103話 巫女と御子
ティアが目を擦りながら起きたのを皮切りに、ユイカも起こす事にした。
休みの日とか起こさないで放っておくと、昼近くまで寝てしまうユイカだ。彼女の場合は、自発的に起きるのを待っていられない。
扉を壊したせいで部屋交換を行う事になっているから、彼女を置いていけないと理由もあった。
寝起きでぐずる彼女に「みんなお風呂行くんだけど、ユイカだけ行くの止める?」と意地悪な事を言いつつ、部屋を引き上げる準備を始めた所で、タイミングよく姉さんまで押し掛けてきた。
さも当然の事のように、姉さんも一緒に行くと言い出して、あの露天風呂へとみんなで向かう事に。
脱衣所に着いた後、ボクの目の前でも全く気にしないでインナーだけの姿になり、棚の水晶に触れて湯浴み着になっていく彼女達。
いくらTシャツタイプやチュニックタイプのウェアにショートパンツという全く問題ない姿とはいえ、自分好みのインナーに改造しているせいで、妙に薄着で開放的な姿の彼女達をじろじろ見るのは気が引ける。
床を見ながら彼女達をあまり見ないようにして、ボクの後を従者のように半歩遅れてついてくるティアと共に、出来るだけ隅の方へとこっそり移動して、彼女達が全員浴場へ移動するのを待つ。
あの水晶を起動するには、インナーだけの姿にならないといけない。ボクの場合だと、人前で下着姿にならなければならないので、流石に恥ずかしくて躊躇してしまうんだよね。
みんなが居なくなってから着替えようと、ボクだけ浴衣のままで待っていたら、
「セ~イ~ちゃん。えい♪」
「ひゃあっ!?」
そっと背後から忍び寄ってきた姉さんに帯を引き抜かれ、浴衣を剥ぎ取られてしまった。
「あら。黒のレースとか、随分派手ね」
「おー、セイにゃんやるにゃね。レント君誘惑するための勝負下着かにゃ?」
「ち、違います。これ自分の意思と無関係に、勝手に毎回変化するんです」
みんなの視線がボクに集中するのを感じて顔を真っ赤にさせながら、慌てて棚の水晶を起動させ、前回と同じように湯浴み着を纏う。
そして文句を言おうと、背後にいる姉さんに振り返り、
「ちょっと姉さ……わぁっ!?
何で何も着てないんだよ!」
全く何も着ていない肌色全開の姉さんから、慌てて目を横に逸らす。
「お風呂に入るからに決まってるじゃない。おかしなセイちゃんね」
首を傾げる姉さんの様子に、ボクは天を仰いだ。
いや、おかしいのはそっちだって。
いくら血の繋がった家族とはいえ、嫁いだ年頃の人妻が素っ裸で何堂々と弟の前に立っているのよ。
ボクに対して何も隠さず、そして羞恥心の欠片も見当たらないその姿に、頭痛を堪えながらも訊く。
「──湯浴み着は?」
「コード外してる私にあるとでも?」
「これ、コードがない人でも使えるから。ほら、ティアも湯浴み着を着ているでしょ。だから姉さんも着て」
ボクの横にいる同じ湯浴み着を纏ったティアを指差して、姉さんに湯浴み着を着せようとする。
姉さんもボクも同じくコードが無くなっているんだけど、ボクの場合はちょっと特殊で、精霊女王様が作成したこの加護衣の下着部分だけが湯浴み着に変化するパターンだ。
そして、ティアみたいにそもそもコード自体がない人は、自分で着ないといけないとはいえ、きっちり体型に合わせた湯浴み着が支給されるようになっているのよね。
恐らく姉さんも後者になる。
「湯浴み着って色々面倒なのよね。ほら、翼が邪魔しちゃうし。それに私の可愛いセイちゃんだもん。いくら見られても問題なんてありえないから、このままでいいでしょ?」
「……そもそもその発想自体、世間ズレしている事をいい加減理解してよ。頼むから」
何回同じ事言わせるんだよ、この姉は。
「理解してるわよ。世間に合わせる必要性を感じないから無視しているだけで」
「もっとタチが悪いよっ!?」
「大丈夫、心配しないで。セイちゃんと旦那以外にこんな事しないから。
それにね。もしここにいるのが海人や他の野郎だったら、ちゃんとぶん殴って再起不能にした上で衛兵に突き出すから心配しないで」
「だから何でボクが大丈夫な方の選択肢に入ってるのさ……」
ホント疲れる。
大きく息をついたボクは、姉さんの手を無理やり取って棚の水晶に押し付けた。
軽やかな音と共に、有翼人種用の湯浴み着が棚の下から出現する。
それを姉さんに放り投げた。
「ほんと面倒ねぇ……。
──そうだ、セイちゃんの手でお姉ちゃんに着せて欲し……」
「ティア、お願い」
「……分かりました」
最後まで言わせず、ティアに任せる事で逃げた。
脱衣所で着替えるだけでコレなのに、浴場の洗い場で問題が起こらない訳がなかった。
インナーに付随しているコードが正常な働きをしている未成年組は、湯浴み着を脱ぐことが出来ない為、髪は洗えても身体は洗えない。
なら、どうやって身体を洗うのか?
