第14話~北の老軍師~
なぜ、その年になられても前線に出続けるのですか。と若い者に良く聞かれる。それに対し、私はこう答える。
――――復讐の為だ、と
バッティーノ連合王国の首都の一等地に築かれた豪奢な屋敷。そこの主たる男は、自室の安楽椅子に座って書類に目を通していた。
白髪に長い白い髭、かなり高齢の男だ。しかし、書類に目を通すその眼差しは精悍で、背筋もシャンとしておりかなり若々しい。
彼の名はアーノルド・グレッグス。今年で95才になる彼は、バッティーノ連合王国内で『大軍師』の地位にある。国王の政務の相談役や連合王国軍の総司令の補佐を務め、時には総大将として前線に出ており、いまだに引退はしていない。そんな彼を煙たがる者も多いが、しかし彼の膨大な経験は何物にも代えがたく、いまだに重用されている。
「ふむ・・・ベルティオン家の当主はニルテール王国に侵攻を始めたか」
それも当主たる北域将軍自らの出陣であるという。細作より聞く情報から分析するに、敵の領民と領地を荒らして敵軍を堅城から引きずり出し、野戦で一気に勝負を決める腹積もりのようだ。敵の同盟国にも調略の手を伸ばして見捨てさせ、念を入れての国境にも軍を派遣して援軍を防ぎ、士気も萎えさせる。さらに滅多にない冬の異常気象を味方に付けた軍事行動だと思わず感心してしまう。
ニルテール王国は親バッティーノ連合王国の国だが、今回の件はあまりにもベルティオン北域方面軍の動きが素早かった事、連合王国軍上層部の主導権争いによる動きが鈍かったことから援軍を出す手はずが遅れ、半ば見捨てる形となってしまった。
(今年が200年に1度の暖冬だと何度も進言したというに・・・)
思わず舌打ちが出る。どうもこの大陸北域の人間は『冬は戦をしない』という固定観念でもあるらしい。再三今冬の出陣を進言したにもかかわらず、国王をはじめとする諸大臣や軍部に拒否されてしまった。今年は大規模な軍事行動は無く、兵士の疲労など不安要素がないにもかかわらず、だ。食糧面も問題ないと聞いている。豊作とは言わないが、例年通りの収穫があった。財政面についても然り。
ちなみにこの国は主に軍馬の輸出と北域地方に乱立している金山や銀山からの金銀の産出、そしてそれらを商品とした他大陸の国との貿易で利益を上げている。
軍部では、アーノルドの孫が率いる派閥とその敵対派閥が主導権争いをしており、今回のニルテール王国からの援軍要請にもどちらの派閥から将校を派遣するか、それが決まったかと思えば作戦立案で揉めて、結局は軍を送ることが出来なかった。
「それほど重要な国でもないし、見捨てたところで痛くは無いがな」
かくいう彼自身も、多くの味方を見捨ててきた。そしてその度に、次の戦で勝利を得てきた。捨てて勝つ、ということもある。ニルテール王国が滅ぶ隙に、次の作戦を立てればよいのだ。
チラと部屋の一角に視線を送る。そこには1人の少女と少年の姿が描かれた肖像画があった。
(あれから80年か。ずいぶん私も歳を取ったものだ・・・)
80年前。『あの悪魔』さえ来なければ、私は彼女とふたり・・・
頭を振ってそんな考えを打ち消す。すでに『悪魔』に浚われた彼女はもう異国の地で天寿を全うし、亡くなったという。幸せに暮らしていたという話であるし、復讐にとらわれる事はないのかもしれない。
(あの『悪魔』もとうの昔に死んだ。私がベルティオン家に復讐を果たそうとするのはただの八つ当たりにすぎないかもしれん。だが、あの『悪魔』の家系に復讐を果たす事こそ、我が生きがいなのだ)
現在の当主は彼の曾孫と同世代だという。幼くして将軍位に就き、破竹の勢いで勢力を広めており、今後数10年は脅威となるだろう。
「私に残った時間は少ない。何としても、かの敵将を討ち滅ぼさねばならぬ・・・」
『彼を知り、己を知れば百戦危うからず』という言葉もある。敵将の為人を知るため、アーノルドは数多くの密偵を敵本拠地であるラス城に向かって放つことに決めた。
密偵を放ってからしばらく後、報告書がアーノルドのもとに届けられた。為人、政策、庶人から貴族にかけての評判・・・様々な内容に目を通していく中で、1枚の報告書に目をとめた。内容はある1人の少女に関する物。将軍家に仕える17才の侍女で、孤児院出身であるという。そして―――
「シュナ・ベルティオンご執心の侍女、か・・・」
報告書には合わせてその少女の絵姿が添付されていた。この大陸には珍しい黒髪の少女。名前はナナ・ポルックというそうだ。
「この娘がベルティオン家当主の泣き所、か・・・」
手の打ちどころはいくらでもある。この娘を使って、精々小僧を怒らせるとするか・・・