111話 森の異変?
新章開幕です。
馬の嘶く声とその息遣い、そして足音と馬車の車輪の音が静かな森に響く。
昼間でも鬱蒼とした背の高い樹々が左右から街道を覆って、周囲は薄気味悪い。木陰の間から何かがいつ飛び出して来てもおかしくないような雰囲気を醸し出している。
そんなおどろおどろしい場所に、ボク達の馬車隊は差し掛かろうとしていた。
ビギンの街の東門を出たボク達は、同郷者達から『旅立ちの野』と名付けられた草原を横断する街道を東へ東へと進んでいた。
護衛も多く平穏な旅ではあったけど、ボクの周囲は平穏とは程遠くなった。
レトさんの猛アピールに引きずられる形で、ティリルまでボクに告白してきた旅立ちの初日。
恥ずかしくて平常心でいられなくなり、その日はずっと馬車の中に籠る事になった。
二人の顔をまともに見れなくなったばかりか、その話を聞いたユイカの、妙ににこやかな表情に戦々恐々としながら、その後を過ごす羽目になってしまっていた。
こっそりとレント達の元を訪れて相談するも、「それ、なるようにしかならんだろ」と源さんに言われた上、レントからは「天下一のモテ男が何を贅沢言ってやがる。しかもとばっちりは俺ばかりなんだぞ。たまにはお前も爆ぜろ」とか、訳のわからないことを言われちゃうし。
椿玄斎さんなんて、「全員食って手込めにすりゃええ。しっかと自分色に染めて依存させちまえば、平等に愛する限り争いも無くなるもんよ」とか、呵呵とばかり笑いながら理解不能なアドバイスをしてくるしで、完全に参ってしまった。
ティアやカグヤは、完全に二人のことも受け入れるつもりになっているようだから、相談自体が意味なさそうだよね。
そうして頭を悩ませたその日が終わり、安全地帯で停泊して寝ようとした際、自分に宛がった寝室の扉を開けてみれば、パジャマ姿のユイカがベッドの上で三つ指をついて待っていて。
思いっきり引い……ビックリしてしまった。
「セイ君に大切な話があるの」
その言葉から始まったユイカの話は、ある意味予想通りな部分と想定以上な部分があって。
だらだらと曖昧な状態で一緒にいたけど、ちゃんと正式にボクの恋人になりたいと告白された。
その前提であれば、あの四人のことも、ちゃんと認めて受け止めて欲しいと。
ボクにとってユイカという少女は、大切な人だと認識している。家族のように、いや家族以上に接してきたつもり。
そんなユイカを除け者にする気持ちなんて、これっぽっちも存在しない。
そんな結衣は昔から嫉妬深いというか独占欲が強いところがあって、美琴や母さんや姉さん以外の女性がボクの傍にいて仲良さげだと、すぐへそを曲げてしまい大変だった。
そんなユイカがこんなこと言い出すなんて。
いや、最近のユイカの様子からこうなることを、ボクは望んでいたりしてなかっただろうか?
ここまで追い詰めてしまうまで放置しちゃったのだろうか?
もしそうならば、ボクはユイカに何て酷いことをして……。
「──セイ君。やっぱり駄目、かな……?」
彼女の呟くような声に、ハッとなる。
ボクが返事をせずに考え込んでしまったのを勘違いしたのか、哀しみに揺れ始めたユイカの瞳を見て。
「あたしじゃ駄目なんだ……?