その答えがこの洗い場にも設置されている水晶にある。
この水晶を触るだけで『清浄』の力が発動して汚れが落ちるシステムになっているのだ。風情も何も無いけど、コレばっかりは仕方ない。
でもコードが壊れちゃっているボクは、それに触っても全く反応しなかったからね。そのせいで、前回は大変な目にあった。
そして、今回も……。
自分の意思でコードを外している姉さんとボクの世話係を自任しているティアが、泡立てたスポンジを持って迫ってくる中、「私も手伝う」と騒ぎ出した他のみんなまで洗い場にやって来て、しっちゃかめっちゃかな騒ぎになった。
この状況を客観的に見るとだ。
右も左も分からない狼の獣耳と尻尾がついた裸の女の子(元男)を浴場へ連れ込み、その身体を洗おうしてスポンジと場所の取り合いを始める女性達というこの図式。
うん、やっぱりこれは駄目だ。
いくら何でも色々アウトだと思う。
姉さんを始めとして、寄ってたかってボクを洗いに来る女性陣の猛攻を固く目を閉じて必死に耐えながら、その嵐が通り過ぎるのを待つ。
あまりにキャイキャイ姦しく騒ぎ過ぎて、男湯に入っていたらしい義兄さんやレントから壁越しに苦情が飛んでくる始末だ。
こんな朝っぱらから、よくそんなテンションで騒げるなと思ってしまう。
ようやく解放されたときには、ホント歩くのも嫌なぐらいぐったりだった。
そんなボクの様子を見て、姉さん達をボクから引き離してくれたティリルに感謝しつつ、元気にはしゃいでいるみんなとは少し距離を置いてお湯に浸かった。
今は彼女達の注意が逸れているけど、また出る時にひと悶着あると思うと、今から憂鬱な気分になる。
リラックスする為にお風呂に入っているのに、逆にストレスを溜めているこの状況は正直よろしくない。
出来る事ならば、お風呂くらいゆっくり寛ぎたい。溜め息ばかりが漏れる。
ボクの溜め息に、ボクの隣でティアが申し訳なさそうにしていた。でもこれはもちろんティアのせいじゃない。
ティアには「全く気にしないでいいよ」と言って、ボクの膝の上へ乗せ、その頭を優しく撫でてあげる。
寄り添うようにして甘えてくるティアに安らぎを感じつつ、その後周りの隙をついて、こっそりとふたりで脱衣所へ逃げる。
長湯派のボクとしては、カラスの行水に近いんだけど、ふたりして先に上がった理由は言わなくても分かるはず。
浴場から出る際に、ボクのMPが一瞬減ってすぐ回復したことから、ティアが何らかの力を使ったようだけど、それが何かまでは分からなかった。
まあ〔体力魔力常時全回復〕の効果で、ティアがボクのMPを使いたい放題になっているのは、先の【リア獣】の一件でよく分かっている。
この点がボクと他の同郷者より有利な点でもある。これはズルいと言われても仕方ない。
まあこれは、召喚士や従獣士の人達もクリア前に召喚しておけば多分出来ることだから、それほどでもないか?
とはいえ、余計な情報を掲示板に流して、これ以上目立ってしまうのもマズい。大人しくしていた方が良さそうだ。
ティアと共に脱衣所に逃げ込んだボクは、彼女の手を借りながら急ぎ身支度を整えて、外の大広間で他のみんなを待ちながら涼む事にした。
ちなみに、脱衣所にドライヤーみたいな形状の魔道具が置いてあるんだけど、これで濡れた髪を乾かせるんだ。魔力を注ぐと音もなく温風を吹き出すそれを、少々拝借し持ち出す。
外の広間で乾かそうと思い、さっさと脱衣所から出ると、義兄さんとレントが既にそこにいて、何やら話し合いをしていた。
そういやこの二人、ボクと違って長湯をしたがらないタイプだったな。
ボクとティアがお互いの髪を乾かし合ってる作業の傍ら、レントは坑道の事件の話を義兄さんにしていた。
その話が終わり、彼らが他愛のない話に移行したのを機に、昨日ボクが知らない顛末を訊いた。
「昨日の後? そういえば、セイはあの後ずっと寝ていたんだったな。ちょっと面倒な事になっているし、後で話そうとは思っていたんだが……今聞きたいか?」
義兄さんはそう確認を取ってきたので、ボクとティアは顔を見合わせた。
そんなに大事になっているの?
