3 不登校だった女子生徒の復帰と変身
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「智生くん、悪いんだけどさ」楓は言う。「古文のノートを貸してくれないかな」
僕は突然下の名前で呼ばれてたじろいた。抵抗感があったと言っていい。楓とは小学校から同じ学校に通っていて何度か同じクラスにもなったが、常に友達が作れずに浮いた存在だった。今の話し声は気さくで、ごく自然な申し訳なさと、親しみが込められている。こんな話しかけ方ができる様な女子生徒ではなかったはずだ。
つい断れず、古文のノートを楓に渡す。楓は一段と困ったような笑顔を浮かべる。
「ありがと、学校休んでた分ついていけなくて困ってたんだ。智生くんは中学でも国語の点がよかったから、参考になると思って」
「どうかな、字は汚いし、落書きだらけだけど」僕は警戒しつつ言う。
「いや、読みやすいよ。これなら大丈夫」ノートを開いて楓は言う。「ところで、今も山の中にある住宅地から通学してるの?」
「あ、そういえば」僕は言った。「昔近所に住んでたんだっけ」
そこからは、楓との会話が滞りなく続いた。それまで一度も話したことがないのが嘘みたいだった。近所にある商店の名物おじさんの話や、山を一つ越えなくてはいけない過酷な通学路など、話題は尽きなかったしいくらでも広げられそうな気がした。
僕と楓はかつて同じ住宅地に住んでいて、歩いて二分くらいの距離だった。確か小学生の低学年くらいに、楓は別の場所へ引っ越したはずだ。学区が変わらないから、家を建て替えたのだろうが、詳しくは知らない。
休み時間が終わり、授業が始まる頃にはクラス中でひそやかな議論が持ち上がった。あれは本当にあの楓なのか、と。僕は横目で隣に座る楓を見る。本人はクラスの視線を気にする素振りを見せず、授業に集中している。包帯が取れたばかりの腕が白かった。
六月以降ずっと不登校だった女子生徒の復帰と変身。クラスメートたちは包帯と不登校の理由を聞くに聞けず、様々な説が飛び交っては消えていった。