黒バラ姫の話をご所望のご主人さま
腹違いとはいえ、伯爵家の兄弟は本当に似ていない。
長男は父親である伯爵さまに似て、次男は内縁の後妻である母親似というから普通のことかもしれないけれど、ここまで同じ年の兄弟で顔の雰囲気や身体の厚みに違いが出るものかと、改めて生命の神秘を感じる。
さきほど侍女が運んできてくれたワインとつまみを並べるついでに、セーラはちらりちらりと両側のソファに座る人物たちを見比べていた。
伯爵家の人たちが口にするものは茶の一杯でもセーラが手ずから用意することは許されていない。決して自発的に先輩の侍女を顎で使っているわけではないけれど、いつまでたっても慣れなくて少し戸惑う。
毒でも盛りかねないと信用されていないのかと思ったものだけど、飲み物を注いだり食事を皿に取り分けたりするのは初日の内にご主人さまから催促されていたので、きっとセーラに思うところあるらしい子爵さまによってセーラが台所に立つのが制限されているのだろう。
ほら、やっぱりテーブルの上の物に手をつけるのはご主人さまだけだ。
「それで、僕がいない間彼女とはどうだったの?」
中性的なため容姿端麗という言葉もしっくりくるご主人さまの、限りなく黒に近い濃い青藍色の瞳に捕えられまいと、相対する黒と見紛う赤茶の瞳は逃げ場を探す。
目に見えて居心地が悪そうだが席を立つことはなく、鎧の袖一振りで敵を倒せるだろうがっしりとした体躯を縮めるように、幅の広い両肩が前かがみに竦められた。
「いつも通り、で」
「いつも通りって?」
毎回のごとく、思う存分惚気るがいいとばかりにある種の迫力をにじませるご主人さまに迫られる時ばかりは、隙あらば刺々しい視線でセーラを射殺そうとする赤茶の瞳が持ち主自身の鼻を削ごうとばかりに中央よりになり、上下の瞼の間が苦しげに狭まる。
丸まる背からにじみ出るオーラでどこかへ連れて行けと言われている気もする。
滅多にない好感度アップのチャンスだけれど、疲れているはずのご主人さまが自室で家族とくつろいでいるところを用もなく一介の使用人が連れ出せるわけもない。
そもそもそんなに話すのが嫌なら自分が出て行けばいいのに、いえ、いい加減こうなることを学習して一人で出かけたご主人さまが帰宅する度にご機嫌伺いをしにこなければいいのにと、セーラは見て見ぬフリを通す。
相変わらず黒バラ姫に関することは言い渋るのね。単純に惚気るのが恥ずかしいのか、もしかしたら身内に恋敵となられたら困るとでも思っているのかしら。
もし兄弟で一人の女性を取り合う場合、子爵さまは可愛がっている弟と大切な女性のどちらを取るのだろうかと、要らぬ好奇心が膨れだす。
とはいえ、いつかのようにご主人さまが数日間家を留守にした時とは違い、熱弁をふるいたくとも特に話すことがないだけかもしれない。
昨日の領地視察は予定では一泊する日程だったのに、何が何でも日帰りするとご主人さまは譲らなかった。そのため朝日が顔を出す前に出かけたご主人さまは、半月が沈み終えた後に帰ってきた。
その一日と呼ぶには足りない時間、しかもセーラがまたも見逃したくらいだから黒バラ姫はあまり屋敷に長居しなかったはず――とくれば、短い逢瀬の内容が前回までと代わり映えしなくとも不思議はない。
しかしそんなことで引かないのがご主人さまだ。全体を見れば人好きのする笑顔のはずなのに眼だけを見れば全然笑っていない顔で、どんな小さなことでもいいから絞り出せと清々しく脅し続けている。そしてその期待が裏切られないのもセーラはわかっていた。
「そ、それは……、髪に挿した草花すら眼に入らないような笑顔で庭を散策しながら仔犬と戯れる様子は本当に悩み知らずの子どものように無邪気で、とても邪魔しようと思う雰囲気ではなく……」
少々早口な上もごもごと咥内にこもった声だったけれど、耳を澄ませていたため聞き逃さずに済んだ。
花も霞む美貌な上可愛らしい魅力に溢れ、心穏やか且つ肌荒れとか日焼けとかの心配すら縁遠いなんて羨ましすぎる。やっぱり一度でいいから称賛のかぎりをほしいがままにする黒バラ姫を見てみたい。
