108話 二柱の娘と想い人
──エターニア──
「──愛し子よ。無理を強いてごめんなさい」
あの少年を精霊世界へと送り出した私は、まだ言葉で伝えられないこの内なる想いに俯き、誰もいなくなったこの空間でそう独りごちる。
創造神様の試練終了を利用し、総合首位を取ったあの子へ結果を伝えるという名目に託けて、私が創り上げたこの異空間に無理やり連れ込んだ。
何故か?
それは、かの者に接触し抱き締める事でその内なる魂を感じ取り、眠る娘達の状況を確認する為。
──いや、それは違う。それは正確じゃない。
私自身があの子にどうしても会いたかった。
どうしても会って直接声を聞きたかった。
成し遂げた偉業を労わる為に、あの子を抱き締めたかった。
そして苦難に立ち向かわなければならないあの子に、今可能な範囲の、出来うる限りの支援をしたかった。
そう。
どちらかというと、その気持ちの方が強かった。
創造神様が設定したあの怪物は、私の想定以上だった。
錬度の高いパーティーか、特殊な能力を持ち合わせている人物が罠に最大時間嵌まった時のみ、出現するように設定されていたあの邪精生物。
そもそも熟練者があのような見え透いた罠に長時間引っ掛かる訳がない。どう考えても、あの子しか引っ掛かる可能性がなかった罠。
その仕掛けの凶悪さと狙い撃ちをされている事に気が付いた時には、まさにその罠の場に宿泊しようとしていた愛し子がいて……その事実に目の前が暗くなった。
当然ながらこの試練において、私達の手助けや助言は禁じられている。
早く逃げてと願い続けるも、そんな心の声が届く筈もなく。
その毒牙にかかってしまったあの子が谷へと落とされた時は、視ていられず思わず目を覆った。
周囲に精霊がたまたまいなかったからよかったものの、精霊目を憚らず嗚咽を漏らしたりもした。
結果的に『セレーネ』や『レクティア』を始めとして、多くの仲間達に支えられ、邪精生物を撃破した時は思わず小躍りしてしまっていた。
既にどうしようもなくあの子に心奪われてしまい、その様子に一喜一憂して甘やかそうとしてしまう自分。
精霊の女王として、空席になっていた『エフェメラ』の新しい御子を厳しく見極めようとする自分。
世界を守護する精霊の女王としての責務と、一柱の女性としての感情の狭間で、相反する想いをしっかりと自覚しながら。
もちろん最初は、そんなつもりは全くなかった。
娘達が見出した新たな『御子』の思想と適性をチェック、そして監視するという気持ちしかなかった。
そもそも『エフェメラ』が御子に選んだ相手が男性だった事に、驚きを禁じ得なかった。
自らの身体を精霊と変え、数多の精霊と心を合わせ同化する秘技を使えるのは、『エフェメラ』の御子、しかも適性を持つ者だけ。
私の神御子であるオルタヌスにも使えない秘技中の秘技。
その特殊性から『エフェメラ』の御子には女性のみが選出されるのだと、私は知らず識らず勝手にそう思っていた。
事実、先代までは全て女性。
それがまさかの男性。
しかもどう見ても可愛らしい少女にしか見えないような、線の細い少年だった。
しかしながら、その実力は過去類を見ないほど。
精霊魔法の行使能力に卓越し、更にこれ以上ないといえるレベルの精霊適性まで備えているというおまけ付き。
数多の精霊や聖獣を率いて戦場の先陣に立つ役割をかの御子は持つ故に、その行使能力と精霊適性は絶対必須条件。その点にだけはひと安心する。
新たな御子は私自らが確認すると、世界を監視する役目の風の精霊に宣言し、決して他の精霊任せにせず、ずっとあの子の事を見つめ続けた。
あの子がこの精霊世界に来ている間は、ずっと彼の事を見守り続けていた。
一見頼り無さげなこの少年が紡ぎ出す物語を。
