第16話~下級兵士たちの夜話~
ウッディー・スミス二等兵は今年の春、衛士学校を卒業し、直後に兵役に就いた。国営の軍務学校に行かなかった理由は、彼がパン職人の息子であり、学校に行くよりも家業を継ぐことを自身が望んだからだ。彼が配属されたのは衛士隊の中でも一番の花形と言われている『城内警備隊』。つまりは北域将軍府の本部たるラス城の警備兵である。
今回は、そんな彼と仲間たちにスポットを当ててみようと思う。
ラス城には食堂が3つある。城主たるシュナや将軍家一門が使用する食堂、重臣らが会議も兼ねて利用する食堂、そして今回のお話の舞台となる中・下級の文武官が利用する食堂・・・大勢の人間が利用するという事もあり、途轍もなく広い。そのなかの一席に、『城内警備隊』の新入り隊員ウッディー二等兵とその仲間たちが談笑していた。
彼らの隊は夜勤の部隊と交代し、明日は非番ともあって酒も入り、話は多岐にわたった。先輩衛士や騎士たちの過去の失敗話や華々しい武功話。花街のどの女がいいという下世話な話などなど・・・そのなかで、城に勤務する女たちの中でどの女がいいかという話題になった。
「俺は財務部のアーナがいいな。何しろあの胸にあの美貌!一戦交えてみたいもんだぜ」
「アホ、あんな胸に付いた脂肪のどこがいいんだよ。女は尻!外務部のナリャこそ最高だろうが」
「女は性格だろう。近衛騎士のマリアンヌなんか器量良しで嫁さんにするにはピッタリだぞ・・・もうすでに婚約者いるけど」
先輩たちから様々な女の名があがるなか、ウッディーは聞き役に徹していた。というのも、ここで働くようになってまだ2ヶ月ほどしか経っておらず、ロクに城内に勤める女性を知らないのだから話に入りようがなかった。
「おい、ウッディー。お前は誰が一番いいと思う?」
先輩から話題を振られたウッディーは、ふと、つい先日少しだけ話した自分とほぼ同年代のある少女の姿を思い出した。この国では珍しい、黒色の髪をしたあの子は確か名前を―――
「えーと・・・そうっすねぇ。侍女のナナさんなんて、いいんじゃないっすかねぇ。結構美人だし、優しそうだし・・・」
その少女の名を口に出した途端、先輩たちが固まった。と思ったら、隣に座っていた先輩にヘッドロックを極められ、小声で鋭く問い詰められた。
「おい・・・ナナって、黒髪の侍女か!?」
「え、ええ・・・」
「お前まさか、口説いたりしてないだろうな!」
「し、してないっすよ!ウラゴリオス少将閣下宛の荷物を預かったんですけど、少将閣下の執務室が分からなかったんで、部屋の場所を聞いただけっす」
明らかに先ほどと様子がおかしい先輩。見れば他の先輩たちも酒が入って赤かった顔が真っ青になったり、周囲を見渡していた。まるで誰も聞いていないかを確認するように。
「そ、そうか・・・おい新入り。他の事は忘れても構わんが、これだけは覚えておけ。『ナナ・ポルックに手を出すな』。生きて兵役を終えたければな」
「そ、それってどういう・・・?」
先輩らの剣幕に顔面蒼白になるウッディー。先輩は、声を潜めて話し出した。
お前が来る少し前の話だ。城内に勤務してる衛士隊の隊長にジョセフ・フェルナンドっていう中尉がいたんだ。奴は腹立たしい事に美男子で、その上頭も良くて剣の腕も立つ、とにかく女にモテた。奴自身も女好きな性格でな。文官から武官、侍女に至るまで様々な女と浮名も流していたんだ。
そんな時、奴が目を付けたのがナナ・ポルックだ。将軍閣下付の侍女なんだぞ?・・・なに、知らなかった?まぁ、それは別にいい・・・彼女はお前の言うとおり、身分の差なく優しくて気立てが良い娘でな、俺達みたいな下級兵士にもひそかに人気があったんだ。
え?俺も彼女に惚れてたのかって?・・・ま、正直なところ、口説いて見ようかとは思ったさ。ここだけの話な。
俺の話はともかく、奴と彼女の話だ。俺の同僚が目撃したんだが、奴は彼女の手を掴んで口説いていたらしい。彼女は「仕事があるから」とやんわり断っていこうとしたんだが、奴は彼女が強く断らないのをいいことに、肩まで抱いて口説き続けていたんだそうだ。その時だよ。将軍閣下が通りがかって―――
―――あの冷てぇ声で「余のナナに何をしておる、下郎」って!奴も思わず固まっちまって、その隙に彼女は逃げ出したんだけど、その後の将軍閣下の顔の恐ろしさったら、同僚の奴小便ちびったらしいんだよ・・・
「その後だけど、ジョセフは将軍閣下の命令で対バッティーノ連合王国の最前線の砦に配属されて、戦死したらしい・・・お前も死にたくなかったらナナ嬢に手を出すんじゃないぞ」
ウッディーはコクコクと肯いた。
(うう~。なんちゅう恐ろしい職場に来てしまったんだ。将軍閣下、おっそろしいっす~)
―――ちなみにウッディー・スミス二等兵は、何事もなく兵役を終え、退役した後は家業を継ぐために修行を始めた事を追記しておく。
ザシュッ!
月明かりのみが照らすある日の夜。斃れ伏す男を冷たく見下ろしたレイラルド・フルーラ少尉は、持っていた布きれで得物の刃に付いた血糊を拭った。
「たかだか女の子ひとりの取り合いに負けた腹いせで、敵に内通してそれがばれた挙句に出奔しようとするなんて・・・ほんと、愚か者だよね」
ラス城内では、この男がシュナのお気に入りの侍女―――ナナに手を出そうとした為に最前線に送られたと思っている者が多いが、実際は違う。
実は人事関係の重職を務めるとある貴族がバッティーノ連合王国の調略を受けて寝返り、その人脈を使って工作を行うための自前の戦力を密かに作っていたことが彼女ら隠密部隊の調査によって発覚したのだ。
この斃れ伏している男―――ジョセフ・フェルナンド中尉はその貴族の誘いに乗って一味に加わり、その手回しによって連合王国との連絡係として最前線に派遣されていたのだ。
もっともその貴族は内通が発覚して一族郎党、そして一味ともども処刑されて壊滅し、貴族の手引きでジョセフとともに派遣されてきた者たちも次々に捕縛し、最後に抵抗したジョセフもいま処刑された。
「それにしても・・・」
レイラは懐から一枚の紙を取り出す。それはジョセフら一味に配られていた手配書。そこには1人の少女の似顔絵と詳細な情報が記されていた。
この大陸には珍しい、黒髪黒目の少女―――
「連中、ナナちゃんを誘拐してどうするつもりだったんだろう・・・」
レイラが手にした手配書、そこにはこのように記されていた。
―――北域将軍シュナ・ベルティオン大将付きの侍女、ナナ・ポルックを捕縛せよ―――