第7話~無事に帰ってきてくれれば、それでいいんだよ~
イリーナ・ベルティオンは北域将軍シュナ・ベルティオンの叔父、ターモア・ベルティオンの長女で年齢は14才。つまりシュナの2才年上の従姉にあたる。
茶色のボブヘアーに同色の瞳。男勝りの凛々しい立ち振る舞いで、剣の腕も立ち、異性よりも同性からの人気が高く、『北域の王子様』と呼ばれている。
この日、彼女は父とともに北域将軍領の本拠地であるラス城を訪れ、久々に会った従弟と剣を交えていた。
運動オンチのナナ・ポロックにとって、目の前で起きている出来事はまさに異次元の物であった。
「すごい・・・私の目じゃ、追い切れない」
「そりゃー、シュナもイリーナもこの将軍領内じゃ5本の指に入る実力者だよ?ナナちゃんの目で追いきれるものじゃないって」
ナナの隣に座って2人の稽古を見守っている剣術師範のハルが、腰に提げている瓢箪からお酒を飲みながら呑気に解説する。
「2人の剣は全くタイプが違う。シュナはこの軍の最高司令官だから、討たれてはいけない。だから、いつ刺客に襲われても自分の身を守れるような剣を教えた」
「逆にイリーナはシュナを守れるよう、何人もあの子を傷つける事が出来ぬように敵を退ける攻撃的な剣を教えた」
よく目を凝らしてみてみると、確かに先ほどからイリーナがシュナに攻めかかり、シュナがそれを受けて、流しているという展開である。
2人の剣戟に見入っているナナを横目に見ながら、ハルは当時10才のイリーナが将軍剣術指南役の自分に稽古をつけてくれるよう申し出てきた時を思い出していた。
―――稽古をつけてくれ?言っておくけど、私はお嬢様が習うようなお遊戯剣術は教えられないよ?
―――ええ。分かってる。でも、あたしは強くなって、シュナを守らないといけないの。
身に纏ったドレスとは不釣り合いな武骨な剣を抱えた少女は、真剣な眼差しでハルを見上げて続けた。
―――シュナの周りにはいっぱい人がいる。ウラゴリオスも、パーシーも、マグビスも。騎士のみんなだって。でも、あいつは独りぼっちなのよ。心の奥底では、誰も信じていないのよ。
幼くして両親を失い、祖父という庇護者を失ったシュナ。そんな彼に追い打ちをかける様に起こった一族と配下の軍事貴族の裏切り。北域将軍家の正当なる当主として毅然と振る舞い、反乱を鎮圧してみせたシュナ。しかし、イリーナは気が付いていた。躊躇いもなく造反した一族の処刑・追放し、抵抗した軍事貴族に対して苛烈な手段で以て討伐を指示したこの少年を誰もが恐れていると。そして、自分が恐れられていることを、従弟はすでに気が付いていることも。
そしてそれを知ったうえで、さらに孤高の極みに登ろうとしていると。誰も理解が及ばぬような高みに上り、さらなる畏怖を臣下に植え付けようとしていると。
―――あいつは勝手な理由で兵を起こしたおじ達から北域の臣民を守るために戦ったのに、なんで恐れられなきゃいけないの。それがあたしには納得できない。だから、あたしが傍にいる。
―――そのためには、今まで習っていたあなたが言うお遊戯剣術じゃダメ。あたしがあいつの隣に立つには、強くならなきゃいけないの
―――いいけど。私の稽古は厳しいよ?それでもいいの?
それから4年。シュナと一緒に鍛えられたイリーナは、同世代の中では群を抜く強さを手に入れた。15才になれば、彼女も軍事貴族の子弟で構成されているシュナの親衛隊の一員として従軍することになる。
(イリーナは確かにシュナの隣に立つぐらいの力を手に入れる事は出来た。でも・・・)
彼女は不器用すぎた。傷ついた彼の心を癒し、傍にいるにはまだそれでは足りなかった。父のティアヘイムが死んだ後、祖父のガイアは嫡孫を北域将軍にするべく厳しく教育した―――いや、洗脳したといってもよいだろう。
将軍たるもの常に冷静沈着たるべしとして、感情を殺させた。特に泣いたり笑ったりすることを許さず、幼い孫に容赦なく手を挙げた。
大好きだったお伽噺の本を取り上げ、軍学や政治の本に変えさせた。剣を鍛えさせ、戦場で人を殺す度胸を付けさせるために罪人の死刑を執行させた。
その結果、祖父が望んだ将軍像に近づかせる事は出来たが、幼い少年の心は完全に死んでしまった。
(ナナちゃん。君ってすごいんだよ。誰もが出来なかったシュナの心を守り、あの子をこの世にいさせているのは、紛れもなく、君なんだ)
ハルがシュナに初めて出会ったとき、彼は人形のようだった。
最高級の人形のように整った容姿を持ちながら、しかしその表情には感情の欠片もなく、淡々と命令を下していくその姿に、ハルは危惧を抱いた。
(この子は世の中のすべてがどうでもいいと考えてる。自分の命さえも。だから度々命を投げ打つマネをしてみせた)
将軍府統一戦での猛将と呼ばれた伯父へ挑んだ一騎打ち。『黄金の獅子』の異名を誇ったバッティーノ先王との一騎打ち。12才の成熟しきらぬ身体にはいくつもの戦傷が刻まれている事、そしてナナが自らを大切にしないために付いたその傷を悲しんでいることを知っている。
(そういえば、あの時だっけ。シュナがナナちゃんに心を開くようになったのは)
バッティーノ先王を討ち取った戦い後に、重傷を負ってラス城に戻ったシュナに、ナナは泣きながらシュナを叱ったという。
―――何でシュナはもっと自分の命を大事にしてくれないのっ!?
その後も泣きながら懇々と自分の命を大事にするように、シュナを待っている人は天国なんかにいないと泣きながら説かれたシュナは、ポツリと呟いた。
―――ナナが、余を待っていてくれるのか
―――私が待っていてあげる。だから・・・無事に帰ってきて。
―――余を大切に思っていてくれるのか。北域将軍としてではなく、ただのシュナ・ベルティオンとして
(あの時に北域将軍という肩書を持たされ、祖父に作られた人形は、シュナ・ベルティオンという人間になれた・・・か)
ナナはこれからのシュナの支えとなるだろう。
そして同時に、シュナのアキレス腱ともなるだろう。
(これからいろいろ大変だよ・・・)
シュナは北域将軍という立場故に。
ナナは無位無官のメイドという立場故に。
大いに迷う事だろう。立ち止まる事もあるだろう。
しかし、お互いがお互いの道を照らし、正しき道を示してくれるだろう―――
ハルはそう、確信している。