100話 これからも
本日2話目の投稿です。12時に投稿した99話『傷痕』を読んでない方は、そちらからよろしくお願いします。
「──様……イ様……セイ様!」
──なんだっ……。
これ以……らを……俺は……。
──だ、だれ?
や、やめて……ボクはもうこれ以上……。
「……ぁ……あ?」
「原因は倒しましたから! もう大丈夫ですから!」
この身体を押さえ込むように強く抱きついてきて、大声で呼び掛けてくる誰か。
視界が更に歪んでいく。
抱き着いてきた人物が認識できない。
話す言葉の意味が分からない。
「……だぁ……ぇ? や、やぁ……ぃや……ぁ」
痺れて混乱を続ける頭で必死に考え、そしてこの状況とその人物から何とか逃げだそうと、緩慢ながらも振り払おうと暴れる。
そして這ってでも、ここから逃げ……。
「──落ち着きなさい。もう全ては終わったのよ」
ばさりという羽ばたき音と共に、背後に着地した別の誰かがそっと優しく抱きしめてきた。
「……過呼吸になっているわね。まずは少し息をこらえなさい……。
──今度はゆっくり息を吸って。そう、上手よ」
寄り添うだけの抱擁。
こちらを気遣う女性の声。
聞いたことがあるような、ないような……ただ優し気なその声が、少しずつボクの中に染み入る。
ボクの口元と前胸部に添えられた彼女の手の動きとその補助に、逆らわず素直に従って、呼吸を落ち着けていく。
──やがて、焦点が合い始める。
目の前にぺたんと座り込み、呆然としている少女に気付く。
声もなく、ただ静かに涙をはらはらと流すその少女の、ウサギのような髪型と結わえられた黒色のリボンが目に入り。
「……ぁ……てぃ……ぁ?」
「お、おにぃさまぁ……」
涙でぐしゃぐしゃになった彼女の姿が目に映り、ようやく彼女をティアだと認識する。
『セイ! しっかり気を持って!
こんなのに負けるな、ご主人様!』
この身体をボクのモノとしてようやく認識する。
そのボクの内側で、必死に呼びかけ続けていたその声にようやく気付く。
「お、おねぇ……ちゃ?
……それ……か、かぐぁ?」
抱き着く姉さんの温かさに、ボクを想って呼び掛けるカグヤの声に。
凍っていたボクの心が溶かされていく。少しずつ気持ちが落ち着いていく。
「──居たッ!! ここに居たにゃっ!」
「「セイくん(君)!!」」
「セイちゃ……ぇ?」
「……はにゃ? うにゃ?」
血相を変えてこちらに向かってくる幼馴染二人と、レトさんとミアさん。白目を剥いて痙攣しながら地面に転がっている黒焦げの男達を、邪魔だと言わんばかりに蹴飛ばし踏み潰してくる。
ただ取り繕う余裕すら無くしてしまっているのか、ボクを『君』呼びしてしまった二人に、レトさんが驚きの表情を浮かべ、ミアさんが首をしきりに捻っているのが見えた。
ああ、そうか。
あの時隠れてついて来ていた別のグループはユイカ達か。心配性だなぁ。
いや……実際問題こんな事になって、また心配かけちゃっているから、あながち間違ってはいないな。
情けないったらありゃしない。
だけど……。
こんなにも不甲斐ないボクでも、大切に想ってくれる人がいる。
つい先日会ったばかりのレトさん達までもが、ボクなんかの為に駆け付けてくれた。
──本当に嬉しいな。
ユイカとティリルに飛びついて泣きつかれ、次いでレトさんまでもが抱きついてきた為に、もみくちゃになりながらも漠然とそう思った。
「セイちゃん。落ち着いたかしら?」
「……うん。ありがとう姉さん」
ゆっくりとボクの頭を撫でてくる姉さん。強張っていた身体から、ようやくいい感じに力が抜けてきた。
でも、まだ全身に倦怠感があり、自由に身体が動かせない。地面に座り込んだ状態だけど、支えて貰わなければ、自分でその状態を維持できない。
ボクの両側をユイカとティリルが無言のまま寄り添うように座って支え、背後の姉さんへともたれるようにボクは支えられていた。
そんなボクの正面に座り込んだまま、未だに泣き続けているティア。姉さん達に手伝って貰い、苦労しながらも腕を伸ばし、彼女の頭を撫でる。撫で続ける。
ボクのせいだ。朝に続き、またティアを傷付けてしまった。
しかも、こちらの方がより深刻。自らを攻め続ける彼女を、急いで助けたかった。
「……ティア。もう泣かないで」
「ごめんなさい。また……役に立てませんでした。しかも、私のワガママがこの事態を招いて……」
「違う。そんな事はあり得ない。これはボクの精神が弱いだけ」
「……でも、私がいたから……」
「違う。ティアがずっと傍にいてくれたから、ここまでやって来れたんだ。強くあろうとしたんだ。感謝してる」
「……ぁ」
「ティアが自分を否定するなら、ボクはティアを肯定する。否定するたびに、何度でも肯定してみせる」
この子の存在のおかげで強くあろうとする事が出来たから。
常に励まされ、力を貰っているのはこちらだから。
「だからね。ボクからはお礼を。いつもありがとう。これからも一緒にいようね」
この子に最大の感謝を。
「……これからも……お傍にいて良いのですか?」
「うん、いてもらわなきゃ困るな。急にティアがいなくなったら、悲しくて泣いてしまうよ?