やっぱり思い出しちゃうから?」
「何を……? いや、そんなの関係な……」
「あたしこの先きっと……セイ君が傍にいてくれないと……生きていけな……」
「それ以上言っちゃダメ!」
乱暴にもユイカを、涙目の彼女を強引に抱き寄せる。
「前にも言ったでしょ! ボクなんかでいいなら、ずっと一緒にいて欲しいって。それは昔から変わらないよ」
「……訂正してよ。なんかじゃない。セイ君じゃないと駄目なんだよ。だから……んっ」
体重をかけてボクをベッドに押し倒してくると、そのまま口を押し当ててきた。
ボクも抵抗せず、その状態で抱き合ったままで。
ようやく気持ちが落ち着いたのか、ユイカは押し付けていた唇を離し身を起こした。
「……にひひ。女の子なセイ君をこうして力づくで押し倒して唇を奪うとか、何だか背徳感が凄いね」
「う……そう思うなら、やめてくれたらいいのに」
「駄目でーす。それは認められませーん」
ボクのお腹の上にまたがったまま、コロコロと笑うユイカ。ようやくいつもの元気が出てきてくれたようで、内心ボクも胸を撫で下ろして安堵する。
「ねぇ、あたしの声ティアちゃんも聞こえてるでしょ? 精霊化解除したら、このまま一緒に寝よ」
「──はい。今日は私とユイカさんの番でしたね」
ボクの口を使って、ティアがユイカに返事をする。
「うん。それに正式にティリルが交ざる事に決まったから、後で変更したローテ教えるよ。ちゃんと平等にしたから。カグヤさんも聞こえてる、かな?」
「カグヤ様はもう寝ておられます。お話は明日にしましょう。
……えと。ではお兄様、お願いします」
あー、やっぱりそうなったのね。
あのイベントの日以来、寝る時にボクの両隣のスペースを確保しようとよく言い争いしてて、最近ローテを決めようとか言っていたものなぁ。
こんなしょうもないことで喧嘩する彼女達を見たくないから、仲良くしてくれる分には協力するけど、たまには一人で寝たいんけど駄目かな?
……駄目なんだろうなぁ。
ため息をつき、精霊化を解除する。
途端にのし掛かってくる虚脱感と喪失感。頭痛も酷い。
「……ふぐぅっ」
思わず顔に手をやる。
抑えようとした呻き声が洩れてしまう。
周りに心配かけないよう、意識して気を入れていてもこれだ。こんなにキツいものになるとはね。
この瞬間を狙われたら、間違いなくあっさりやられてしまう。
他の御子の人もこんな感じなのかな?
ボク以外の御子の人にもし会えたら、ほんと訊いてみたい。
「セイ君大丈夫?」
「ん、へいき……ねよぅ」
少し力なく、でも何とか笑みを返す。
実は全く平気じゃないけど、これ以上心配かけたくない。
耐性スキルが育ってくれば、きっと楽になるはず。それまで我慢すればいいだけ。
猫型着ぐるみパジャマのまま精霊化したから、元に戻ったら当然パジャマになる。
こんな体調と精神状態で着替えるのはしんどいので、正直助かったりする。
「……んっ。お兄様、お休みなさい」
あの狭間の日以来、実体化して一緒に寝る時には必ず行うようになったティアとのお休みの行為を済ませ、ユイカもそれに倣うようにしてきたのを何とか見届けると、ボクは意識を失うように眠りについた。
そんなこんなで、ボク達の旅は進んでいった。
途中にある小さな宿場町は全てスルーし、安全地帯だけの宿泊で旅を続け、更に三日をかけて王都と森精種の住む里の岐路にある街にようやく辿り着いた。
ここから森精種の住む里へと到達するためには、北の森『ファルナダルム大森林』と名付けられた森林地帯の中へと進むことになる。
その森には一応街道が整備されているとはいえ、さっきまでの街道と違って道幅は狭く、馬車同士が何とかすれ違える程度の幅だ。
そしてそれよりも、両側までせり出している樹々のせいで常に視界が悪く、また狂暴な肉食獣も出るということで何が起こるか分からない。
そこで部隊のリーダーであるアーサーさんは休憩用の馬車を半分にして馬を増やし、騎馬兵や召喚士、従獣士などで構成された機動部隊を二PT十二人、先遣隊として送り出した。
この街から森精種の里まで、彼らの全速力の脚なら二日ほどの距離らしい。となると、ボクの馬車だと四日くらい?
