第12話~モロット・ベルティオン~
ニルテール王国首都・ブラウンヒルは物々しい雰囲気に包まれていた。ジュノサイド神聖帝国北域将軍府がこの首都目指して進軍を開始したというのだ。
市民の取った行動は2つ。ブラウンヒル城の防御力を信じ、この町に残る。もうひとつは―――街を捨て、逃亡するか。
少し前までなら―――名将と名高かった先代国王の時ならば、彼らは王とともに城に籠り、敵が撤退するまで耐えた事だろう。しかし、その王はもはやこの世にいない。
「フィリップさん、お宅はどうするんだ?」
「うちはナトル王国の弟の家に避難する事にするよ。先代陛下ならともかく、今の国王じゃベルティオン軍を防ぐ事は出来ないよ。しかも同盟諸国とも仲が怪しくなってきているらしいしな」
「あの噂は本当だったのか・・・」
ニルテール王国は周辺の8ヶ国と婚姻同盟を結んでいる。ひとつひとつの国々の力は小さくとも、その国々が力を合わせることで大国の侵攻を防ぎ、国を富ませてきた。
しかし、先代国王が崩御してから周辺諸国にジュノサイド神聖帝国の圧力がかかっているというもっぱらの噂である。事実として、先ほど話題に上がったナトル王国はすでに恭順の証として皇太子である現国王の第一王子を人質に差し出したという。
現国王のタイコウ・ニルテールは先代国王の嫡男だが、強大なるジュノサイド神聖帝国軍の侵攻を周辺の同盟諸国と力を合わせて退け、国を富ませてきた偉大なる先代国王とは比べ物にならないほど凡庸な息子である。王太子時代から協力関係を築かなければならない周辺諸国を家臣のごとく見下した態度を取り続けて周辺諸国から反感を買い続けており、評判は良くない。
「ジュノサイド神聖帝国が軍を率いて来ただと!?ええい、ただちに各国に援軍をよこすよう伝えい!」
ニルテール王国国王タイコウ・ニルテールは30代半ば、痩身の男である。玉座に腰掛け、援軍の要請を命じた彼に、国軍を預かるデュオール・トライゴス将軍が進み出た。
「陛下。此度の戦、陛下の御出馬を仰ぎたく思います」
「な、なに?余の出馬とな?」
「は。ベルティオン軍は北域将軍たるシュナ・ベルティオンが自ら率いているとの事。敵が率いている軍の規模を見るに、我が国を攻め滅ぼす目的なのは必定。ここは陛下御自ら御出馬頂き、兵の士気をあげていただきたいのです」
将軍はこの戦いが総力戦になると確信していた。出来る事ならば、国王自ら出馬してもらい、兵士の士気をあげてもらいたかった。しかし、タイコウは激しく首を振って拒否を示した。
「嫌じゃ!」
「・・・は?」
「嫌だといったのじゃ!余は戦になど出ぬぞ!貴様は余に5年前の恥を再びかけというのか!」
5年前の事。当時王太子だった彼は、父王の命により侵攻してきたベルティオン軍に対して同盟諸国軍を率いて迎撃戦を挑んだことがあった。父より付けられた戦目付からは要害に籠り、ニルテール王国得意の民兵によるゲリラ戦を展開して敵軍の疲弊を待つべしという案が出された。これは王が得意としている戦法で、この策を軸に虚実を織り交ぜながらベルティオン軍をはじめ諸外国との戦に勝利を収めてきた。しかしタイコウは断固としてこれに反対。自軍の数が勝っていたこともあり、出撃策を採った。
しかし、兵の質や練度、各隊の連携、さらに軍を率いる総司令官及び将校の実力、数以外のすべてが上回っていたベルティオン軍に惨敗を喫した。王命に従って多くの将兵が討死、ある国では王までもが戦場に散る中、王城ブラウンヒルに逃れてきた彼は、居並ぶ群臣の中で、敗北と命令無視を叱責する父王にこう叫んだ。兵が弱いのが悪い、諸国軍が私の指揮に従わなかったのが悪い、と。
敗戦を命懸けで戦った兵士と協力した同盟諸国のせいにする彼の評判は急降下。父王は一時は廃嫡も検討したが、唯一の正腹の長男を廃して他の者を跡継ぎに据えようとすると、間違いなく跡目争いが起きると考えて、結局廃嫡は思いとどまったのだが・・・
「ともかく、戦の事はトライゴスに一任する」
そう言い残し、タイコウは愛妾を自室に呼ぶよう小姓に命じて席を立った。
ニルテール王国将軍を務めるトライゴス家の邸宅は城下町の一等地に建てられている。変事があった際に、すぐに王城に参上できるようにするためである。憂鬱な面持ちで帰宅した彼に、家令が来客が彼を待っていると伝えた。客人はモロット・ベルティオンであるとも。
「おう、デュオール。お邪魔しているぞ」
応接室で酒をラッパ飲みしていたボサボサ頭の粗野な雰囲気の男―――モロット・ベルティオンは、飲んでいた酒瓶を軽く掲げてデュオールに挨拶をした。
「全く・・・これで我が軍最強の将だというのだから、人は見かけによらぬものだ」
モロット・ベルティオンは先のベルティオン将軍家の内乱で、当主になった甥に反抗して他の兄弟たちとともに兵を挙げたものの、敗北を喫し、ニルテール王国に亡命してきた。