あのならず者が捕まっただけなのに。
少し考えたけど、ボクの今日の予定に絡んでいそうだから、ティアとふたり並んで座り、姿勢を正して聞くことにした。
「俺には最初意味が分からなかったんだが、あの時駆けつけてきた衛兵がお前の事を『精霊王女の巫女様』と呼んでいただろう?」
「うん。あの戦いに参戦する際、大規模召喚を行使する為の力を増幅しないといけなかったから、ありったけの意思を込めて宣誓したんだけど、どうもそれを聞いていた人がいたみたいで……」
あの城壁上の近辺に人なんていなかったから、安心して使ったんだけど、まさか聞いている人がいるとは思わなかったんだよ。
「それが原因だな。その前口上をビルマと名乗ったあの女性衛兵の部下が聞いていたらしい。詰所でそう説明を受けた」
「うっ、やっぱり……。
でもこの世界は平行世界だから、本来の世界に影響は全くないはずじゃ……」
「それがだな。正直言いたくなかったんだが……。
──セイ、お前は他のプレイヤーやこの世界を甘く見過ぎだ」
「えっ? どういうこと?」
ボクの問いに答えず、レントは手元で何やら操作を行って自分のメニューを可視化し、ボクに向けて展開してきた。
表示されているのは掲示板のレス。言われるがまま、示された部分を読んでいく。
そこに書かれている内容を要約すると、ボクがリンから飛び降りて力を解放した時、その言葉をこの街の斥候兵が聞いていたという情報が掲載されていた。
あらら、掲示板にまで載っちゃっ……掲示板!?
「今回の件は全て調べられた上、掲示板に書かれた。全プレイヤーに広まるのも時間の問題だ」
「うわぁ……」
「そしてあのビルマという衛兵の話を要約すると、『巫女は精霊の御言葉を賜る存在とあってか、国王並みの発言権と祭事等の一部権力を持つ。仕える精霊による序列もあるが、歴史上ここ数百年もの間表に出てこなかった最上位の一つである『精霊王女』の御名とその『巫女』の存在が確認されたとあって、蜂の巣をつついた騒ぎになった』ということだ」
「うぐっ」
「ただそんな巫女が僅かな侍従のみでこの街を訪れた……御忍びの旅と察したのだろうな。そこであのやり取りでこちらの意思の確認を行い、詰所で再確認をされたよ。大っぴらにしたいか、隠したいか、だな」
当然隠して下さい。平穏でいたいです。
「当然御忍びでお願いします。あ、偽者かどうか疑われたりは?」
ほら、ボクはどこかに所属している巫女じゃないんだから、裏を取られたらまずいような気がするんだけど。
「この精霊第一主義の世界で『精霊の巫女』を詐称する事は、世界を敵に回す行為だ。国の威信をかけて一族郎党全て捜し出し全員死罪にされる程の大罪だそうだから、よほどの馬鹿でも無い限りそんな事をする者はいない。それをお前は否定せず、堂々と淀みなく対応したことで、確信を持ったと言っていたな」
それってもしかしてちゃんと対応してなかったら、逆にヤバかったんじゃないだろうか?
ほら、城壁の上で『ミコ』違いとはいえ、宣言しちゃったし。
あ、でもこれどっちに転んでも、終わってるじゃないか。どうすんの?
「どっちにしろ、あの尋常じゃない精霊の数を召喚し、制御してみせたセイだ。元々むこうさんにとっては、街ごと全滅も覚悟した程の邪精獣から街を救ってくれた巫女様一行だ。疑う余地も無かったんだろうな」
「うむ。ただ、俺はセイの職業名すらまともに聞いてなかったからな。今日の会談の事前準備として、また今後の為にも、さっきまでレント君と意見のすり合わせをしていたのだ」
「セイ、クマゴロウさんなら教えても良かったよな?