結構森の奥地にあるみたいだ。
別に彼ら先遣隊に一気に里まで行ってもらう為ではなく、途中にある安全地帯までの道中の安全チェックが主な目的とのこと。
もし道すがら何があれば、彼ら【円卓】のクラン掲示板で詳しくやり取りも出来るから、という理由だそうだ。
そして、本隊であるボク達【精霊の懐刀】の全クランメンバー九人とアーサーさん達十四人は、ボクの馬車の周囲を固める護衛として。
この森へと突入したのだった。
並木道のような感じの疎らな木立から差し込む日の光。そして先に進めば、ボクの好きな樹々の薫りに包まれた空間の中を、馬車は進む事になった。
危険な旅とはいえ、森林浴を楽しむかのように穏やかな気分で初日はのんびりとして居られたのだけど。
二日目から違う様相を呈してくる。
だんだんと薄暗くなり、道幅は更に狭く荒れだし、悍ましげな空気が漂い出した。
ボクの感性がおかしくなったのだろうか?
共にいるアーサーさん達や幼馴染、源さん達は何も普段と変わらない。時折襲ってくる肉食獣を返り討ちにしながら、周りと談笑している。
なのにボクだけがこの森に恐怖を感じ始めている。
ティアやカグヤもはっきりとは分からないけど不安を感じたようだ。リンも神経質に周りを見回すことが増えた。
三日目。
ようやくその正体に気付いたボクは流石に看過できず、みんなに報告し、最大限の警戒をするよう促した。
もちろんボクもその警戒に参加している。
決して人任せにせず、リンやテンライ、そしてハクといった面子全てを周囲に展開していた。当然カグヤに関しては、人目に付かないよう居住空間の中で待機してもらうようにしている。
そのことに加え、馬車の両脇を椿玄斎さんとレトさんミアさんが固め、御者台にレントとユイカが座っている。
ともすれば慎重過ぎる対応であり、そのせいで移動スピードがかなり落ちてしまっているけど、こうなったのは訳がある。
彼ら屈強な護衛達を、幼馴染や【円卓】の猛者達を信頼していない訳じゃない。
今の今まで気付かなかったソレは、あまりにもその気配が薄かったせいだ。危うく見落としかけた。
──その気配とは邪悪なるモノ。
彼ら普通の人族では感じる事の出来ない実体化する前の邪なる精霊の気配──すなわち邪気が蠢く気配を、この森の奥からほんの僅かに感じ取ったからだった。
「──確かに言われてみればだが、前に通った時と感じが違う気もするな」
「俺には何がどうだと言われても、さっぱり分からねぇな。ちょいと過敏になり過ぎじゃねぇか?」
「マーリン。こういう時は慎重に安全を優先すべきだよ。それに奴等邪人が出たとしても、こちらには『精霊の申し子』であるセイさんがついている。何かあっても必ず切り抜けられるはずだ」
「あ、いや……あんまりボクを持ち上げられても困るのですが」
警戒するよう進言した手前、ボクも一緒に警戒させてもらおうと思ってリンの背中に横座っていたら、馬を寄せてきたアーサーさんとマーリンさんがそう声を掛けてきた。
うちの精霊達しかり、ユイカ達しかり。
みんながみんな、ボクを何でも出来るような超人みたいに言うんだから困ったものだ。
「ほら、この道は初めて通るので。普段から邪精霊がいるような森なのか、流石に判断がつかないんですよ」
「ああ、成る程。そっちもあるか。そりゃそうだわな」
「普段から……か」
「アーサーさん。過去にこの場所で邪人との戦闘はあったりは?」
「──いや。今までそんな話は聞いた事がない。そもそもこの道は獣以外の危険はなかったはずだ」
顎に手を当てて考え込んだアーサーさん。
ボクが口を開くよりも早く御者席にいるレントから質問が投げ掛けられ、更に少し考えた後に彼はそう断言する。
「セイちゃんの邪精霊に対する感知能力がずば抜けているのは、あの坑道事件を見ればすぐ分かる。となると、やっぱ何かあるのか?」