いつの間にか、それが義務ではなくなり。
欠かすことの出来ない大切な日課の一つとなった。
そして更に──何時の日からか。
遠くから視るだけでは物足りなくなるのに、そう時間はかからなかった。
自分でも驚くくらいあっという間だった。
あっという間にあの子の存在が私の心を占有していった。
過去、私がオルタヌスを己の御子へと指名し、神御子にまで育て上げた時には全く感じなかったこの感情。
この感情の正体に気付いた時、最初私は激しく混乱した。
遥か昔、我々七姉妹が産声を上げた原初よりも。
この世界の管理者として創造神様の指示によって私達が遣わされた時も。
今の今まで感じたことのないこの湧き上がる感情。
遅すぎる初恋。
女王の使命感や義務感ではなく、ただの一柱の女性として、あの子を欲するこの欲望。
あの子が愛おしい。
あの子を思う存分抱き締めたい。
あの子の役に立ちたい。
居城を抜け出し、あの子の元へと跳び、触れ合い、そして連れて帰りそうになってしまうくらい。
自制するのが大変なくらい。
そして私の全てを捧げたくなるくらいに。
あの子のモノになりたい。
でも今はまだ駄目だ。
娘達が見い出したあの子を。
精霊の御子としてまだ幼く、身体が不十分なあの子を。
今はまだ私の全力の想いと力を、容易に捧げるわけにはいかない。
あの子のまだ幼い身体だと、始祖精霊として隔絶した私の精霊力に耐え切れなくなり、魂を傷付け壊してしまう恐れがある。
そんなのは絶対に嫌だ。
それだけは絶対に避けなければならない。
今は慎重に。
少しずつ少しずつ育てていく。
今すぐにでも全てを捧げたい気持ち。
その感情を女王の義務と使命感で無理やり押さえ込み、狂おしいほどの愛情と焦燥感を隠して、この想いを耐え忍ぶしか道はなかった。
いつでも触れ合い、寄り添い、あの子と一心同体になれる『レクティア』と『セレーネ』に、暗い感情が湧いた事もあった。
初めてのその感情に戸惑い、そしてその感情の正体に気付き、納得した。
二柱ともズルいという感情。
私は嫉妬している。
自由に触れ合えるあの精霊達に。
自由に傍にいられるあの精霊達に。
私もあの子の傍にいたいのに、私だけ交ざれない。
傍にいたくても居られない自分。
そもそもこの女王の身で彼と一つになれるのか?
戦いに赴くあの子と共にいられるのか?
答えは否だ。
やろうと思えば出来るだろう。
その代わりこの精霊島を、また女王としての責務を捨てなければならないはず。二足のわらじなど不可能に違いない。
自由に逢いに行けないこの女王の身を何度嘆いたか。
精霊島を支えるため、この地に縛り付けられる羽目になったこの身を何度呪ったか。
かつての昔のように。
調和の精霊姉さまが女王として在位していたあの時なら。
姉さまの補佐役だった時代なら、まだ自由に動けたのに。
あの子の元へと跳んで行けたのに。
「──序列だったとはいえ、何故私は女王になる事を了承してしまったのか……」
「──今それを言っても詮無き事ですわ」
今まで何度も繰り返してきた独り言に、背後からそう返ってきた言葉。
振り返れば、私と同じく始祖精霊運命の精霊として生を受けた『フォルトゥナ』が、私が創ったこの空間の中に侵入をはたし、現出するところだった。
「姉様。いつまでこの空間に引っ込んでいるつもりですの?」
「『フォルトゥナ』が女王を継いでくれるまで」
「……今の姉様がそれを言うと、全く冗談に聞こえませんわね」
「ぶぅ。冗談じゃないもん」
「もん、って……。可愛く膨れて駄々をこねたって、無理なものは無理ですわ。それに自分の年を考えて下さいまし」
「うぐっ……酷い言われよう。
ちゃんと見た目相応の対応。私も女の子」
妹のあんまりな言い種に、口を尖らす。