それと掲示板の方は、女の方の『巫女』の方で勘違いさせておく」
「義兄さんに教えるのは構わないけど……掲示板の方、なんでバレてるなら正しい『御子』の方にしてくれないんだよ。別に女性であっても『御子』はおかしくないんだけど?」
「お前な……むしろ今の勘違いのままの方が良いかもしれん」
「なんでさ!? そんなにボクを女の子扱い……」
「落ち着いて最後まで聞け。エフィ……いや、エレメンティアが『この大陸にお前しかいない』と言ったのを覚えているか? それに巫女には序列があるとも言ったな。
つまりそれは各国に数人もいる『精霊の巫女』より、『御子』のお前の方が格上の存在である事を意味しているんだぞ」
「……えっ?」
そう言えばと思い出す。
確かティアを助けに行くときに、エフィに言われたんだっけ。
それによく考えれば、他にもおかしい点がまだある。
事あるごとにティアがボクの事を『お姉様の御子だから、私より立場が上』と言っている点だ。
自分の巫女へと託宣を行う立場の上級精霊達。その中の一柱である雷鳴の精霊が、ボクより立場が下だと言うなんて普通じゃありえない。
この時点でレントの推測は確定に近い。
「そういえばティアが……自分よりもボクの方が格上って……」
「おい……上級精霊よりも格上って、そんな重大情報……絶対黙っておけよ」
ティアがボクを普段から『様』呼びしている事の意味に今更ながら気付くと、レントは頭痛を堪えるかのように顔をしかめた。
「『巫女』でこの騒ぎだ。本来の『御子』でバレていたら、もっとヤバかったかもしれん」
「すまん、口を挟む。
セイ、そもそも『御子』とは何だ? 今言われている『巫女』とはどう違って、この世界での立ち位置はどうなんだ?」
「どうと言われても……」
「それに『精霊の巫女』とやらは、今回みたいな事を行える程の実力者なのか?」
「……分からないよ」
義兄さんの問いに、ボクは口ごもる。
そう言われると、全く理解していない。それに詳しい説明を受ける前に、精霊王女であるエフィが眠りについてしまった。
あの眠り姫を起こさない限り分からな……。
と、つい思わず傍らのティアを見てしまった。
ボクのその視線の意味を正確に察したティアは、畏まった言葉使いで申し訳なさそうにその口を開いた。
「お兄様、申しわけございません。御子に関しては、精霊女王様や運命の精霊様、そしてお姉様──精霊王女様の御許しがありませんと、私などが口に出来る案件ではございません」
「……うん、こっちこそごめん。ティアが謝ることじゃないよ。それに、そんな畏まらないで欲しいな」
「……はい」
それでも恐縮し続けるティアの頭を撫でてあげる。
「あ、あの……私の事なら。私の事だけでしたら、お兄様とそのご友人に言えます。
現在『雷鳴の精霊の『巫女』は全世界に十二人いますが、誰もあのような事は出来ませんし、お兄様のお力の足元にも及びません」
「ティアには『御子』いるの?」
「私は『御子』を取れる立場にありません」
その様子をみたレントは、小さく息をついた。
「やはり鍵はエレメンティアか。謎の昏睡状態に陥った彼女を目覚めさせる為には、確か太陽の精霊の力もいると。間違いないな?」
「そうだね。結構あちこちフラフラしているそうだから、本人探すより眷属に訊いた方が早いって、運命の精霊様から聞いてるよ」
「そもそもどんな精霊なんだ?」
「狭間で会ったユイカが言うには、ちっちゃくてワハハな子だったって」
「お前な……その説明ではさっぱり分からん。理解出来る言葉で言え」
「それボクじゃなくて、ユイカの発言だからね。ボクだって意味分からなかったから、ちゃんとカグヤやティアに確認してる」
まあ精霊達に言わせると、あながち間違ってはいなかったけど。
もう少し詳しく訊いたところ、黄金色の髪を赤いリボンでポニーテールにした、小柄で無駄に元気のいい少女らしい。
それと「赤いマフラーを首に巻いているともっと似合う」とサレスさんは言うけど、なんの事か全く意味不明だ。
まあボク一人で探して会う訳じゃないからね。ティア達も教えてくれるだろうし。
そのボクの説明に、呆れた顔のまま一つ頷いたレント。
「まあいい。取り敢えずそれに関してはまだ先の話だから置いておくとして、今日の予定なんだが……」
「詰所に行くんでしょ?」
「いや、この宿に待機になった」
「なんでまた?」
「昨夜、彼らの方からこちらに昼過ぎに伺うと伝言が届いた。まあ普通に考えたら、誰でもそうするだろう。何せこちらにいるのは、彼らの言う『精霊の巫女』なのだからな」
義兄さんにそう言われて納得する。
そりゃそうか。相手から見たボクは、お忍びでこの街に来ている巫女。そんな人物を呼びつけるなんて、以ての外と考えたのだろう。
ボク自身そんな自覚は全くないし、正直どうでもいいんだけど。
「午後から来るそうだから、それまでに準備しておくか。取り敢えずお前が泊まっている部屋で段取り組むぞ」
「良いけど……あ、ちょっと待って」
立ち上がって先に行こうとする義兄さんとレントに待ったをかける。
「どうした?」
「その……ちょっと部屋の扉壊したんで、別の部屋に交換中なんだよ」
「は?」
「この後新しい部屋の鍵をフロントに取りに行かないといけないし、みんな場所分からないから、全員揃うまで待って」
「……お前何やったんだよ?」
心底呆れた声。無言のままで表情が分からないけど、義兄さんからも呆れ果ててるような気配が。
「黙秘権を行使します」
とはいえ、これってやっぱりボクが一番悪いんだろうなぁ。