ただ、セーラが敷地内に紛れ込んできた犬探しに勤しんでいたせいで会えずじまいだった昨日は結果オーライとしよう。
頭に葉っぱが絡みつくのも気にせず年甲斐もなく本気を出した割に小型犬にいいように遊ばれ、「いい度胸じゃない、ふははは……」と教養のあるなしに関わらず、他人のフリをしたくなるだろう嫁入り前の女性にあるまじき醜態を晒していた私は同じ年頃の娘として恥ずかしい。あげくに紫外線のダメージをもろにくらってしまった肌は真っ赤になっていたし、黒バラ姫と顔を合わせなくてむしろ助かった。
「それで?」
「観客がいれば満場一致で席を立つだろう独自のアレンジを施した歌で犬を寝かしつけているのを見た時は思わず笑みが零れてしまうと同時に代われるものなら犬と代わりたいと思ったものの、はぁ……遠くにいた私ですら思わず天にも昇る気持ちになり……」
「ああ、神の使いかと身震いするほど常人離れした歌声だそうだからね」
空気に溶けた歌の余韻を探すようにご主人さまがゆったりと瞼を閉じた。
膝にのせた仔犬を撫でながら、しずしずと子守唄を口ずさんでいる黒バラ姫の背後でその歌声に魅了された通りすがりの人垣がスタンディングオベーションで癒されている様子が眼に浮かぶ。
こっそり溜息を吐いたセーラは、どんな簡単な歌でもどうしてか音域や調子がめちゃくちゃに外れてしまうのが悩みだ。
昨日も仕返しと練習がてら――飼い主が迎えに来るまではと鎖に繋がれ逃げることもできない憐れな――犬にこっそり歌を聞かせたところ、終始ピンと立っていた短い耳がみるみる垂れ落ちた。合いの手のように助けを求めて呻く小さな鳴き声がか細く途切れたのを最後に、一曲歌い終える前に犬を昏倒させてしまったセーラとは大違いだ。
包み隠さず感想を述べる悪友がいればきっと吹き出し、死神を呼び出す呪術の類かと耳を塞がれるだろう。
「他には?」
「お茶を片手に、歴史大全を読むのに費やした時間がたったの数分だったのにはもはや二の句が継げず、間髪入れずにね……瞑想し続けたのはむしろ尊敬すら覚え……」
「自発的に国の歴史を勉強しているなんて、さすがだね」
高等教育を受けていないセーラはお目にかかったことがなくとも、噂では背表紙の両端に指を渡すのも片手では難しいほど一冊が分厚い歴史書をまさかの速読とは恐れ入る。
そりゃあ、ご主人さまも意味ありげな流し目を寄越してくるってもんでしょう。
何を隠そう、セーラは机に向かって勉強するより、身体を動かしてあくせく働くほうが性に合っている。
犬が目覚めるまでの暇つぶしにと、胃の中で波立つ音が聞こえるほどの眠気覚ましを飲んでアンティーク調の超長編に挑んだというのに、数ページで――もちろん本の内容なんて見当もつかないうちに――鮮やかな寝落ちを披露して、垂らした涎が乾ききるまで起きなかった私は是非黒バラ姫の爪の垢でも煎じて飲ませてもらいたい。
――特技がいくつもある才色兼備ってなんですか。そんな女性が実在したら、兄弟で争わなくとも恋敵の数には不自由していないはずだ。
いつも通りの感想を抱き、ほろりと子爵さまに同情するセーラとは対照的に、
「でもあれだね、女性の無防備な姿を影から覗き見するのは感心できないなぁ。好きな人に嫌われちゃうよ」
と、容赦ないご主人さまはくすっと笑ってワインを飲み干した。傾けたグラスを透かし見れば、ショックに打ちひしがれる巨躯が映るだろう。
まったく――、いい年して。
普段甘えてばかりいる兄弟をとられそうなのが気に入らないのか、皮肉が言いたいがためにご主人さまは黒バラ姫の話を無理やり聞き出しているのかもしれないと、最近は思い始めた。
でも構ってもらえる方も総体的に見ればある意味嬉しそうなので、需要と供給が一応成り立っているのだろう。
釘を刺すように黒バラ姫に関するやりとりをご主人さまが締めくくるのは毎度のことだったけれど、子爵さまが黒バラ姫に袖にされることはなく無事愛を育まれていたようだ。
結局何だかんだと黒バラ姫に会えないでいるセーラも、さすがに一緒の屋敷に住めばお目通りのチャンスは腐るほどあるだろうと、今から二人の結婚が待ち遠しい。




