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クランクフォード家の兄弟って……

 見分を広めるためと長男が子爵として社交界に出るまでの下準備として、クランクフォード伯爵家の兄弟は揃って領外の貴族学校に通っていたことがある。

「兄上っ――、お戯れはお止め下さいと何度言えばわかってくださるんですか!?」

「率先して自分で周りを勘違いをさせておいて。もう飽きたの?」

「あれは兄上に危害を及ぼす危険因子を洗い出すためで、兄上を蔑にするためではありません」

 眉間に深い皺をよせて唸るのは、最上級生と並んでも遜色しない体つきの黒髪の少年で、

「甘い汁は吸える時に吸えるだけ吸っておくものだよ。お前だって伯爵家の跡継ぎさまーと、もてはやされて楽しいだろ?」

 と、しれっと返すのは小柄ながら銀髪が眼を惹く少年だ。


「まったくもって心外ですっ、私のどこが兄上の身代わりに値するというのですか!?」

「誰も気づかないなら実物以上だ。喜べ」

「喜べませんっ」

「やはりお前は母親似だなぁ。まあそうカッカするな。どうせこんな茶番は子爵が卒業して社交界入りするまでだよ」

「あと数年もあるじゃありませんか!?」

「そう――たった数年、短い間だ。そのくらいも跡継ぎの重圧から僕を護ってくれないと? そうか、人をからかう楽しみすら僕には不要だものな……」

「ぐっ……う、それは、いえ。そんなずぶ濡れの仔猫が上目使いで救いを求めるような瞳をしても駄目なものは駄目で……あっ、ちょっ、この流れでそっぽ向いて肩を震わされたら、陰でどんな顔してるのか嫌でも気になるじゃないですかっ」

 一回りも二回りも体格が小さい相手を必死に宥めすかして顔を上げさせようとする姿は――銀髪の影に隠れた人が悪い笑い顔を覗き込まない限り――どこからどう見ても、つむじを曲げた弟をあやす兄であった。



「――と、いうことが僕らがスクールに入った当初にあったんだったっけ」

「そうですよ。妥協案として、わざと長男とも次男ともつかない振舞いはしたものの、誤解を訂正せずにいたら本当に子爵として兄上が正式に紹介されるまでバレなくて、あのアホどもには呆れました」

「そうだろう、そうだろう、今思い出しても苛めに苛めて見下していた僕が次期クランクフォード伯爵だと知った時の奴らの顔は見ものだったからね」

「そうです。それを見て笑っていただくために私もがんばったわけです。なのに兄上はいつの間にかあんな孤児院の女に心を奪わ(たぶらかさ)れ、性格が歪んでしまうばかりか、すっかり入れ替わりの目的をすり替えてしまわ、れ、てぇ……って、ち、違います。兄上の“麗しの黒バラ姫”をあんな呼ばわりしたわけではありません。孤児院にかかってます、なのでかろうじてセーフですっ」

「ああ、よかった。もう少し遅ければ誤解のあまり僕の拳が大切な弟の顔を強打しちゃうところだったよ」

「やめて下さいよっ、岩をも砕く顔面に再起不能も厭わぬ全力で拳をぶつけたりして、兄上の繊手が傷ついたらどうするんですか!?」

「いやだな、そんな簡単に骨は砕けたりしないさ」

「幾ばくの躊躇もなく殴れば突き指くらいするかもしれないでしょう?」

「それくらいならありだよ、セーラの吐息で冷まされた料理を手ずから食べさせてもらえるのなら、ね」

「兄上、麗しの黒バラ姫のためにも、なんとしても無傷で帰ってください。私も彼女に心配されるのはたいへん心苦しいですから、隠せない負傷は何が何でもしないと誓います」


 出身地に関わらず思い思いの席で兵士たちが食事にありついている中、クランクフォード伯爵領の兵士たちは子爵の傍を固めるように集まっていた。

 その隣のテーブルで、噛み合いの悪い会話を真顔で交わす兄弟の近くに座っていたのは、運が悪くもクランクフォード伯爵領とは遠く離れた領地出身の、しかも遅れてやって来た援軍本体所属の若者だった。