現在のこの星の状態は問題だらけであり、何とか星の機能を正常を保つ為には『維持管理端末』としての役割を持つ『女王』が必要不可欠。
だからその女王を交代する為の『女王継承の儀』には、それ相当の準備と時間が必要。おいそれと出来るものではない事くらい分かっている。
だから……既に手は打っている。
「一応継承準備は勝手に進めている。後は『フォルトゥナ』の気持ち一つ」
「はぁ……。どっちにしろ女王と補佐役、維持に二柱は最低必要でしょうに」
溜め息と共に呆れられる。
「それでも割く力が全然違う。こちらに分体を残し、本体はあの子の元へ行く事も可能になる筈」
「──少しお熱を上げ過ぎではなくって? もう少し冷静に……」
「うるさい。いつでも恋人に逢える『フォルトゥナ』にはこの気持ちは分からない」
「もう、姉様ったら。それに、あの筋肉達磨がこの事実を知ったら、きっと嘆きますわよ。娘をどこぞの馬の骨になんかにやらんって泣き叫びそうですわ」
「そんなの知らない」
その言葉に、『フォルトゥナ』の神御子であるクラティスと共に、この大陸のどこかで『あの女』とその組織の足取りを追っている筈の私の神御子の顔が浮かぶ。
その思い浮かべてしまったオルタヌスの、そのはっちゃけた普段の行動や笑顔にげんなりする。
私を自分の娘のようにみているのか、いつも小さな子供扱いし、女王への敬意など一向に見せないあの男なら、さもありなん。
「ろくに調査の進捗を寄越さないオルは、少しくらい困ったら良いの」
あの『セレーネ』の襲撃未遂事件の調査に、サレスと共に派遣している。
だけど、いまだに中間報告すらないってどういうことなのか?
だんだん腹が立ってきて、ぶすっとして愚痴る。
これがあの子だったのなら……。
ついそう考えてしまう私は、結構重症だと自分でも思う。
それにもし、あの子までもがオルのように私を子供扱いしてきたら、それこそショックで寝込んじゃいそうだもの。
まあ私をちゃんと女性として見てくれていることや意識してくれていることも、さっきいろんな形で確認した。
ただ、ちょっと大胆過ぎたかとは思ったけど。実はその少し……いや、かなり恥ずかしかった。
「もう姉様ったら。惚れた殿方が出来ただけで、ここまで変わりますか」
「うるさい。それを言うなら『フォルトゥナ』もそう。
そもそもクラティスを派遣する際、逢えなくなって淋しくなるじゃないですかとか言って、散々ごねてたのはどこの誰? 『フォルトゥナ』も精霊の事言えないよ?」
「うふふ、それは当然の事ですわ。だって、このわたくしが女を捧げたお方ですもの。
──いまだに生娘の姉様と違って」
「くっ!」
一言多い!
「私だって!
……捧げる相手、今はもう決めているもの。あの子のお嫁さんになるんだもん……」
そもそも行き過ぎた加護を与えないように、額へとせざるをえなかったとはいえ、唇で触れた相手もあの子だけ。
あの子以外の存在に、この身体のどの部分も許すつもりなど毛頭ない。
あぁ、本当に……こんなにもあの子のモノになりたくて。
分かりきった事を言わせないで欲しい。
気持ちが抑えきれなくなりそう。
それに早く娘の御子の力〔精霊化〕であの子と同化してみたい。
他の精霊と違い、私は同化した事は今だ一度も無い。だからどうなるのかは未知数だけど、あの子と一つになりたいと強く想い願うのは、私の中の精霊と女性の本能だと思っている。
それに……。
あの愛し子は何かが違う。
何が変なのか良く分からないけど、たぶん魂がどこか変に思える。これ以上は私じゃ無理。
私はどちらかというと戦闘型精霊だから探知や解析が苦手だからだ。
「はいはい、分かってますわよ。御馳走様。
