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1 一緒に考えてほしいこと


 放課後、教室のベランダで女友達に恋の相談をした。僕は火照る顔を悟られないように教室の窓を眺めていた。友達の楓は僕を見ないように校舎向かいの雑木林を眺めてくれている。空は日差しだけを遮るような薄い雲に覆われ、湿った風が吹いている。

「一緒に考えて欲しい事があるの、って岬が言うんだ」僕は言う。

「智生は信頼されてるんだよ」楓は言う。「岬はどんな表情してた?」

「頬は赤かった。目を合わせなかった。言いにくそうなことを絞り出す感じだった」

「かわいい。想像できる」楓は親しみを込めてつぶやいた。僕は同意しそうになったが、慌てて飲み込んだ。

 岬は野球グランド裏の河川敷に五時半に来て欲しい、と言った。窓ガラス越しに教室の時計を見る。約束の時間まであと二十分だ。ガラス映った自分と楓は、ほとんど同じ身長だった。

「信頼してると言うけれど、普通の相談事なら男の俺よりもまず同性の楓にすると思うんだ。岬は楓にすごく心を開いて話すだろ」

「そう思う」楓は言った。「私には言い辛いことなのかも」

 楓は風に揺れるショートカットの髪に手をやった。中性的な顔立ちで雑木林を見つめている。

「智生はもし告白されたらどう応えるつもり?」楓は言う。

「俺も好きだ」

 僕は言って、息詰まるほど血が頭に登るのを感じた。楓が黙っているので横目で見やると、向こうも横目でこちらを見ていた。目が合うと、からかうような満面の笑みを向けてきた。

「大胆」楓は言う。

「半年間片思いしてたんだ」

 楓は顔全体に照れ笑いを浮かべながら、僕の肩を左手で小突いた。

「岬はいい子だよ。がんばって」

「緊張してきた」ありがとう、と僕は心の中で言う。

 

 岬はグラウンド裏の納屋の近くにあるベンチに腰掛けていた。声を掛けると立ち上がり、うつむいて土手を通り抜ける風にスカートを抑えていた。

 息が苦しくなった。胸の中にピンク色の霧が渦巻いている気がした。

「相談って言うか、聞いてほしい事って言う感じなんだけど」岬は目線を落ちつかせずに呟いた。

 岬はそのまま言い出しかねるように黙ってしまう。小柄な体をさらに縮めていた。小さな両手でスカートを握りしめている。見ていて気の毒なほど顔が赤かった。

「何となくは気付いてたんだ」僕は言う。行け、行ってしまえ、と念じる。

「俺と楓が話していると、岬が不機嫌になったり、不自然なくらい間に割って入る事があったし」

「ふっ」岬が息を詰まらせる。「不自然だったかな、そんなに」

「いや、不自然って言うか、何となくだけれど」僕はうまく言葉が出てこない。

「楓くんはわたしのこと嫌がってると思う?」岬は恥ずかしそうに言う。岬はいつも楓の事を君付けで呼んだ。

「そんなことないよ」僕は言った。

「変だと思われてるかな」岬は両手に顔を当てた。

 僕はどう答えるか迷ったが、黙っているとますます空気が重くなった。

「変だとは思ってないよ。気付いてるかもしれないけど」

 岬は両手に顔を当てて目の隙間からこちらを見た。

「こんな事、人に話すの初めてだから」それから、子犬が鳴くような声を小さく出して、次の言葉を継げずに固まってしまった。

「あのさ」僕は岬の両手から解放されて風に踊るスカートを眺めている。「俺だって初めてだから、すごく緊張してる」

 岬は一瞬肩を震わせたが、両手を顔に当てたまま動かない。ひととき風が強く吹き、ダンプカーが土手を駆け抜けていった。

「同じクラスになった時から気になってたんだ。楓が僕らと仲良くなる前からずっと。楓と僕が話すようになったら、岬が輪に入ってきてくれただろ。嬉しかった。ここに来る前に、楓にも相談してきたんだ。笑顔で送り出してくれたよ」

 岬は動かない。僕は念じる。行け、最後まで言い切れ。

「僕も好きです」僕は言う。「付き合おう」

 岬は両手を静かに下げた。顔が真っ青になっている。表情は驚きのあまり固まっている。

 沈黙が続いた。岬は僕の目を真っ直ぐ見ている。僕は徐々に、そして確実に、心に致命的なヒビが入っていくのを感じた。

「違うのか」僕は声に出した。ひどく小さな声だった。

 岬の目に涙が浮かぶのが見える。

「どうして。違うよ」岬は僕の手を両手で取った。「楓くんに言えないから、智生くんに相談しようと思ったの。だって気軽に人に相談できるような話じゃないし、信頼してたのに」

 岬は両手を揺さぶり、涙を浮かべて顔を振った。手は冷たかった。

「恋愛の話かと思ってた」僕は言った。

「恋愛の話だよ。合ってるけど」岬はうつむいて、痛ましい表情をした。

 僕はそれでようやく気付いた。肋骨の中の内臓が体内からこぼれ落ち、はるか地中の下水道になだれ込む気がした。抜け殻にならずにこの場に立っていられるのは、岬が僕の手を握っているからかもしれない。僕は確信を込めて言った。

「楓の事が好きなのか」

 岬の頬は再び赤くなり、目を細めた。ちいさく、首を縦に振った。

「嘘だろ、女同士じゃないか」僕は首を振った「じゃあ不機嫌になったのも、割って入ったのも、楓じゃなくて俺に妬いてたってことなのか。そんなの変だろ。女同士で付き合えるはずがない」

 自分でも驚くほど語気が強くなるのを感じた。でも言葉はとめどなく溢れ、止めようがなかった。岬は僕の手に爪を立てて、強くこちらを睨んだ。岬が見せたことのない怒りだった。

「だから、変じゃないかって聞いたのに。信頼できる人に相談したかったのに」

「俺は岬の事が好きだったんだ。すごく。だから」

「私だって」岬が僕の言葉を遮る。「楓くんの事が好きだもん。女同士で気持ち悪いと思われるのも分かってる。報われないだろうなって思うと悲しい。でも好きなんだもん。だから相談したかったのに」

 岬は僕の手を離した。僕は酷く混乱している。頭の中でピンポン玉が跳ね回っている。

「だからって、楓と岬が付き合うのは応援できない。俺の立場はどうなるんだよ」

「わかったよ。もう相談しない。こんなの話すべきじゃなかったんだ」岬は涙で揺れる声を絞り出した。背中を向け、僕から速足で去って行く。

 秋の曇り空が夜の暗さに染まっていく。風が納屋とベンチにいつまでも吹きさらした。僕はその場から動きだせないまま、ただ爪を立てられた手首の痛みが消えるのを待った。

 

 僕らを巡る奇妙な三角関係は、このようにして始まった。


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