これからも、ずっとボクの傍で笑っていて欲しい」
「……を……ティアを……お側に置いてくださいませ。全てはお兄様の御心のままに……」
「そんな畏まらないでよ。まったくもう、仕方ないなぁ。
……ほら、ティア。おいで」
両手を広げたボクの胸へと縋るように顔を埋めてきたティアを、軽く抱きしめてあげる。
「……ずっとずっと……そしてこれからも……。
──ティアはお兄様を……セイ様をお慕いしております。だから、だからぁ……離れたくない。離れたくないです!」
「うん。ずっと一緒に居ようね」
「……はい!」
その涙をうれし涙に変え、ようやく華咲くような笑みを見せてくれた。
ボクとティアとのやり取りを黙ったまま、ずっと静かに見守っていたみんな。ティアが泣き止み落ち着きを取り戻した時点で、ようやくホッとした空気が流れる。
「セイちゃんもティアちゃんも。本当に良かったわね……」
「うぅ。こんなのお姉ちゃんまで貰い泣きしちゃうわ」
「……ティアちゃんよかったね」
「うん。わたし達で一緒に支えていこうね」
みんながそう口々にティアを歓迎する中、
「ぐすっ……セイにゃん、ティアにゃん。無事落ち着いたみたいで良かったにゃぁ。
……んと、ね。ちょっち聞きにくい雰囲気だけど、どうしても聞いていいかにゃ? なんでセイにゃんは女の子なのに、お兄様って呼ばれてるのかにゃ?」
胸を撫で下ろしていたレトさんの横から、目の涙を拭いながらこちらに顔を寄せてきたミアさん。ティアが言った言葉の意味を疑問に思って聞いてきた。
気になって口にせざるを得なかったのだろう。ただ、彼女の早急過ぎるその問いに、ボクに引っ付いているティアやユイカ達から、再び緊張した震えが伝わってくる。
まあでも、ミアさんのその疑問はごもっとも。
こうなった以上、レトさん達にもボクの状態の説明をしなきゃならない。それがケジメだと思っている。
気持ち悪がられないだろうか?
そんな恐怖はあったけど、言わないという選択肢はボクの中にはなかった。ここまで親身になってくれるレトさん達に、そんな不誠実で不義理な事はしたくない。
「ミア! 今はそんなの、どうだっていいでしょ!」
だけどボクが口を開こうとするより先に、レトさんがミアさんを一喝する。そして再びこちらに振り返った彼女は、ぎゅっとボクの右手を両手で掴んで自分の胸元に寄せると、
「私からも謝らせて。
……その、見失ってごめんなさい」
涙に震える声でそう謝ってきた。
「レトさんまでそんな事……」
「ううん。これはケジメよ。私からもちゃんと謝らせて。
──遅れちゃってごめんなさい。絶対に守ると心に決めていたのに。だから怒られるのを覚悟の上で黙って後をつけたのに。
それなのに肝心な時に間に合わないなんて、こんなとんでもない失態……」
「ううん、ありがとう。その気持ち、凄く嬉しいです」
それ以上を言わせず、口を挟む。
そして大きく息を吸い、吐いて……そして一言一句、ゆっくりとそう答える。
ボクは今、ちゃんと笑えているだろうか?
