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ご主人さまの居ぬ間に

「クランクフォード家のご兄弟、前線をすっきりするまで離れないって仰ったみたいよ」

 と、年若い娘から年老いた老人までが天晴れ愛国心に溢れた男だと感心する中、朝早くから台所に集まった内情に詳しい伯爵家古参の者達は乾いた笑みで流すしかない。

「前線()すっきりするまで離れない――だったらそりゃあかっこいいんだろうけど、前線()すっきりするまで離れないってことじゃないの? 坊ちゃんがたが言いたいのはさ」

 出るとこ出て、引っ込むとこ引っ込んだ色っぽい給仕係の女性が正解を言い当てると、

「そんなとこだろうねぇ。欲求不満が爆発しかけて、あっち行かなきゃ家で馬鹿やらかしそうだったんじゃないのかい。まったく、いくつになっても子どもだよ」

 と、恰幅の良い料理長が情け容赦ない相槌を打った。


 二人の連携の良さは少しのお喋りでは衰えず、料理長がスープを装う毎に皿を受け取った給仕係が賄いとは思えないほど丁寧に並べられたカトラリーの間へ運ぶ。

 最後にセーラの分が置かれる頃には、中央の籠にもほかほかと湯気が立ちのぼるパンが積まれた。

「さあ、冷めないうちにお食べ」

 竈から焼きたてのパンを取り出した料理長が席に着くと、それまでテーブルで大人しく待っていた三人は待ってましたとばかりに食事を開始した。

 食事開始のお許しが出るか出ないかのタイミングで脇目も振らず、武骨な手がいの一番にパンへと伸びるのは、もう見慣れた光景の一部だ。

 ちょうどサラダボールを持って戻って来た給仕係がそれぞれの皿にちょうどいい分量で緑の彩を足して行き、好みに合わせたチーズを切り分ける。

 初めて厨房(ここ)での食事に加わった時からずっと、彼女はセーラと同席しない。自分の朝ご飯そっちのけで人の世話だなんて、これも職業病の一種だろうか。


 この時間に朝食を食べる面子は決まっている。厨房で腕を振るう料理長を筆頭に、いつも縫物をして待つ全身を黒服で覆い髪をスカーフで隠したお婆さんと、年季の入った作業着の「まあ、いいんじゃないか」が口癖の白髪のおじさん――土いじりをしているというので庭師だろう彼――だけで、他の使用人達は別の時間に交代で食べているらしい。

 ちなみにご主人さまが居る時は彼に給仕しつつ一緒に食事をとるため、セーラが厨房で食事をするのはご主人さまがいない時だけ――だったのが、今ではもうこちらが日常の一部だ。


「……まあ、いいんじゃないか」

 料理長の小言に遅れることパン三口分、充分味わってから嚥下したおじさんがいつもの調子で返せば、針子のお婆さんがしたり顔で頷いた。

「だねぇ。外で憂さ晴らしできりゃなにより。怪我せん限り、後始末の手間が省けるからね」

「坊ちゃんがたなら戦功ももらえるし」

「あの子らにとっちゃ、さして興味もないおまけのオモチャみたいなもんさ」

「まあ、いいんじゃないか」

「いいことづくめさ」

 食事に手を出さずとも会話にはテンポ良く口を挟む給仕係から始まった講釈には、誰も異論なしらしい。残るは答えをご主人さま本人から聞いているセーラしかいないため、答えあわせなどしなくとも“この言葉の意味および隠された発言者の心情を答えなさい”という問いは満場一致で正解だ。


「だからさ、セーラちゃんも心配せずに、たまの自由を謳歌しな。スープもパンも、好きなだけおかわりしていいんだよ」

 料理長の言うたまの自由が、数カ月間に渡る期間に達していても適応されるのだろうか。

 それに満腹になっても食事を止めるのがしのびないほど料理がおいしいせいで、喜んでばかりもいられない。

「はぁ、でもなるべくさっさと帰ってきてほしいです」

 気のない返事を漏らしたセーラに息ぴったりの女性三人が喰いつく。

『おや、さびしいのかい? 』

「――というより、ご主人さまから宿題みたいなものが出てまして。離れている間にご主人さまについてよく考え、己を見つめ直せと。でもこれが何のことかさっぱりわかんないんですよ。だってその前に出た文句が浮気者ですもん。私浮気なんてしてないし、しようがないし」