「へぇ、クランクフォード伯爵家のご子息が一人の女性にご執心だって噂は本当なんですね」

 当然のように続いた「黒バラ姫ってどんな人なんですか?」――とは、たいへんよくある質問である。

「ばっ、おまっ、こんな至近距離で軽々しくその名を出すなっっっ――」

「ぐへっ!? な、なん……」

 隣の兵士の肘で脇腹を小突かれたかと思えば食堂中から睨まれる。

 戸惑う彼のように興味本位で訊ねる者は後を絶たず、子爵と同じ釜の飯を食う縁にあった者は、己自身で訊こうが訊くまいが黒バラ姫の話で耳にタコがたくさんできる。

 今回も例外なく子爵が前線入りした時からそれは始まっており、援軍本体の到着まで共に戦っていた兵士は、時と場合によって好奇心は慎むものだと身を持って思い知っていた。


「なんだい、僕の愛しの黒バラ姫について知りたいのかい?」

 大声でもないのに、ざわつき出した食堂が水を打ったように静まり返り、いつの間にか席を立っていた子爵の美声はよく響いた。

「そういうことならまずは僕たちの出逢いの話を聞かせてあげよう。今はこういう感じに食べごろに(女性らしく)なったセーラが……」

 胸の高さで揃えた下向きの両手で気持ち縦に長い丸を描き……終える直前で真下にすっと落し、またすぐ膨らませ、途中で何度か波打つようにして幅を変化させる。子爵の手が床につくと、彼はすぐさま立ち上がり、

「まだこのくらいの時だったかな」

 と、すぐに先ほどなぞった輪郭の中に小さな長細い丸みを帯びた長方形を描いた。そのてっぺんにも円になり損ねた丸いものがのっていた。


 もしかしなくても麗しの黒バラ姫のサイズ――些か想像よりも小柄で平均的な体つき――を手ずから現したのだろうかとぽかんとする若い兵士に、子爵は思い出したようにきりっとした顔を作る。

「ああ、君は初めてだったね。まず言っておくけど、愛しの、とセーラに付けていいのは僕だけだよ。それ以外の男は麗しのなどと、彼女の魅力の一端を捉えつつもその全てを表現しきれない力不足でもないよりは断然ましな形容詞で、黒バラ姫の名を彩るんだよ。いいかい?」

 この時、黒バラ姫の話を振ってしまった新米兵士は見た。嬉々として熱弁を振るい始めた子爵の背後で、クランクフォード出身の兵士たち――伯爵家の次男でさえも――が一様に姿勢を正し、半開きの眼に対して口を一文字に引き結んで無心の顔つきになったのを。そしてそこまでの熟練度はなくても、食堂の至る所で精一杯の精神的防御を固める先輩たちの姿を。

「そう、あれは僕ら兄弟が初陣を終え、国王陛下より賜った褒章を領地のみんなに分け与えた時のことだった……」



「クランクフォード家の次男ってどちらですか?」

 息を切らせて駆けてくる少女の白い頬は赤く染まり、なびく黒髪は夜の女神が纏う絹糸のようだった。 

「不躾とは思いますが、院に贈り物をくださったことにお礼を言いたいんです」

「気に入ってもらえたかい?」

「あ、あなたが――? はいっ、とっても。見て下さい、子どもたちの喜び様! クリスマスでも誕生日でもないのに、わけもわからずあんな大量のお菓子をもらって、今まで覚えさせた我慢とか譲り合いの精神とかが一瞬で無に帰しましたもの。これからどうやってあの子達に慎ましくあるべき大切さを教えようか考えると、涙が出ます」

 えもいわれぬ衝撃を受けた僕を見上げる彼女の瞳は強い意思を含んでいるのに、潤んだ目尻が可愛く下がっていたんだ。


「………………。心配することはないよ。また時々差し入れをしよう。それをごほうびに再教育すればいい」

「本当ですか!? でしたら次はお菓子ではなく、長期保存ができる食料とかどれだけあっても足りない消耗品でお願いします」

 少女の味わい深い笑顔はまるで荒んでいた心に吹き込んできた春風――、先ほどのものと甲乙つけがたい二度目の衝撃が心臓に打ちこまれてね。

 それまで僕に言いよってくるのは、探られれば痛い腹を持つしょうもない女性ばかりだった。なのに見惚れも恐縮もせず、色目すらも使わないで己の意を面と向かってハキハキと述べる少女は、なんて芯が強く常識的で家族思いなんだろうと好感しか持てなかったよ。