──さて、ここからは真面目な話ですわ。『エテルティナ』姉様、彼の中の『エフェメラ』と『ユズハ』の容態はどうでしたか?」
おちゃらけた雰囲気から一転、真剣な表情をみせ私の真名を呼んだ『フォルトゥナ』に、私も気持ちを立て直す。
わざわざこの空間に来たのは、その内緒話をするためだったのだろう。小言だけなら、戻ってからすれば良いだけだし。
ここなら絶対に邪魔は入らない。私が連れてきた者、もしくは始祖精霊しか入れない空間なのだから。
あの子の魂に触れて分かった事を『フォルトゥナ』に伝える。
「──精霊魂の中の『エフェメラ』の魂は以前と変わりなく、いや、前より回復していて全く問題ない。問題は『ユズハ』の方」
「……もしや? 悪化しているのですか!?」
「違う。どちらかというと快方に向かっている。目減りして何をしても回復しなかった精霊魂の力がかなりの量まで回復してる。
それにどこかへ欠けて消えていた精霊魂の断片が何故か戻っていて、それの修復に時間がかかっているみたい。何故こうなったのか、そもそもの原因と状況が分からない」
現在は秘匿している情報の一つ、ユズハの容態の見立てを説明していった。
元神御子・ユズハ。
彼女の事を説明するには、少しだけ昔話をしないといけない。
何度か前の邪霊戦役時、私の娘『エフェメラ』は致命傷を負った。
精霊体のほぼ全てを侵食され、その本体の魂まで消滅寸前の危機に陥った『エフェメラ』を助けたのが、当代の神御子で別の世界から来ていたユズハ。
彼女は迷わなかった。
自分の身体を完全に精霊へと創り変えた上で固定させ、更に『エフェメラ』の精霊としての魂───精霊魂だけを切り離してその身に取り込み、自分の魂と同化させたのだ。
ともすれば。
共に精霊魂が崩壊するか。
干渉しあって発狂するか。
たとえ魂の波長がほぼ同一であったとしても、私には九割以上の確率で失敗すると思えた危険な賭け。
しかし彼女達は奇跡的にも勝利した。
ただし、元々の姿を『エフェメラ』は失い、そしてユズハは精霊族の元素の精霊となり、神御子としての力を完全に失ってしまった。
だけど、ユズハのお陰で私は『エフェメラ』を失わずにすみ、そして私の娘がふたりになった。
消滅を回避しただけでなく、大切にしていたユズハも無事でいてくれて。
今度は失わずに済んだと……彼女に抱きついてとても喜んだのを、私は今でも覚えている。
一つの身体にふたりの精神が入っているというアンバランスな状態になってしまったけど、元々無二の親友と呼べるレベルで仲の良かったふたり。上手く交互に切り替わっては、色んな場所へと出掛け、王女としての責務を果たしていたと思う。
何故か一向に新しい御子を探そうとしなかったのはいただけないけど、確かにそうそう見付かるものでもない。
そこは気長に待とうと思っていた。
それがおかしくなったのは、前回の邪霊戦役の前。
別世界から来ていたユズハは、長期に渡って『眠り』につく事があった。そしてあの出来事以来、その性質が『エフェメラ』にも出てしまうようになっていた。
その度に分体を活用し、精霊島で眠りについていた娘達だけど、やはり無理が生じていたのか、ある日突然全く目覚めなくなった。
最初はそのうち起きるだろうと思っていた。
けど、一年が過ぎ、十年が過ぎ──百年が過ぎても娘は起きない。
焦った私達は何とかして『エフェメラ』を目覚めさせようと、色々な方法を試すも効果はなく、年月だけが過ぎていく。
言い訳になるけども、自分でなんとかしようとせず、もっと早くに創造神様を頼ったら良かったかもしれない。
娘の容態回復に掛かりきりになってしまったが故に、奴に隙を突かれ、不意討ちを食らう形で邪霊戦役が発生してしまったのだ。
当時エインヘリア帝国の東方に位置していた獣人種達の国ベスティア王国が侵略され、たった数日で王都が陥落し、地図から消えた。