亡命は受け入れられたものの、当初は敵国の一族でそれも敗軍の将という事もあり、冷遇されていたモロット。しかし、彼の追討に派遣されてきたベルティオン軍や侵攻してくる他国の軍を鮮やかな手際で撃退し、戦功を挙げていく中で周囲の信頼を勝ち取っていき、ついには先王の娘を妻に迎え、皇室の一員として数えられるようになるまでになった。敗残の亡命者だった彼は、いまや現国王の義理の弟という立場にまでなった。
デュオールは家人に追加の酒を持ってくるように命じ、酒盛りが始まった。モロットにとって、デュオールはこの国に逃れてきたときから、自分に良くしてくれた恩人であり、友である。こうして頻繁に互いの家に出入りしてはこうして酒盛りを行い、愚痴を言い合ったりしているのである。
「デュオールよ。なぜ、わしが甥御に対して兵を挙げたか分かるか?」
「・・・彼の者の父はそなたの弟だという。幼少の事もあったし、それに納得がいかなかったのではないか?」
彼が思いついたのは、ごくごくありがちな理由。幼君を家の当主に擁するのに不安・不満を持った一族と家臣たちが反乱の兵を挙げ、内乱が起こる―――ベルティオン家で起こった内乱はまさにそれであった。
「それもある。だが、それだけではない」
モロットはグイッと酒を呷る。そして、彼は語りだした。
「兄たちはそうだった。幼い甥が嫡流という理由だけで父の後釜に座ったのが気にくわぬと。しかし、わしは違う。わしは・・・恐ろしかったのだ」
「わしは兄者―――先代将軍ティアヘイムが亡くなった後、父上がシュナを後継者に定めたのは別に反対ではなかった」
他の兄弟は反対のようだったが、一度決めると梃子でも動かない父のいう事に逆らうよりも、父の命に従って甥を盛り立てていく方が自分の利益になると思った。しかし―――
「父上のシュナに対する指導は傍目から見ても行き過ぎていた。わしは何度か父上に諫言しようとしたが・・・あの狂気に憑りつかれた様に孫にあたる父上も恐ろしかったが、それ以上に恐ろしかったのがシュナだ」
元々大人しい子であったシュナが日々感情を失っていき、人形のようになっていく。北域将軍という器に据えられるだけの人形に。
「あれを上に据えてはならぬ・・・人としての感情を持たぬ、人形のような者に将軍家を任せてはならぬ。そう思い兵を挙げたが・・・妻も捨て、子も捨て・・・結果はこのざまよ」
自らを嘲笑するように笑うと、持っていたグラスを呷った。
「ともかく。わしもお主も国家を、家族を背負う身だ。大切な者を守るため、戦うだけだ・・・」
男2人の酒盛りは、月が夜空の真上に昇るまで続いた・・・
「あなた、お帰りなさいませ」
モロットが日付が変わった頃にトライゴス邸を辞して自邸に帰ると、妻がまだ起きていた。
「まだ起きておったのか」
「はい。あなたに昨日買って来て頂いた本を読み進めていたら、夢中になってしまいまして・・・」
親子ほどに歳の離れたこの妻は、先王の末娘で、父からは大層可愛がられたという。一言で言えば世間知らずの箱入り娘である。本好きで、緊迫したこの国の状況などろくに知りもしないのんびりとした娘だが、彼女のこんな雰囲気にモロットは安らぎを覚えてもいた。
モロットはのほほんと微笑むこの娘に、告げなくてはいけないことがあった。本の内容を話したそうにしている妻を制し、向かい合うようにして座らせる。
「あなた・・・?」
夫の雰囲気がいつもと違う事に気が付いたのだろう。彼女の表情に不安の感情が浮かぶ。
「これから、戦になる。わしにも出陣命令が下るだろう」
彼女は息をのんだ。声にならない声で「戦」と呟く。
「相手は我が甥。自ら軍を率いているという事は、単なる小競り合いではなく、この国を滅ぼそうとしているという事だ。そして、我らは敗れるだろう」
「そして―――わしも出陣したら最後、生きて帰る事は無いだろう」
シュナの今回の合戦の大義名分は『謀反人モロット・ベルティオンを討つ』というものだ。草の根を分けてでも探しだし、自分の首を挙げようとするだろう。
「出陣は遅くとも明後日。そなたは明日の夜までにこの城を脱し、落ち延びよ」
「いやです!」
彼女はモロットの服を掴み、叫んだ。普段は温和な彼女の瞳は、涙で潤んでいた。
「なぜなのです!なぜ、私だけ生きよと仰るのですか!?あなたが死んだら、私と子はどうして生きろというのです!あなたが死ぬというのなら、私も―――!」
「ならぬ!」
モロットは彼女の手を掴み、語りかけた。
「・・・わしは、妻子を捨て、国を捨て、一度死んだ身。それを生き返らせてくれたのは、他でもないそなたなのだ」
世間知らずで、ノンビリとしていて、時々そんな彼女に苛立つこともあったが、朗らかに微笑む彼女の存在は間違いなくモロットにとって太陽だった。
「だから、そなたには生き延びてほしい・・・勝手な願いだが、聞き入れてはくれぬか」
自分の首さえ取れば、他国で儲けた赤子―――幸いにも女児にまであの甥も手をかけないだろう。逃げ延びる先にもアテがある。大陸東部の穏やかな雰囲気の小国で、そこの国の国王は信頼できる人物なので、何かと便宜を図ってくれるだろう。
妻を何とか納得させ、明日の朝から家人達に準備をするよう命じた後、今生の別れを惜しむように、2人は互いを求めあった――――