「――で、可愛いおねだりに迷わず頷いたわけさ。そうして弟の手柄を横取った僕は今でもセーラに伯爵家の次男と思われていて、『私の主人が……』と余所で話すのは結構なんだけど、未だに僕のことをご主人さま(雇い主)扱いなんだよ。援助を大々的に子爵の名に切り替えても、やっぱり次男と勘違いさせてるほうが役得が多かったのが罠だった。いや、罠だろうが何だろうが子爵だと知られずに済んで良かったわけだから自業自得か。この前だって……」

 なおも流暢に黒バラ姫の魅力を語る子爵の惚気は止まらない。

 金縛りにあったかのように動かない兵士たちを尻目に、事の発端となった若い兵士は肩を叩かれびくっと身体を震わせる。

「ぅひっ……な、なんか、すみません」

「かまわん。箝口令をしかなった俺たちも悪い。とりあえず黒バラ姫にたかる害虫と認定されずに済んでよかったな」


「ちなみに認定されると?」

「駆除される――だけで済まない。例えるなら蝶になるはずの虫を蛾に、虫にたかられる(メープル)の樹を近寄りがたい漆の樹にしてしまうんだ。事実クランクフォードで一二を争う美男子が黒バラ姫の行動範囲に女性用の店を開いた時、災いの芽は事前に潰すと足しげく通った幼い子爵によって趣味から人格までことごとく破壊され、今では親でも気づかぬほど昔の面影が無く性別すら違って見えるという。しかも害虫のみでなくその場に偶然居合わせた人間も危険因子と見なされたから恐ろしい。それに比べれば、惚気なんてクランクフォード子爵と関わる誰もが通る道だ」

「聞き流せばそこまで胸焼けするほどの話でもないですしね……」

「侮るな。今回はパンチの弱い出逢い編で助かっただけだ。しかもこれはな、じわじわくる呪いだ。初っ端はたいがいお前のように戸惑いの方が勝ってぽかんとしていれば平気だろう。俺もそうだった。しかし回を追うごとに子爵の黒バラ姫自慢から放たれるピンク色の精神攻撃の威力は増幅し、慣れるまでは半端ない苦行でしかない。特に思わずツッコみたくなったり吹き出しそうになったりする時があるが、そんなことを子爵の前でやってみろ、家に帰れなくなるか帰る家がなくなる羽目になるぞ。そうならないためにも、お前のように地雷を踏んだ間抜けに居合わせたら、一番近くの者が説明して二次被害を減らすという暗黙のルールがある。あと、敵前逃亡は背後から物理的にトドメを刺されると覚えておけ。――とにかく周りを道ずれにしないようがんばるんだな。クランクフォードの兵たちのようにローダメージで受け流せるようになるには数年は最低かかるから」


「ノーダメージは身内だけですか……」

「何を言う、子爵大好きな弟こそ一歩間違えば瀕死の大ダメージと背中合わせだ」

「え、麗しの黒バラ姫と名付けた本人で、子爵に負けず劣らず彼女を褒め称えてるんですよね? あ、叶わぬ恋のせいですか?」

「……少しでも好意のある女性を花に(たと)えているなら、何故よりにもよって黒を添える?」

「黒髪だからじゃないんですか?」

「…………お前が食べてるそれは何だ?」

「豚バラ肉の炙りで――はっ、まさか!?」

「………………あの(・・)とか例の(・・)女と呼んでいたら、彼女の全てを褒め称える気持ちを滲みださせて『姉上』と呼ぶか相応の形容詞を付けた姫という呼び名を使えと真顔の子爵に迫られ、精一杯の皮肉を込めて行きついたのが腹黒(黒バラ)らしい。今回だって子爵につきあってこちらに先乗りしたのも、いつものように子爵が黒バラ姫と離れ離れの間に彼女がどうだったか雅言麗句のみで語らされ、最後には一緒にい過ぎだの見過ぎだの恒例の文句を言われるのが心底嫌だったのもあるだろう。ちなみに“麗しい”は恨めしいと言ってしまったのを誤魔化したせいだとよ。いつ自爆してもおかしくない次男の褒め言葉は裏返して斜め四十五度に置いて何周も回して初めて、美辞麗句のメッキが剥がれて本来の意味に近付くんだ」


 これまでの経験で培ったのだろう知識を小声で披露する先輩兵のやつれ顔に、同じ呪いを背負った若い兵士は自身の未来を見た気がしたが、この時はまだ「貴族には変わりも者が多いって本当だったのかと」思うだけであった。

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