『なんでまたそんな誤解が?』


「子爵さまのご結婚話がまとまったらしいじゃないですか? それに関する諸々の噂を聞いて怒るかと訊かれたので、ご主人さまは私が子爵さまに片思いだと誤解してるんだろうなと思い『身分違いの人に本気で恋するわけないじゃないですか。それに私には好きな人が別にいます』ってはっきり答えたんです」

「ああ」

「そりゃぁ」

「当分帰ってこんの」

「もあ、うぃうぃんふぁのいか」

 給仕係がニヤリと笑えば料理長が呆れ顔でスープをすすり、お婆さんが慣れた調子で予見をすれば、両頬をパンで膨らませた庭師がいつも通りの言葉を返した、たぶん。


「ええ!? 困ります、あんまり前線に長々居座られると、ご主人さまが宿題覚えてた場合、考える時間が足りなかったのでわかりませんって言い訳が通用しなくなるじゃないですかっ」

「まあ、いいんじゃないか」

「だってさ『ご無事でなによりご主人さま』って坊ちゃんに抱きつけば一発解決じゃないの?」

「そうさね『こんなに待たせて、寂しかったよ』って拗ねときゃ、あっちが勝手にご機嫌取りに徹するさ」

「ついでに『ぐちぐち言う男なんて嫌いだけど、特別に』って脅してほっぺに接吻でもしてやりゃ、しばらくはおまえさんの天下だね」

 気にした様子のない庭師をよそに、さも名案だと自信満々の女性たち。

 そんな期待をたっぷり込めたニヤニヤ笑いでアドバイスされても……困る。あとでもし、なんで実行しなかったのかネチネチやられたら、この屋敷の中で私とまともに話してくれる人がいなくなるじゃない。


 ご主人さまの世話をしなくなって暇だからと手伝いを申し出たら、「見せびらかすほど膨れておらんとも悲観するほどでもないささやかな胸に、気を抜きゃ下っ腹が出そうでも今の所辛うじてクビレとるウェストで、主張の激しすぎない安産型な腰つきのおまえさんにぴったりな仕事がある」と針子のお婆ちゃんに、耐久性に問題があり壊れたというマネキン代わりにされた。

 その時、傍で作業にあたる若い侍女たちのセーラに対するぎくしゃくとした態度は、まるで腫物を触るようだった。


「子爵さまが執心される“麗しの黒バラ姫”ってどんな方ですか?」

 少しでも同僚との距離を縮めようと、ドレスの胸元を整えていた一人に当たり障りないはずの話題を何気なく振れば、

「へ? あっ、わ、私どもはあまり親しくはないのですが、子爵さまたちはまさにその名の通りの女性だと……」

 セーラと目が合った瞬間に身体の輪郭を強張らせつつも一応の返答をしてもらえたので、もう一歩、と欲を出した。

 成人女性としては短すぎるセーラの黒髪にさまざまな髪飾りを合わせては「こちらの色が肌に合うけれど髪に映えるのはこちらの色ね」とか、身代わりではなく本人を捕まえてやるべきことで真剣に鏡と睨み合っていた別の使用人とも頑張ってみた。

「その名の所以てなんなんでしょう?」

「え? さ、さあ。それは名づけたご本人さまに聞いてみませんと……」

 セーラがじーっと見つめれば、鏡の中で金縛りにあったかのように固まってしまった彼女も一人目と同様、喉に何か詰まったような声だったけど無視はしなかった。


「伯爵家の嫡男を魅了するほどですから、とても妖艶で美しい方なんでしょうね。そんな女性になれるものならなってみたいものです。――まずは女性にあるまじきこの短髪を伸ばすところからかしら。思ったより切ったことを後悔しちゃうわ」

