第3話~シュナ、いくら怖い顔してもにんじんは残しちゃダメ~
軍靴が絨毯を踏みしめる音が、ナナのいる将軍執務室にだんだん近づいてくる音が聞こえてくる。シュナが朝議とその後の剣術師範との稽古にウィットとの政務の勉強、その他の雑務を終わらせ、昼食を取るとシュナの1日の公務は終わりになる。
バタン!と荒々しく扉が開かれ、部屋の主であるシュナが戻ってきた。鉄仮面のように感情が読めない表情をしているが、ナナにはシュナがイラついていることが分かった。
他の者なら怯えて遠ざかるところだが、ナナは言わなければならないことがった。
「シュナ、『ただいま』は?」
「・・・・ただいま」
「はい、おかえりなさい」
ニコリと微笑んでシュナから剣を受け取り、脱いだ軍服を受け取る。ナナがそれらを片付けている間に、シュナは用意されていた部屋着に袖を通す。
「ナナ」
ナナが軍服と剣を片付け終わったのを見計らったシュナが、ナナに声をかけた。
「何、シュナ?」
「・・・」
シュナは来客の応対に使うソファーに腰掛け、自分の隣をポンポンと手で叩いた。
「シュナ?」
「・・・」
ポンポン
「・・・」
「・・・」
ポンポン
「・・・はぁ。分かったわよ」
誰かに見られると恥ずかしんだけど、とナナは溜息をつき、シュナの隣に腰掛ける。シュナはそのナナの膝に頭を乗せる。いわゆる膝枕というやつだ。
シュナは考え事があったり、機嫌が良くなかったりするときはこうして彼女に膝枕を要求する。シュナ曰く「ナナはいい匂いがする」との事で、頭を乗せて、しばらく目を瞑っていると―――
「もう・・・私だって、まだ仕事があるんだけどなぁ」
静かな寝息を立て始めたシュナに苦笑しながら、その髪を優しく梳きはじめる。普段は冷徹な将軍閣下として皆を恐れさせているが、こんな時は年相応のあどけない寝顔をナナに見せてくれる。
いい夢を見ているのだろうか。フニャ、とだらしない寝顔。常に気を張り、立場故、公の場でリラックスした姿など見せられないシュナが唯一安らげる場所、それが自分の膝というのなら、ナナはいつでも膝を貸してもいいとも密かに思っていた。
・・・もちろん、恥ずかしいし、他人の目がないところならという条件付きであるが。
「やっほー!将軍閣下に最新の情報をってわぁぁぁぁぁぁぁー!」
バターン!と派手に扉を開けて現れた闖入者は、悲鳴を上げてひっくり返った。理由は簡単、今の今まで寝ていたシュナが跳ね起き、闖入者に向かって護身用に隠し持っている投げナイフを投げつけたからだ。投じられたナイフは闖入者がひっくり返るまで心臓があった場所を通過し、扉の向こうの廊下の壁に突き刺さっていた。
「・・・うるさいぞ、レイラ」
「うるさい!?うるさいだけで閣下はボクを殺そうとしたの!?こーんな可愛い密偵頭、レイラルド・フルーラを!」
がばっと跳ね起き、シュナに向けて抗議の声を張り上げたのは緑色の髪の小柄な少女であった。身長はシュナより少し大きいくらいだが、年齢はナナと同じだと聞いた事がある。シュナの身辺を影となって密かに守り、彼の耳ともなる隠密部隊の若き頭。
それが彼女、北域将軍府隠密頭レイラルド・フルーラ少尉であった。
「それで?貴様が来たという事は何か情報があっての事だろうな?」
「ううん。ナナさんに膝枕されて骨抜きになっている閣下の寝顔をのぞきに―――嘘ですごめんなさいだからナイフを投げるのは止めてくださいぃぃぃぃぃ!」
途中で悲鳴に変わったのは、シュナが無言で2本目のナイフを投擲し、彼女がそれを回避したためであった。ナイフはドスッという重い音を立てて壁に突き刺さった。
「シュナ!」
「どうせ余が殺すつもりで投げても、奴なら必ず避けられる」
ナナが叱責するが、シュナはプイとソッポを向いた。顔をそむけたのは、バツが悪いからだろうなとレイラは分析する。
「情報を持ってきたのだろう。吐いてとっとと失せろ」
「うわひどいよ閣下!」
レイラはシュナの幼少期より傍に仕えてきた側近であり、気の置けない友人のような関係でもあった。このシュナの執務室兼私室に入る事が許されている数少ない人間である。
「えーっとね。最近話題のシュナの叔父さん、モロットの事だけど」
