第6話~戦争への足音~
「やぁやぁ!ナナ殿ではありませぬか!」
その声がナナの耳に届いたのは、彼女が世話になっている孤児院の子供たちに作るためのケーキの材料を探して市に出向いていた時の事。聞き覚えのあるその声の主は、シュナに仕える武官のひとりであると認識していた。
「・・・ラッツ中佐、そんなところで何をしているんですか・・・」
彼女がジュノサイド神聖帝国軍中佐、ラッツビル・パーシーの姿を発見したのは、市に並ぶ八百屋の店先であった。彼が八百屋に客としているのであれば、まだわかる。しかし彼はエプロンを身に纏い、ちょうど夕飯の買い物に来ていたのであろう、主婦にほうれんそうを勧めていたところであった。
ラッツことラッツビル・パーシー中佐は33才。庶民出身で、衛士からのたたき上げでここまで上り詰めた武官である。細面のネズミのような顔をした大凡武人とは思えない貧相な体格の人物である。先代将軍により引き立てられて次々と武功を挙げ、こんななりでも武官のトップであるウラゴリオス少将に次ぐ実力者である。
「いやー、ここの八百屋の親父がワシの知己で、ぎっくり腰で入院してしまったそうでしてな。頼まれて店主を代行しておるのですよ」
ニコニコと人好きのする笑みを浮かべる。彼は見た目こそ庶民出身の垢抜けなさと頼りなさそうな貧相な小男だが、何故だか人に好かれる性質の持ち主であり、こうしてちょくちょく城下町に降りてはこうして庶民と戯れているのである。
「あ、少将殿には黙っておいてくだされよ。また怒られてしまいますので」
「もう。この前怒られたばっかりじゃないですか」
自他ともに厳しいバーボンスと気さくなラッツはまさに水と油。彼にとってもバーボンスは尊敬できるが苦手な上司のようだ。
これを付けますので、と口止め料のつもりなのだろうか、渡してきた数種類の野菜を受け取ったナナは、持ってきていたバッグにそれを詰めて孤児院に向けて歩き出した。
ニコニコと笑顔でナナを見送ったラッツはその笑顔のまま、表には見えぬよう潜んでいた者に声をかけた。
「―――何用か」
「はっ。ニルテール王国を支援する義民団の全拠点を発見し、地図に纏めましたのでその報告に参上いたしました」
潜んでいたのはラッツが飼っている密偵集団の一員で、シュナの命を受けたラッツが彼らを使って近々の仮想敵国であるニルテール王国のある情報を調べさせていたのである。
ニルテール王国自体はあまり大きな国ではない。しかし、周りに王国と縁を結んでいる中小国が数多く点在し、彼らは兵糧部隊を襲うなどゲリラ戦術でベルティオン軍を苦しめ、さらにニルテール王国民は総じて国家への忠誠心が厚く、戦ともなれば、彼らもゲリラ兵と化してこちらの軍を苦しめてくるのだ。
「至急閣下へご報告せよ」
「はっ」
ちなみに王国と縁や同盟を結んでいる国々に対しては、参謀長リッチモンドが切り崩し工作を行っている。兵糧や武器、軍資金の調達についてはウィット率いる文官衆が。兵の調練についてはバーボンスが先頭に立って行っている。
先日行われた会議で、シュナは諸将に命令を下した。
「今年の冬にニルテール王国を滅ぼす」
「レイラの情報によると、ニルテール王モリスはもう長くはない。息子どもは揃って凡庸だ。我が領内の犯罪者であるモロットをかくまった罪を大義名分に掲げ、これを討つ」
「大陸北部の冬が長く厳しいのは重々承知。しかしバッティーノ連合王国もそれは同じ事。まず冬の寒さを耐えきるために、拠点を構える」
「ビュワーズ参謀長は連中に与する国々を調略せよ。我らに降伏して拠点を差し出すならば名誉ある扱いをするとゆさぶりをかけよ。金は好きに使って構わん」
「パーシー中佐は忌々しいゲリラどもの拠点を探り出せ。侵攻開始後、真っ先に奴らの拠点を攻め潰す」
「ウラゴリオス少将は兵の調練の指揮を執れ。マグビス文官少佐は兵糧などの消耗品と軍資金の確保を商人どもに募れ」
矢継ぎ早に指示を下したシュナは、最後にこう締めくくった。
「軍の総指揮は余が自ら執る。余の就任以来続いた因縁に終止符を打つ」
将軍自らの出陣。それは絶対に負けられない戦いを意味する。
一同は深く首を垂れ、シュナの退席後すぐさま動き出した。
来る冬に向けて、彼らの主が勝利を手にするようにと。