ご主人さまとセーラの出逢い
あの日は他の子どもたちにバレないように、いつもは施錠されていて使われることのない裏門から孤児院を出た。その時セーラが持っていたのは小さな鞄に入るだけの着替えとちょっとした身の回り品だけ、というか自分のものと胸を張って言えるものがそもそもそれだけだった。
「どんな状況でも人は幸せになれるものです。とりあえずは気晴らしでもするといいでしょう。今までよくみんなの面倒をみてくれました。こんなものしか持たせてあげられませんが、貴方の好きにお使いなさい。路銀がなくなったらセーラを大切にしてくれる方を頼りに生きていくのですよ」
唯一の見送りである母親代わりのシスターに抱きつき、セーラはコクリと頷いた。
年下の子どもの面倒を見出して以来、一番古株だったセーラは常に抱きしめる側で、誰かにあやされるように抱きしめられたのなんて十年以上も前のことだ。
次々と新しい居場所へ旅立っていく子がほとんどの中で、売れ残るように住み続けた孤児院。行き先が決まっていても、きっと長年暮らした居場所を離れるのは寂しい。そんな気持ちが伝わったのかシスターも頭を撫でてくれた。
ここを出たとしても何も問題はないからとあっさり送り出されれば、追い出される身でも未来に対する不安が軽くなった気がする。
孤児院を離れても領地の外に行く気はなく、街で仕事と部屋を見つけさえすれば独り立ちがちょっと早くやってきたのと変わらない。
シスターに握らされたコインを手に、セーラが真っ先に訪れたのは――領主である伯爵家も贔屓にするという――街一番の美容室だった。
今後の身の振り方の目処がすぐにたつとは限らない。見つかったとしても給料がもらえるまで生き伸びる対価が必要とくれば、先立つものは増やせるうちに増やしておくことが最重要だとの判断からだ。
初めて訪れた美容室は女の子が好みそうな柔らかな色で統一され、甘い花の匂いがする。
押し開けたドアに合わせ、頭上でベルがぎこちなく揺れた。その音に応えて出迎えてくれた美容師は、簡素なワンピースを着慣れたセーラでなくとも奇抜な格好をしていると思うはずだ。
まず目を惹くのは見せつけるように大きく開いた胸元の生地を補って余るほどに高い白襟。その身体のラインにぴったりと張りついたオーバーオール形の薄紫の服は太ももの半分よりも丈が短い。
未知との遭遇に言葉を失ったセーラは美容師が促すままに来店の理由を告げた。
「いやぁねぇ~髪売りたいって、お嬢ちゃん孤児院に居た子でしょ? この質ならカツラにしないのももったいないけどぉ……思い直してちょうだい」
セーラの背中に垂れるポニーテールを梳く長い指はすっきりと細く、整えられた爪には透き通るようなピンクの色が塗られている。もう一方の丸めた手を――つるりとしているのに――青みを帯びた顎先に当て、無駄な脂肪が一切ない身体を残念そうにくねらせる美容師は赤い唇の隙間から吐き出す溜息と一緒に首を横に振った。
「なんで?」
「保護者の許可なくあんたの髪切っちゃったらおじさんがコワい人に捕まっちゃうかもしれないじゃない。しかも一文無しってわけでもないんでしょ? だったら最初に頼れるところを虱潰しにあたって全滅してから自分の身体に値段つけなさいよ……って、何、そのさっきよりもびっくりしたアホ面は?」
気を取り直したはずなのに無防備に口を開け、同じように真ん丸にした目を白黒させるセーラの顔は見ようによっては相手を馬鹿にしていそうなものだった。
「そんな話方でくねくねしてるのに、自分のことおじさんって呼ぶのって、己をわかってるのかわかってないのか、どっちかなって」
「まっ!? 失礼しちゃう子ね。もう絶対切ってやらないわ」
「いいわ。自分で切るから」
「へ?」
セーラは鏡前の椅子に何気なく近づき、横にあった手押しワゴンの上に備えてあったカミソリナイフを手に取った。美容師が状況を把握する前に、ためらいなく首の後ろへ回して切れ味抜群の刃を上へ動かす。
「ぎゅゎぁぁあああ……」
中央が縦に窪む顎の前で揃えられた両拳の隙間から、中途半端に高く野太い悲鳴が響く。
一息にとはいかなかったけれど、セーラはバッサリとポニーテールを束ごと切り落とした。髪結い紐のおかげで床にばらけた毛も少なくて済んだ。
見た目をよくするためではなく、小銭稼ぎに髪を売りに来たのだから多少毛先の長さがガッタガタでも気にしない。
すっきりした顔のセーラとは対照的に、彼女の足元で四つん這いになった美容師の方が悲鳴を上げて必死に落ちた髪の毛をかき集める。
「なんてことすんのよ!? 何がしたいのよ? ナニをさせたいのよ!? 店がここまで大きくなってこれからって時に――」
「大丈夫。財布の重さを確かめたくて思わずスキップしてしまう私が嬉しそうに店を出て行けば、身寄りのない可愛そうな少女の髪を無理やり切った変態強欲美容師だなんて誰も思わないわ。――もったいないって言ってくれたならカツラに使えるんでしょ。もうそれ以外に使い道もないし、ね? 買って?」
