104話 お引っ越しです
たわいない話を二人としていると、女性陣がお風呂から上がって来たようだ。先に隠れるようにして上がった事に対して、姉さんにぶちぶち文句を言われるが、適当に言い訳しスルーする。
全員の準備が終わったのを見て、下手な混乱を避けるため、本館に戻る前にティアが顕現化を解除する。と同時に、その姿がこの場から消え失せる。
ティアから届く念話によれば、ボクの右側にずっといるそうなんだけど、精霊眼の力を封印された今のボクにはその姿が全く見えない。
しかも獣人種の超感覚を持ってしても、ここにいると分かっているのに、微かにしか気配を感じ取れないのよね。
昔よく姉さんが「上級精霊になかなか会えないのよ」と愚痴っていたが、彼女達が近くにいても気付いていなかったり、下級精霊と誤認したりというパターンが多そうだ。
そう考えると、やはりエルフの持つ精霊眼って偉大だね。その分、デメリットきついけど。
そんなこんなで、みんなでぞろぞろと本館へと戻る。
フロントへと鍵を返却した際に「お風呂上がりに声を掛けてください」と言われていたから、次の部屋の鍵を借りる為にボクが代表して声を掛けたんだけど。
何だか妙にガチガチに畏まっていた受付の人から「しょぉ……少々お待ちくじゃちゃい!」と、噛みまくった応対をされ、隣にいた別の仲居さんが大慌てて奥に引っ込んだ。
「……ねぇ、レント。もう街を出て旅立っていいかな?」
「どこ行く気だよ。諦めろ」
さっきの時と全く違う中居さん達の緊張してガチガチに固まった態度に、この後の流れが読めてしまい、精一杯の抵抗として愚痴をこぼす中、現れたのがこの宿の女将さんで。
しきりに恐縮されながらも、奥まった場所にある別館に案内された。
その建物の入口にずらりと並ぶ中居──いや割烹着に似た姿の女中さん。その背後にあるのは、質の良い装飾が施され、またその館内にはヒノキの柔らかな薫りが漂う平屋の宿だった。
その中へと案内され、見事な庭園の中を渡る廊下を経て、最奥の豪華な和室に通される。
どう考えても迎賓館としての機能を持つこの建屋、その貴賓室の内装を見てあまりの事に固まって声も出ないでいると、義兄さんがどういう事なのかと女将さんに確認してくれた。
それによると、ついさっきこの街の領主直属の使用人がこの宿にやってきて、書状を持ってきたらしい。その内容は、本日予定されていた守衛さん、いや領主直属の騎士団との面会と同時間に、領主も同席しても構わないかとの問い合わせだった。
それと同時に、ボクの事を『お忍びでこの街へ当時にやってきたやんごとなきお方』として対処するようにとの指示があったそうだ。
しかもボク達の滞在費用は、全て領主の私財持ちになるそうで。
あと、壊したドアの弁償代まで返金しようとしてきたので、それは何とか辞退している。
更に「御付きの方々もこちらの建屋にお移り下さい」とまで言われた。
あーあ。どんどん事態が大事になっていくんだけど、どうするのよこれ?
この状況に脳が勝手に現実逃避を始め、魂が半分抜けてしまったボク。
姉さんに手を引かれて奥の長椅子に座らされたボクが茫然と眺める中、レントが今日の予定を女将さんに伝えて『了承』の返答を出し、女中さん達が朝食の用意をしていく。
周囲よりも一段高く作られている畳に掘られている、豪華な装飾の施されている掘り座卓。その卓上に並ぶ朝食とは思えない豪勢な料理の数々が並んでいく。
一通り準備が終わった女将さん達が恭しくお辞儀をして引き上げていくのを見て、さっきまで顕現化を解除していたティアが、ボクの腕の中で実体化をおこなった。
「お兄様、何かあればティアがいつでも手伝いますから」
「……うん、いつもありがとう。頼りにしてる」
ボクの膝の上に座るようにして顕現したティアの励ましの言葉に、ようやく思考が再起動を果たした。少々情けなく思いながらも、彼女のあたたかな温もりに思わずそっと抱きしめ返し、ボクは恵まれている事を再認識する。
本当にティアには頼りっぱなしだよなぁ。
他のみんなにも。そして、レントには特に。
「……セイくんはティアちゃんとのんびりしてて。わたし達、これからレトさんとミアさんをちょっと手伝ってくるね。先食べてていいよ」
義兄さんとレトさん達がこの建屋に引っ越しを行う為に部屋を出ていったのを見て、ティリルはみんなを手伝うべく、ユイカと一緒に出ていくのが見えた。
そして、この部屋にボクとティア、姉さんとレントだけが、部屋番として残る。
うーん、先に食べててと言われてもなぁ。
みんなで食べたいんだよ、ボクは。
折角の料理が冷めないようにと、時間の止まる虚空の穴の中に全て収納する。虚空の穴って、マジ便利。
「──しかし、この別館丸ごと俺達に貸し出しか。豪気な話だな」
「さっき案内してくれた女将さんが、セイちゃんの事を巫女様と言っていたじゃない。あの女将さんの話では、昨夜使いの者から話を聞いた後、折を見て、この建屋に変更することを予定していたそうよ」
「そりゃそうですね。領主の一件の前にも、情報が伝わったはずですし。ただ、こいつ夕方からずっとぐーすか寝ていたから、いくらなんでも巫女様を叩き起こしてまで、部屋交換しようとはしないよなぁ」
「私達が泊まっていた部屋なんて、こことは大違いよ。これが私達とセイちゃんの人徳の差よね」
「……あのね。これ人徳とか関係ないから。レントも姉さんもそんな適当な事言わないでよ」
二人の会話にどうせ無駄だろうなと思いつつも、取りあえず突っ込む。
「それはともかくとしてだ。セイ、こういう場合の対応の仕方、早く慣れていかないと、今後が辛いぞ?
