばかりで一向に本題を切り出そうとしない上、どんどん小さく縮こまっていく元巫女と巫女の二人に、さっきから嫌な汗と胸騒ぎが止まらない。
「そ、その、今まで黙っていた訳ではなく、切り出すきっかけがなかったと言いますか、その……」
「──樹木の精霊の身に何か? 早く言いなさい」
焦れたのだろう。
ボクの口から出たティアのイライラ声に、ビクッと震えた二人。
その声に赦しを乞うように床へとダイブし土下座をすると、
「も、申し訳ありません! ヴォルティス様!
里の者から火急の報せがありまして、ドリアド様が昏睡状態に陥られ、何日経っても御目覚めになられないと!」
んなっ!?
「「「「「えええええっ!?」」」」」」
他のエルフから見たスティルオム氏族の立場ですが、日本でいう皇室の方々と読み替えれば分かりやすいかと思います。
各氏族の長については、総理とか大統領に相当します。