第1話~メイドをはべらせての出勤。これってどうなの?~
洗顔をさせても寝ぼけ眼のままのシュナの手を引いて椅子に座らせると、シュナはナナが用意したおにぎりを食べ始める。彼が食事をする間に、寝癖がついた髪の毛を整える。シュナの銀髪を整えた後は、この後予定されている重臣たちによる朝議に行くために着る軍服を取り出し、佩かせる剣を用意する。
「・・・ごちそうさまでした」
「はい、お粗末さまでした」
シュナがキチンと両手を合わせて呟くと、ナナも笑みを浮かべて応えた。ナナが彼に仕えて2年が経つが、いまだに初めて教えたナナの故郷の習慣を彼が守っていることに、食事の度に嬉しく感じる。
シュナは寝間着を脱ぎ、用意された軍服に袖を通す。黒を基調とし、所々に金色の装飾が施されたものだ。神聖帝国軍でわずか4人しか付ける事を許されない大将の勲功バッジを胸に付け、腰に剣を提げる。神聖帝国軍北域将軍府の長であるシュナ・ベルティオン大将の完成である。
「ナナ、準備はいい?」
「あ、うん」
シュナは朝議を行う大広間直前までナナを傍に侍らせておきたいらしい。懐かれてるなぁとナナは感じているが、友人やメイド仲間には『それって懐かれているっていうより・・・』『私はお金積まれても嫌。閣下みたいな美形は遠くから眺めているのが一番いい』と口々に言う。後者はともかく、前者は『ううん、何でもない』と途中で遮り生暖かい視線を送ってきたのが妙に気になったが。
ナナを後ろに侍らせて、私室の扉を開く。シュナが歩き出すと、扉の両脇に立っていた騎士達もシュナ達2人を守るようにその後ろをついていく。ナナは前を歩くシュナの表情をうかがい知る事は出来ない。しかし、すれ違う人たちの顔を見ていると、彼がどんな表情を浮かべているのかは大凡予想がつくし、普段彼らがシュナをどのように思っているかもわかる。
彼らの顔に浮かぶのは『畏怖』『恐怖』『緊張』の感情。高位にいる人物とはいえ、たかだか12才の少年に抱く感情ではないはずだ。ナナはそれをとても寂しい事だと思う。
(シュナだって、その辺にいる子供たちと何も変わらないはずなのに・・・)
北域将軍として100万の民の命と生活を守らなければならない。8才での将軍就任からその小さな肩には重すぎるほどの荷が乗っていた。
2年前にナナが初めてシュナにあった時、シュナはあまりにも表情がなかった。両親はすでに亡くなり、肉親ほぼ全員に背かれた。家臣たちだって、いつ自分を裏切るか分からない。特にシュナは子供であるが故、弱みを見せればすぐに家臣たちは動揺する。動揺すれば再び反旗を翻すものが現れ、無辜の民草が苦しむ―――聡い子だった彼はそれを十分すぎるほどに理解していたがゆえに、常に『将軍シュナ・ベルティオン』であり続けなければならなかった。その重圧から逃れる術や、ただのシュナ・ベルティオンとして寄り掛かることの出来る人物がおらず、重圧に押し潰されかけ、感情を失いかけていたのである。
この2年間でシュナはようやくナナには心を開くようになり、ナナもシュナが考えていることや他の者にはわかりにくい喜怒哀楽も読めるようになってきたのである。
無人の野を行くがごとく進むシュナ一行の前に、ある1人の人物が現れた。
「おはようございます。将軍閣下、ナナ殿」
「・・・ウィットか」
「おはようございます、ウィット殿」
彼はウィット・マグビスといい、この北域将軍府を内政面で支える文官衆の主席である。禿げ上がった頭に僅かに残った白髪に老け顔で60才ほどにも見えるが、実際の年齢は40代半ばである。彼の長年の苦労が頭と顔から窺えた。彼もまた、この将軍府を支える重鎮として朝議に参加する。
「そういえば閣下。妻のハミアがまた近々閣下を我が屋敷にて歓待したいと申しておりましたが、もし宜しければ御成りをお願いしたいのですが・・・」
「また叔母上がか・・・お前の屋敷で歓待を受けるのは良いが、あの大量の料理は勘弁してくれ。美味いのだが、量が多くて食べきれぬ」
ウィットの妻はハミア・ベルティオンといい、シュナの叔母に当たる。甥のシュナを気にかけており、よく食事会に誘うのだが、張り切りすぎて料理を作りすぎてしまうのだ。それを食べきれずに残すと、とても悲しそうな顔をされるため、シュナは若干この叔母と彼女の主催する食事会が苦手なのだった。
「閣下。おはようございます」
次に現れたのは巌のような大男。筋骨隆々の身体を窮屈そうに軍服に身を包み、その眼光は鋭い。
「バーボンス、大儀である」
シュナに一礼をして彼の背後に付き従ったのは、北域将軍府武官筆頭にしてシュナの副官であるバーボンス・ウラゴリウス。神聖帝国軍少将にして、短く切り込んだ自身の燃えるような赤毛の如き猛将であり、騎士、そして下級兵士である衛士の見本に相応しい礼節も兼ね備えた武人の鏡のような男である。
「ウラゴリウス少将、おはようございます」
「・・・ふん。今日もおるのか、小娘」
なぜか彼はナナの事を嫌っており、彼女がシュナに同行して大広間に向かうときは露骨に嫌そうな顔をする。ナナはその度に愛想笑いを返す。正直言って彼の事は苦手だが、シュナに対して苦言を呈することもできる忠臣であるし、悪い人物ではないことはナナもわかっている。表では馴れ馴れしくしながらも、裏でこそこそ悪口を言われるより何倍もマシだと割り切っている。
(まぁ、今から会議を始めるっていうのに、参加もしない女連れて来られるのってあんまり外聞的に良くないのかもね・・・)
初めの頃は、ウラゴリウスもシュナにナナを連れてくるのをやめるよう諫言していたようだが、『別に参加するわけではないからいいだろう』と毎度素気無く断られてしまい、今では黙認している状況であった。
文武の重鎮を従え、シュナは大広間の扉の前に立つ。ナナが付き添えるのはここまでだ。
「それでは、失礼いたします」
ナナは一礼をして今来た道を引き返していく。シュナがナナに朝議の間もいてほしいと思っているのは分かっているが、ここまで甘やかしても威厳的な意味でよくないのは分かっている。だからここで自ら身を引くのだ。
―――たとえ背中に恨みの籠った視線を投げかけられ、後ろ髪をひかれる思いをしても。
~ナナの日記~
〇月〇日晴れ
あいも変わらずウラゴリウス少将は怖かった。まぁ、彼が言う事もわかるけど。
でも同行を断ると朝議から始まる一日の公務が終わって部屋に帰ってきた後、飼い主にじゃれる子猫みたいに甘えてくるから、仕事が出来ないんです!
分かってくださいよ~!!