しかも最悪なことに、態勢が整っていなかった私達も雷鳴の精霊や静寂の精霊、そしてベスティア王国にあった世界樹の分体樹一つと樹木の精霊をいきなり失う事態となった。
こちらの貴重な戦力が欠け、その力と名を受け継いだ新たな精霊達は、まだ精霊としての力の使い方や戦いに不慣れで未熟。
それに『エフェメラ』の御子がいないと、ろくに戦場に出れない『セレーネ』をどうするか、大いに頭を悩ませた。
本当は『セレーネ』にはいて欲しい。彼女がいるといないとでは、例え御子を通さなくても、その戦力に雲泥の差がでる。
だけど、姉の太陽の精霊と違って戦い向きの性格ではなく、むしろ人見知りで臆病な部類にはいる。
結局『フォルトゥナ』の意向もあり、少なくとも『エフェメラ』が目覚めるまでという条件の元、前線から遠く離れたプレシニア王国の西方の山奥へとその眷属と共に一時避難させる事とした。
また成人の儀の祭典の途中で雷鳴の精霊の名を受け継ぐ羽目になった草原妖精種族の姫『レクティア』には、精霊島で眠り続ける『エフェメラ』の世話役とし。
そして幼すぎる樹木の精霊については、プレシニア王国にある世界樹神殿の奥深くへと匿う事にした。
戦禍はエインヘリア帝国に移っていく。状況はかなり悪く、多くの人族が犠牲になっていった。
プレシニア王国とヴォルガル王国の支援を受けたエインヘリア帝国は、元々の国力もあってか、何とか膠着状態に持ち込む事ができ、しかしお互いに打つ手が無いまま小競り合いが百年も続くこととなった。
──そんな中、実に三百年弱の時を経て、ようやく娘達が目覚める。
これで反撃出来るだろう。
そう思いはした。
目覚めはしたけど、状況は良くなかった。
ふたりの娘は何故かその精神と精霊力を大きく摩耗し、戦える状態ではなかったからだった。
ユズハとエフェメラの精霊魂は何故か大きく欠けており、酷く消耗していて戦いに出るどころか満足に動くことすら出来なくなり、ふたりが互いに支え合わないと、存在の維持すら難しい状態に見えた。
そんな状態で戦いに出るのは自殺行為。
それでも人を守るため戦いに出ようとする娘達を、私は必死に精霊島へと留まるよう説得し、呼び戻した生命の精霊の治療を受けさせた。
そして最終手段を──天脈を流れるこの世界の星命エネルギーの中を巡るこの精霊島を、地脈の星命エネルギーの吹き出し口である星命穴へ一時的に避難させ、私自らが無理にでも出撃しようと決断したその時、事は起こった。
当時のエインヘリア帝国傭兵部隊に志願してきた一人の青年が途中で勝手に単独で行動し、いきなり戦況を引っくり返したのだ。
たった一人で奴らの陣地に潜入し、死方屍維八鬼衆の長ユーネ・サイジアを撃破。瀕死の重傷に追い込んだ……らしい。
らしいというのは、私達では危険すぎて、直接奴らの陣営の様子を視認出来ないから。
風の精霊がいうには、急に奴らの陣営の地形が爆発し崩壊、邪軍は瓦解し、その期を逃さず攻め込んだ神御子オルタヌスとクラティスが率いる軍勢が勝利した。その結果しか分からない。
奴らはいずこにか去り、最大功労者であるその青年も戦闘の経緯は黙して語らず、ただ逃げられたとのみ伝えてきた。
急ぎ立ち去ろうとする彼を引き止め、戦に協力してもらったお礼にと何か出来る事はないかと聞いたところ、人族の少女を探して世界を回っているらしい事だけは聞けた。
そこで世界を回る為の手助けになればと、国家間越境を自由に出来るよう、そして国家の協力を得やすいようにと、私の署名と精霊力を込めた手形を渡すことにした。
──そうして、そのカイと名乗った青年は戦場を去り。
戻ってきたオルタヌスも黙して何も語らず、実際に現場で何が起こったのかは理解出来ないまま、あの戦役は終息を迎えた。