「た、体型は恐ろしくマネキンと同じで、充分年頃の女性らしいですよ」

 返答を期待していない締めの独り言だったので、どこからともなく発せられた慰めは素直に嬉しかった。

「そうそう、胸はもう少し緩くしておこうかね。どうせ結婚なんぞ先のこと。式の前に胸が膨らんで今のままじゃきつくなるだろう」

 温かい何かが込み上げるセーラの胸だったが、あちらはまだまだ育つと針子のお婆さんに即座に言われてしまうとトドメを刺されたに等しい。


「だ、だったら……ウェストもかなり緩めにしておいたほうがいいんじゃないですか?」

 胸の成長が何も成長期だからとは限らない。黒バラ姫がぽっちゃりしてしまう可能性もあるだろうと、セーラが渾身で苦し紛れの指摘をした。

 次期伯爵夫人と目される黒バラ姫に弓引いたせいだろうか、使用人たちの周りの空気がピシリと緊張した音を立て固まった。

 しかし――、

「出すもん出して運動すりゃ多少増えた腹の肉は落ちる。万が一またすぐ膨れても、それならそれで手直しの時間は充分あるってことさ」

 と、お婆さんにさらりとやり過ごされ、あえなく撃沈。


 そのやりとりの後、使用人全員に気まずいものを見兼ねたように、いえ、セーラが可哀そう過ぎるからもう話しかけてくれるなと言わんばかりに顔を逸らされ続け、それでも目が合うのを避けられなかった者たちに耐えかねたかのごとく、ぜーはー呼吸を死角で整えられたセーラのショックは大きかった。

 これなら「そんな夢見ても無駄よ」と笑い飛ばすか、始めから無視してくれたほうがまだ気が楽だっただろう。

 何故だか知らないけれどセーラと使用人たちとの間には、そう簡単には埋められない溝――どころか谷が最初からある。


 だからこそ屋敷の中で普通に接してくれる存在は貴重なのだ。面白がって言われたアドバイスだって、できることなら率先して取り入れたい。

 しかし、話し相手維持のため彼女たちの口車に乗ってご主人さまの機嫌を悪化させたら本末転倒。今度前線に行くのはセーラかもしれない。

 そしたら一目散に戦場離脱する私は反逆者の仲間入り、否が応でも無法者としての逃亡生活の幕開けだなんて。


「い、いやぁ……、心臓に悪い」

『ん?』

「ご主人さまに嫌われたら、わ、わたし、私……」

『ぉお?』

「居場所をなくすどころか、賞金稼ぎや追いはぎに狙われる日々に!」

『へ!?』

「そんなことなら、帰って来る前に別の働き口を見つけます!!」

『なんでそうなる!?』


「衣食足りて即ち栄辱(えいじょく)を知る、ですよ。一日十時間労働の上、サービス残業もして休日返上で身を削ってたって、命を狙われ明日をも知れぬ生活よりは素晴らしいじゃない。地獄も住みかっていうし、安住の地を求めて無闇にさまようくらいなら、住んでやろうじゃないのっ」

「おーいっ、あれ、ちょっと本気なの?」

 また追い出されるくらいなら自分から出て行った方が軽傷だと腹を括るセーラには、目の前で振られる給仕係の手も見えなければ、心配そうな声も耳に入らない。

「短い間でしたけど、お世話になりました――あっ、行くとこ決まるまで、いえ、最低二週間は追い出さないでくれると助かりますううううぅぅぅ……」

「ちょっと待ちなよ、そんなことしたって坊ちゃんたちが――って」

「皿も片さんで言い逃げかい」

「ちゃっかりしてるくせにあの子は心配性すぎるね」

「まあ、いいんじゃないか」

「このことを知り次第坊ちゃんたちが最短日程で戻ってくるとして、連絡はいつ?」

「ふぅ、二週間以内に戻って来れるよう、さっさと知らせておあげ」

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