彼女の情報によると、反帝国・親連合王国を掲げるニルテール王国に逃れたシュナの叔父モロット・ベルティオンは、ニルテール王国を通じてバッティーノ連合王国に降伏を申し出、これを受け入れられたとの事。現在は盟主である連合王国の許可を受けた上でニルテール王家の娘を娶って王家の一員になったという。
「モロットを旗頭にこの領内に攻め込んでくる気であろうな。あれも元は将軍家一族、余を討って新将軍に据える権利は十分にある」
「そしてシュナを討った後、北域将軍領を連合王国に売り渡す・・・そんな取引でもしてるんじゃないかな」
フン、とシュナは鼻で笑う。
「あの叔父御が余を討つ?面白い冗談だ」
「でも、モロットの背後には連合王国もいるんだから、油断は大敵だよ」
「うむ」
シュナは思案顔のまま、ナナが淹れた紅茶を飲む。シュナはそろそろ謀反人をかくまうニルテール王国に対して討伐軍を送る事も検討していた。
現国王のモリス・ニルテール3世はジュノサイド神聖帝国およびベルティオン将軍家による度重なる恫喝に対しても毅然として親連合王国を貫いてきた強骨漢である。そのうえ戦上手で、歴代将軍が過去に何度か軍を送ったこともあったが、いずれも敗退している。国力は北域将軍領の20分の1に過ぎないが、周辺にニルテール王国と縁戚関係を結んでいたり、ニルテール王国と同じく親連合王国の国が数ヶ国固まっており、それらの国々がすぐさま援軍に駆け付けてはベルティオン軍にゲリラ戦術を仕掛ける為、ニルテール王国は幾度もベルティオン軍を退けることに成功していた。将軍自らの出陣も検討されたこともあったが、様々な事情が重なってこれまで代理の将を送るに留まっていた。
しかし好機は着実に近づいて来ていた。国王モリスの体調がここ数年優れず、最近では床に臥せることが多くなっているという。彼の息子たちは総じて凡庸で、父に比べればはるかに与しやすい人物たちであった。
「あの頑固爺がくたばってから軍を送る。レイラ、絶えずかの国の動向を調べよ」
「りょーかい!んじゃいってきまーす!!」
レイラはピューッと音を立てて、窓からその身を躍らせた。初めの頃はナナも驚いていたが、これがレイラのデフォルトであるらしい。彼女は部屋の窓に面している中庭に生えている大きな木の枝に飛びつき、そこから城下町へと飛び出して行った。
「・・・ナナ、嫌な臭いがする」
渋い顔をしたシュナが、お茶の用意をしていたナナに訴えかける。
「嫌な臭いって・・・もぅ、嫌いな物の臭いを当てるのだけは上手いんだから」
はい、と彼女が用意していたのは、オレンジがかったケーキ。キャロットケーキというやつだ。食べ物の好き嫌いが多いシュナが、少しでも嫌いな物を無くすようにとナナが用意した物である。
「シュナ、そんな怖い顔してケーキを睨んでもダメ。食べ物の好き嫌いをしてちゃ、大きくなれないわよ?」
「・・・父上も祖父様も背が大きかった。ニンジンやピーマンなど食べずとも、余もいずれ背が大きくなる」
プイとケーキから視線を逸らすシュナ。実はこの将軍閣下、ニンジンやピーマンといった子供が苦手そうな野菜が大の苦手であった。もちろん、この情報は一握りの者しか知らない秘中の秘である。
(こんなところは子供っぽいんだけどなぁ・・・)
「でもねー、シュナ。女の子って、野菜が嫌いな男の子より、何でも野菜を食べられる男の子の方がカッコいいって思うだけどなぁ」
ナナの言葉にシュナがピクリと反応する。これは彼が駄々を捏ねた時にナナがよく使う『魔法の言葉』で、シュナの叔母で文官衆筆頭のウィットの妻・ハミアから教えてもらったものである。
「・・・ナナも、野菜が好きな男の方が好きなのか?」
「うーん。どっちかといえば、そうかなぁ」
もちろん嘘である。しかし、シュナにとってはなぜか毎回効果覿面であった。
「食べる」
フォークを握りしめ、キャロットケーキと対峙する大帝国最強の将軍閣下。その表情は、まるで難敵と対峙した時のような険しい表情を浮かべていた。
(これを食べきれたら、晩御飯はシュナの好きなものを作ってあげよう)
躊躇いながらもフォークをケーキに刺して口に運ばんとするシュナを心の中で応援しながら、ナナは今晩のメニューを考えていた。
ナナの日記
最近のシュナは、嫌いな食べ物を出されても露骨に不機嫌にならなくなった。これも少しの成長なのかな?
でも、ハミアさんから教えてもらった『魔法の言葉』、効き目抜群なんだよね!シュナもやっぱり男の子、気になる女の子で
もいるのかな?