周りに心配ばかりかけさせている奴のどの口が言うんだと言われそうだけど、もうこれ以上大切な人達に心配や後悔をさせたくなかった。
「だから謝らないで下さい。この程度の失敗など大したことないと、ボクは今から笑い飛ばします。
そんなモノより、こうしてみんなで集まり、無事を笑い合っている事の方が、ボクは嬉しいし何よりも価値があると思うから……」
「セイちゃん……」
「だから、お礼を。レトさん、ミアさん。ありがとうです。
そしてユイカもティリルも姉さんも。みんな駆けつけてくれてありがとう」
そう伝え、みんなの気持ちに暖かくなりながらボクは笑った。
「──ち、ち治安維持へのご協力、ありがとうございました。え、精霊王女の巫女様」
ボク達の目の前に跪く衛兵が、極度の緊張を隠そうとして失敗したかのように震えながらも、他の誰でもないボクに向かって感謝の言葉を口にする。
その後ろでは、ティアの攻撃によってボロ雑巾のように裸同然の姿になっていた【リア獣】のメンバー六人が、この街の衛兵達に乱暴に引っ立てられ、護送用の荷車に放り込まれていくところだ。
あーあ、ご愁傷様。
多分残りの日数分、詰所の牢屋の中で過ごすことになっちゃうんだろうな。
「御忍びのところ、誠に申し訳ありませんでした。
お気分と体調を害されたと伺っております。お加減はいかがでしょうか?
なんでしたら、馬車を手配させていただきますが?」
ガタイのいい義兄さんの腕に腰掛けたボクの様子をそっと上目で窺いつつ、先程の衛兵の隣に跪くビルマと名乗ったその女性衛兵はそう付け足してくる。
「いえ、こちらの事はお構い無く……お気遣い感謝いたします。ご自身の職務を優先なさって下さい。
昨夜の事も含め体調が優れない為に、このような体勢で申し訳ありません。此度のあなた方の迅速な対応に感謝いたします」
「いえ……私どもめなどに、そのようなもったいないお言葉」
何故か代表者がボクになっている。
彼女の言葉にあった『精霊王女の巫女』という立場が影響しているんだろうな。いや、巫女じゃなくて御子なんだけど。
まあ一介の衛兵が知らないのは仕方がないんだろうし。
ただこの女性衛兵、やけに手慣れている気がする。ボクの気のせいかな?
この世界、この国、この街で、今ボクの立場がどの程度なのか分からないけど、少なくとも目の前の衛兵よりは遥かに上だろう。
本来は目通しも駄目なレベルの。
城壁の上で思いっきり宣誓しちゃったからなぁ。まさか聞かれていた上、その影響と波紋がここまでくるとは思わなかったよ。
正直かしずかれるのは慣れないけど、ボクを立てようとしてくる彼女に失礼にならないように振舞わなければならない。
「この者達は私が全幅の信頼を寄せている者達です。何かありましたら、彼らを通して連絡して下さいませ」
上位者が下位に向ける応対がこれで合っているかどうか分からないまま、持てる知識を総動員して、ボクはそう返礼を行っていた。
姉さん達から義兄さんやレントへと情報が伝わり、その通報を受けたこの街の守備兵達と義兄さんとレントが、取るものもとりあえず駆けつけて、この路地裏に雪崩れ込んできたのがついさっきの事。
駆けつけた衛兵達はボクとティアの姿を見るなりその表情を青褪め、息を吹き返して逃げる機会を窺っていた男達を慌てて拘束し、率いていた隊長と後から駆け付けてきた女性衛兵がボクに畏まってきた。
その衛兵達のあまりの低姿勢な姿に、西方のマトリの町などで慣れてしまっているユイカを除く他のメンバーは、その目を白黒させながら事の成り行きを見守っていた。
まだ身体に力と活力が戻ってこない。腰も抜けたままだ。
流石に地面に座り込んだままでは格好が付かないだろうと、義兄さんがボクを抱き上げ、彼の腕に座る形で応対することになった。
ただ、精神疲労が酷い。
この衛兵との応対もそうだけど、どちらかというと、さっきの訳の分からないアレのせいだ。
正直何が起こったのか未だによく分かっていないし、きっかけがどんな内容だったか、既に記憶があやふやだ。
もう一度思い返そうとしてみたんだけど、また気分が悪くなったし、それが姉さんやレントにバレてしまい、「もうこれで終わったんだから、金輪際思い出そうとするな」と、いつになく強い口調で禁止されてしまった。
そんなこんなで、疲労感を顔や態度に出さないよう必死で誤魔化しながら、普段通りの応対を心掛けていた。
まあみんながボクの体調を考慮してくれてね。
謁見? みたいなことをした後にレントと義兄さんが前に出る事で上手く交渉してくれて、義兄さんが衛兵達と共に詰所へ顛末を説明に、そして明日以降どうするかの話そこで打ち合わせを行う事で合意がなされた。
ボクと違って交渉が上手いよね。流石レントと義兄さんだ。頼りになるな。
「さて、と。セイちゃんの素晴らしい巫女様っぷりも観れたことだし、そろそろ帰りましょうか」
衛兵達と義兄さんが立ち去った後、姉さんが伸びをしながら言う。
虚空の穴から取り出した長椅子に座っているボクをチラリと見た姉さんは、ニヤッとイタズラっぽい表情を見せた。
「で、セイちゃんは誰の背中に乗って帰る?