この後、アーサーさん達と王都行きが決まってるからな。間違いなく、コレと似たような事になる」
「うぐっ」
レントの言葉に思わず呻く。
精霊女王様の感応石を見せる為に王宮へ行くとなると、やっぱり正体を明かす事になるよね。それも今度は王族貴族相手に……。
うぅ、だんだん行きたくなくなってきた。
「どうせこのイベント中は、たとえ失敗しても元の世界への影響は全く無いんだ。権力者と会う為の練習だと思えば良いんだよ」
「……ぶぅ」
いいもん。失敗したら、レントに後処理全部押し付けてやる。
「あら、あの円卓の人達と一緒に王都に行く気なの?」
「ええ。道中の道案内と護衛を依頼していますよ」
ボクがいじけてティアに慰められている間にも、レントと姉さんのお喋りは続く。
「いいなぁ。私もセイちゃんと一緒に行きたいけど、これが終わったらエインヘリア帝国の『帝都マクスラグナ』へ向けて集団遠征があるのよね。部隊編成準備も行わないといけないし」
「もしかして拠点を帝国に移すんですか?」
「いえ、支部を設立しに行くのよ。メインにするかは、今後の展開次第ね。最終的にはもう一つの国家、ヴォルガル王国にも拠点を置くつもり」
「ヴォルガル王国というと、確かドワーフ達の王国か。源さんが大喜びしそうだな」
ヴォルガル王国というのは、ドワーフの王が治めるこの大陸にある三国の一つ。鍛冶や細工を中心とした鉄と炎、そして酒を象徴とする山岳国家で、また北の方に位置するため非常に寒い地域らしい。
姉さんがいうには、鉱物資源の産出とその精練と加工で成り立っている国家でもあるため、まさにボクの天敵のような存在になりそうな感じがする。
源さんは多分無理しても行きたいのだろうけど、ボクとしては、本音を言うとあまり行きたい国じゃない。
「そそ。そっちは海人が今一人でルート開拓を行ってるわ。プレシニア王国から向かうのはかなり厳しいらしいから、帝都マクスラグナ経由で向かう事になるわね」
「──兄さんが?」
海人兄さん、もとい、うみんちゅ兄さんの話題が出て、思わずボクも会話に入る。
「てか兄さん一人で? なんでそんな事やってるの?」
未踏破エリアを一人で歩き回るなんて、そんな自殺行為よく出来るもんだ。
「あら、海人の職とかスキル聞いてないの?」
「訊いたけど、教えてくれなかったんだよね」
「あらま、珍しいわねぇ。セイちゃんになら、喜んで教えてると思ったのに。ふーん、そうね……」
ボクの返答に、姉さんは思案顔になる。
「海人が言っていないなら、私が言うわけにはいかないわね。まあ、ソロの方が色々と段取り良いのよ、アイツ」
「そんなモノなの?」
そんな職業もあるのかと首を捻っていると、
「よし、今日の会談のシミュレーションするか。セイ、昼まで練習するぞ」
「うげっ。やっぱりやらなきゃ駄目?」
「お姉ちゃん達はね、セイちゃんに恥かいて欲しくないのよ。ティアちゃんも、自分の大好きなお兄様の格好いい凛とした姿が見たいわよね?」
「ええっと、その、はい……」
ううっ、仕方ないか。
姉さんの説得に諦めて、訓練を行うことを同意した。
レントと姉さんを相手に見立てて練習を繰り返していると、ようやく引っ越し組が帰って来たようだ。途端に騒々しくなる。
これじゃ練習がしにくいな。
よし、中断していったん朝御飯にしよう。