にっこりと笑うセーラはそれぞれの手に持つ髪とカミソリナイフを受け取るようにと美容師に差し出した。
「ひぃっ……――あ、あく、あくどぃ」
孤児院にいればみんなで支え合い、分け合うことができる。けれど独りなら、持てる限りのものを利用して、強かに生きてみるしかセーラにはできない。幸いなことに、救いの手を差し出してくれそうなツテはある。けれど一方的に誰かに助けてもらうのは、本当にどうしようもなくなった時でいい。
「買ってくれないの? 価値があると仄めかすから切ったのに。これはもう、一生人間嫌いになりそうなほどの心の傷ね。少なくともこの街にはもういたくなくなるわ。領主さまのご子息にも褒められた髪だったのに、故郷まで一緒に失うなんて……」
これ見よがしにしょんぼりと肩を落として見せたセーラだったが、美容師が青ざめ震えるほどの詐欺や恐喝をしているわけではない。彼女の髪で作ったカツラを売れば利益が出るのだから美容師にだって悪い話ではないはずだ。
「かうっ、買うわよ。だから至福の時って顔でさっさと飛び跳ねながら出てってっ――て、いえ、ダメよっ。まずはそのざんばら頭をどうにかしなきゃ、店が潰れるうえに私の毛根と言う毛根が死滅しちゃうわっ」
「もう死んでるのかと思った」
「これはハニートラップの下準備なの! 来月には生えたての毛がえもいわれぬ魅力を醸し出すのよ。いつでもどこでもひっきりなしにざりざり頭を撫でてもらう予定なんだから!!」
率直なセーラの感想に、血走った涙目を吊り上げたスキンヘッドの美容師は鬼気迫るハサミさばきで、ばらばらだった毛先を眼にも止まらぬ速さで整えた。
物心ついて以来あんなに髪が短かったことはない。
心機一転には充分すぎるほど身軽になった後、寝床と仕事探しに奔走しているセーラの前に目の周りをふやかしたご主人さまになる前のご主人さまが現れた。
実は縋れば助けてくれるだろうけど、自分で何もしない内には頼らないと決めていた相手だ。
努めて明るくやりすごそうとしたセーラだったが、孤児院を援助してくれていた繋がりからか、ある程度の事情を知っていたようで開口一番に短くなった髪を我が事のように惜しまれ、鬼気迫る勢いで屋敷にこないかと持ちかけられた。
求人や借り手募集の張り紙があってもなくても、ことごとく断られていたセーラにとってはありがたいことこの上なく、この調子では孤児院がある街で居場所を見つけるのは無理だろうしと、鮮やかに手の平を返した彼女は一も二もなくその申し出に飛びついた。
孤児院がお世話になっていること以外には特に関わりのなかった伯爵家の兄弟とは、実は意外と昔に出逢っている。
二人揃っての初陣で並々ならぬ功績を認められ、有り余る褒賞を領地内に配っていた恩恵が孤児院にも及んだのだ。
確か領地内の商業関係に長男が、そして病院や孤児院などには次男が寄付をしてくれた。
運営が苦しい時期が多かった孤児院ではちょっとの食料や使い古した物がもらえるだけでも大助かり。しかし、そんなところに食べたことどころか匂いを嗅いだこともなかったキラキラしたお菓子が大量に届くとどうなるか――なんてトラブルの元となるに決まってる。
誘惑の匂い煌めくお菓子を配られ、普段なら聞き分けのいい子どもたちが取っ組み合いを始め、食事や玩具を年下に分け与え親分気取りだった子ですら子分たちから横取りしようとしたのだ。しかもこの騒動はセーラの危惧した通り、しばらく尾を引いた。
ありがたいけれど、ビスケットなら小麦粉と卵を、キャンディをくれるなら砂糖と果物を材料の段階でよこせと言いたかった。
街を出歩く度に孤児院の子だと同年代の子たちに絡まれていた時期だったことも手伝い、セーラの心はただでさえ荒んでいた。
普段食べられないものをという優しさも配慮の欠ける行動としか思えなかったため、特に寄付の送り主である伯爵家次男への心象はとことん悪かった。
その日の内に面と向かって嫌味でラッピングした文句を言いに行ったほどだ。
次男はどこだと目の端を吊りあげて突進したセーラの前に一歩踏み出したのは銀髪が眩しい男の子。気に入ってくれたかと問うので、子どもたちは喜んでいても教育上よろしくない結果となりそれはもう感謝してもしきれないと、余計なお世話だったと仄めかす。不躾なセーラに対し表情を険しくしたもう一人の男の子とは違い、ご主人さまは無礼な態度にも怒ることはなくむしろ快く継続的な援助を申し出てくれた。
もちろん子供同士の口約束だから、セーラは喜びつつも期待なんて言うほどしていなかった。
なのに援助の約束は護られ、しだいにその規模も大きくなっていく。
差し入れの度に少しずつ話をするようになると、気安くとも領主の血筋に恥じぬ聡明な方なんだと見直し、いちゃもんをつけた過去の自分を恥じさえしたものだ。
そうした縁で拾ってくれた自慢のご主人さまには、これからも出来る限り誠心誠意お仕えしたい。
そのためにはまず、ご主人さまの大切な家族、特に兄弟に持たれているセーラの悪印象をなんとかせねばと試行錯誤を繰り返す。
やはり各話が突拍子なく始まり、ぶつ切りで終わってしまう……