『──お兄様、ここまで来ると既に世界樹が直接支配している領域内の筈です。やはりいくら考えても、この状況はおかしすぎます』
マーリンさんがそう呟くのを見てとったのか、ティアがボクへと念話でそう伝えてくる。
『周囲の樹木や大気に満ちるマナが思ったより少ないです。それにここの世界樹には、今樹木の精霊がいるはずなのに』
その言葉に、ボクは気になっていることを順番に訊くことにした。
『ねえ、ティア。前から訊きたかったんだけど、その世界樹というのは何なの?』
『えと、この世界の生命を支える為の役割を担っています。例えばその役割を挙げますと……。
亡くなった人族の魂を導き、星命エネルギーの流れに取り込んで浄化、再びこの現世に生まれ変わらせるという輪廻転生を行っていたり、領域内の大地の浄化とか、大気中の星命エネルギーとマナの循環とか……それはもう色々です』
『この場所の一本でそこまで!?』
『いえ、世界中に分体樹という端末があります。それとこれから向かう先の世界樹も分体樹になります』
『じゃあ本体の世界樹は何処に……っと、やっぱティアの権限では言えない?』
『……はい。ごめんなさい』
『いいよ、別に。必要な時が来るまで、そんなの知らない方が良さそうだし。んじゃ、もう一つ、樹木の精霊さんって……』
『ご主人たまぁ! たいへーん!』
ティアとの念話に割り込むように、テンライの思念が響く。
同時にこちらに向かって猛スピードで飛んでくる一条の朱金の光弾。
その光はボクの頭上で弾けるように翼を大きく広げて急停止して本来の姿へと戻り、周囲に黄金色の燐光を舞い散らせた。
その姿を確認して横に差し出したボクの右腕へと、テンライは静かな羽ばたきと共に着地する。
大きなどよめきと感嘆の声が周囲から漏れ聞こえた。
今のテンライは猛禽類のような精悍な顔付きと、前とは似つかぬ体躯へと変化を遂げている。その大きさは鷲……つまり全長八十センチほどかな。
でも大きさに比べると、その重さは全く感じない。
彼女が保有する精霊としての力で軽減しているのか、その自重は羽のように軽い。
まあ今みたいなテンライの舌っ足らずな口調は、今もなお変わらない。見た目は変わっても、実際はまだまだ生まれたての子供だし、こればかりは仕方ない。
「どうしたの!?」
周囲の人達にも分かるよう、あえて肉声を出す。
状況把握も兼ねて先遣隊と共に出していたテンライが、念話で報告せずに慌てふためいて戻ってきた。パニックになってしまったのかもしれないけど、それならなおさらの事、何かあったと見るべきだ。
そのボクの声に焦りの色が混じっているのを見て、周囲に緊張が走ったのが見て取れた。
『この先馬車襲われてたの。一緒だった人、手助け始めた。でも人の数、多くて強い。不利!』
人の数?
……まさか!?
「急ぎ戻って! 先遣の人と共に、襲われている人の救援を!」
『う、うぃ!』
再びテンライを空に放つ。
「私も行く! マーリン後は頼む!」
ボクの指示内容から緊急事態を察したアーサーさんは、馬に脚を入れ、急ぎ加速を始める。
「ハクも行って!」
『承知!』
「ミアも先行するにゃ!」
咄嗟にハクに跳び乗ったミア。そのままアーサーさんの後を追いかけていく。
「徒歩の奴は早く誰かのケツに乗るか、馬車に乗れ! グズグズしてると置いてくぞ!」
「年寄りを急かすでないわい」
「ったく、またミアは勝手に動いて!」
側面の警戒をするためにボクの馬車の両脇を走っていた椿玄斎さんとレトさん。ぶちぶち言いながらも、御者台とボクの後ろに分散して跳び乗ってくる。
その様子を確認したマーリンさんが叫ぶ。
「乗ったな!? 周囲の警戒を怠るなよ!」
その号令の元、出来得る限りのスピードで現場へと急行したのだった。