やっぱりレントちゃんに送って貰いたいのかしら?」
「ちょっ、ちょっと待ってください。ヒンメルさん、そんなに俺を爆ぜさせたいんですか?」
難色を示したレントの言葉に、思わずキョトンとするボク。
「レント、爆ぜるってなに?」
「……お前は気にするな」
思わず訊いたボクの問いに、苦虫を噛み潰し頭痛を堪えるかのような表情でレントが呻く。
「あら、嫌なの?
むしろ役得だと思うけど?」
「嫌ではないし役得とかどうでもいいんですが……いや、そういう意味ではなくて。今のこいつだと、俺じゃマズイでしょう?」
「レントちゃんなら、うちのセイちゃんを安心して任せられるんだけど?
……ねえ、セイちゃん。こうレントちゃんが言ってるけど、セイちゃん的にはどうなの?」
「そりゃ……このメンバーの中だと、レントに頼みたいんだけど?」
出来たら自分の足で歩いて帰りたい。ただ無理なのはわかっているから、レントに頼むしかない。
なぜなら、自分から女の子の背中におぶさるのは、なんか違う気がするから。
そういう意図を込めて素直に答えたら、レントに微妙な顔をされた。
「やっぱり馬車頼んでおけば良かったじゃないのか? ティアもいるんだぞ」
ボクが膝枕をするなり寝入ってしまったティアを指差しながら指摘するレントに、思わずムッとする。
「じゃいいよ。ティアが起きてボクが歩けるようになるまで、ここにいたらいいだけなんだから。もうボク達の事は放って……」
「「「駄目!」」」
「……はい」
レントを除く全員に否定され、大人しく引き下がった。
「この翼がなかったら、私が背負ってあげるんだけど」
「や、小柄なヒンメルさんにそんな事をさせるわけには」
「ティアちゃんはわたしとユイカで交互に背負うよ。だから気にしないで」
「じゃ私はセイちゃん担当ね」
最終的にティリルとレトさんの言葉でその場は収まった。
「……お手数かけます」
おずおずとレトさんの首に腕を回し、その背中にもたれる。
「気にしないで良いわよ。昨日もしてあげたじゃない」
ニコニコ顔のレトさん。
それでも後ろめたく思ってしまうのは、やはりボクが男だということを隠しているせいだろうな。
「……さっきの件、宿に着いたら、すぐにでもちゃんと説明します」
「そう? 私達はいつでも良いわよ。なんなら明日でもイベント終了後でも、数年先でもね」
「でも……」
「ミアはね、単に好奇心が抑えられないだけだから、何かあるわけでもないわよ。急がなくていいわ。それよりセイちゃんの体調が心配よ」
ボクを落とさないようにする為か、その場で立ち止まって前傾姿勢になり、片手で頭を撫でてくるレトさん。
彼女の優しさと温もりが、最後に残っていた緊張と不安を解きほぐしていく。
「あなたが何者でも、どんな事があっても、セイちゃんはセイちゃんだし、私はあなたの味方であり続けると決めたのだから、ね」
「……うん。ありがとうございます」
「ここはお姉さんに任せて、もうゆっくり休みなさい」
優しく囁かれたその言葉に眠気をいざなわれ、宿への帰り道の途中で意識を保っていられなくなり、彼女の背から夢の世界へと旅立っていった。
次は久しぶりの掲示板回になる予定です。