精霊島で療養をさせ続けさせた『エフェメラ』は、無理は禁物ながら、たまに短時間なら下界に出れるような体調になった。
あとは御子を見付ければ、その身体の負担も軽減されるはずだから、出来るだけ急いで見付けるよう口うるさく言う。
そんな折、急に創造神様の方から通達があったのが、例の別世界からの住民の受け入れで。
元々ユズハがいた世界だ。
私達精霊の協力者も増えるかもしれない。
そして、奴らに協力する愚か者も増えるかもしれない。
どうなるか分からない未来に頭を悩ませながら、私は受け入れ体制を全精霊に伝達、世界の住民へと託宣させた。
そして、一年の時が過ぎ……。
──あの子がこの地に降り立ったのだ。
「──という訳で、あの子の〔依り代〕の中でエフェメラとユズハの二柱の魂が内包していた一つの精霊魂がきちんと二つに分離し、それぞれの精霊魂に本来の精霊力が戻りつつある。目覚めないのは、恐らくまだ時間が足りないのと、力の不足、あと切っ掛けが足りないせいかと」
以前の『エフェメラ』を例えるなら、無理やりに異なる粘土を二つにくっ付けて強引に塊にしたような状態だった。
つまり無理やり『融合』していた。
それがどういう訳か、本来有るべき魂の形へと綺麗に形成されつつある。二つに分かたれ、『同居』という形で。
これがあの子の持つ力なら、それこそ感謝したい。流石私の愛し子。本当に堪らない。
今もまた。
あの子の成した事を考えた瞬間、愛しい想いがこみ上げてきて。溢れて決壊しそうになるのを、必死で堪えないといけなくなっている。
「……成る程。やはりソルとアニマの協力が必須ですわね」
説明を終えた私の言葉を反芻しながら、『フォルトゥナ』は暫く顎に手を当てて何かを考えていた。
その間に昂ってしまった気持ちを何とか落ち着かせて、面に出ないよう抑え込もうとする。
この気持ち、本当に難儀。
「ソルはともかくとして、アニマは今何処に?」
「今は王都プレスに滞在している。星誕祭の準備があるからと」
「居場所がはっきりしているのは助かりますけど。この間終わったばかりで、まだ半年以上も先の事でしょうに」
「次回は節目の時と聞いた。派手にいくらしい」
「成る程」
「ソルが見つからなかったとしても、問題なくアニマに会えるよう段取りをしておく」
「分かりましたわ。これで例の対応は何とかなりそうですわね」
妹の言葉に、私も胸を撫で下ろす。
避難させていた『セレーネ』の屋敷を狙ってきた事実に、警戒を強めてきた。
神御子とサレス、そして聖獣の一角フェンリルを派遣したのも、やり過ぎではない。
それは百年前の再来。
早く『エフェメラ』の容態を何とかしないといけないとしてきた私達にとって、明るい材料になった。ようやく先の見通しが立って、少しは報われた気がする。
「まあ、今日は姉様もお疲れでしょうから、ゆっくり休んで下さいませ。
──そうそう。わたくしの名でちゃんと姉様の寝室周り、精霊払いしておきますから。今日は抑えなくてもよろしくてよ」
「ぇ?」
一瞬何を言われたのか分からなかった。
「……なっ!?」
けど、そこに含まれる言葉の裏に気付くと同時に、みる間に顔に血が集まっていくのを感じた。
「だって、ねぇ……。
もしあの声を聞いてしまったら、その精霊がかわいそうでしょう? しかも悪戯っ子の耳に入ると、間違いなく全精霊に広がっちゃいますわよ」
「っ!? うーーっ!!『フォルトゥナ』の馬鹿ぁ!! もう知らない! 私帰る!」
ニヤニヤ笑っている妹を真っ赤な顔で怒鳴りつけると、自室へと空間を跳んで逃げ込む羽目に。
本当もう最悪!
舞台の裏側の話で、色々と内容が濃くなった回でした。
次は掲示板の予定です。