第11話~シュナ、出陣~
「う~!寒いなぁ・・・」
いつもの時間に目を覚ました北域将軍府将軍付のメイドであるナナ・ポルックは、部屋の寒さに震えながらも羽毛布団と分厚い毛布の誘惑を何とか振り払ってベッドから這い出した。目をこすりながら、朝日を部屋に取り込むべく窓にかかっているカーテンを開ける。
「わぁ・・・」
ナナが住み込みで働くラス市の中心部・ラス城から見渡す城下町、そして広大なヒラリー平原は、僅か一晩で一面の銀世界に代わっていた。そして空からパラパラと降りしきる白い結晶―――
「冬、かぁ・・・」
大陸に冬が訪れたのだ。
ナナはいつものように身嗜みを整え、いつものように厨房に向かってシュナの朝ご飯を作る。今日の朝食はパンと温かいスープだ。将軍閣下はどうせぐずって起きてこないだろうので、スープが冷める前に起こさなければならない。短期決戦である。
シュナの執務室兼私室の部屋の扉の両脇に立つ護衛の騎士に挨拶をし、入室。彼女の予想通り、お寝坊将軍シュナ・ベルティオンはベッドのその姿がなかった。かかっている羽毛布団が一部分、ポッコリと膨らんでおり、この部屋の主がいる事を表している。
「シュナ、朝だよ」
羽毛布団の膨らみに手を当てて、ゆさゆさと揺さぶってみる。厚い布団の中から「むー」と駄々をこねる声。
「寒い~・・・」
「ほら、起きて。暖炉に火はもう入っているから寒くないはずだよ」
ナナは羽毛布団を掴んでシュナから奪おうとするが、籠城するシュナの守りは固く、ナナの攻撃を必死で防ぐ。
「いい加減に起きなさい!朝議があるんでしょう?」
「バーボンスかウィットに任せればよい・・・」
「もう、我が儘言わないで!」
ナナとシュナの攻防戦はしばらく続いたが、根負けしたのはシュナだった。渋々といった様子で布団から這い出てくる。
「おはよう、シュナ」
「・・・おはよう、ナナ」
のそのそと起きだしたシュナは、ナナが用意した朝食を食べる。朝食後にはナナに身嗜みを整えてもらう。朝議に出る直前、ナナは昼から出かける旨を伝えた。
「別にかまわんが・・・どこに行く?」
ナナはその問いかけに「うーん」と口籠った。別にやましい場所に行くつもりはない。しかし、シュナはあまりいい顔をしないかもしれないが―――
「ミコーハウディ様の教会」
乗り合い馬車を降りたナナは、目の前に聳えたつ大きく荘厳な建物に目を奪われた。ミコーハウディ教教会北域本部。ミコーハウディ教の北域における総本山であり、目下、シュナの目の上の瘤でもある。
敷地内の中央に聳えたつ純白の本殿、それを守るように築かれた白壁。槍と鎧で武装して巡回する黒い服を着た下級神官に分厚い鉄の門扉。それはさながら小さな城塞のようで、この美しい教会と、この城の主であるシュナとの関係性が窺えた。
「おお、これはこれは・・・」
門の所に立っていた中年の男性が、こちらを見つけて駆け寄ってきた。彼は上級の司祭にのみ着用を許された紫色の法衣を纏っており、教会内で高い身分を持っている人物である。彼はジェフ・バネット上級司祭。教会内では『軍事と布教は別物である。主は力づくで異教徒を教化することをお望みではない』と主張する、所謂『ハト派』の領袖であり、教会と北域将軍府の対立を憂う人物たちの筆頭である。
「本日はお世話になります、バネット様」
「こちらこそ。ささ、こちらになります」
バネット司祭の案内に従い、ナナは目的地に向かって歩き出す。途中、バネットに恭しく頭を下げる信徒や、ナナを睨み付けるものとすれ違いながら歩みを進める彼女の目的地は信徒が祈りをささげる主神のミコーハウディの像がある聖堂ではなく、さらに、その奥。
敷地内の隅にひっそりと建てられた小さな霊廟。ここには歴代北域将軍の遺骨が霊廟の地下に安置され、軍神として祀られている。
もともとは大きく立派なものだったのだが、教会の本格武装化による将軍家と教会の対立が深まっていくなかで、それと比例して隅に追いやられ、小さくなっていってしまったのである。
(シュナは『神の御加護で~』なんて言うのは嫌いみたいだから、ミコーハウディ様には祈れないけど、ご先祖様にお祈りするのは、ね)
ナナはこのラス城で名将と名高いシュナと堅固な城、そして屈強な騎士たちに守られて暮らす身。そんな彼女が数日後、ニルテール王国討伐に出陣するシュナ達に出来る事は、と考えて出したのが『武運を祈る事』。
霊廟の前に膝を付き、手を合わせて祈る。シュナが、彼に従う騎士たちが1人でも多く大切な人たちのもとに帰ることが出来る様にと・・・
ラス市より数キロ離れた場所に、北域将軍府の練兵場はある。普段は兵士の鍛錬などに使われる場所だが、出陣前の最高司令官による閲兵と演説の場にも使われる。
演説台の上に立つ北域将軍にして今回の遠征の総司令官のシュナ・ベルティオン大将。その前に副将のバーボンス・ウラゴリオス少将や参謀長リッチモンド・ビュワーズ伯爵少佐といった上級将校が横一列に並び、それと向かい合う様に兵士たちが整列する。
「皆、静粛に!将軍閣下よりお言葉がある!!」
バーボンスの一喝で、ザワザワしていた騎士たちが口を閉ざす。静まり返った練兵場に、シュナの声が響く。
「・・・我がもとに集いし精兵達よ」
シュナはこのような場でも決して大声を発したりしない。しかし、彼の降雪時の澄み切った空気のような綺麗な声は、不思議と最後尾に並ぶ末端の兵士まで届くのだ。
「敵は謀反人モロット・ベルティオンを匿うニルテール王国。我が国の秩序と安寧を乱した謀反人とそれを匿う犯罪国家に鉄槌を下す」
他の指揮官の場合、『神の御加護を~』とか『ミコーハウディ様に代わって鉄槌を~』などという言葉を使うが、教会嫌いのシュナはとにかくそういった言葉を使うのを嫌う。『神の加護などありはせぬ。勝つときは勝つし、負ける時は負ける。勝敗は兵家の常だ』『所詮敵に手をかけるのは同じ人間だ。神など関係ない』というのが持論である。
「・・・野獣ども、敵を蹂躙せよ。敵の血を啜り、財貨を奪い、女を犯せ」
シュナの言葉に歓声があがる。彼は滅多に敵の領地での略奪を許しはしない。なぜならいずれ自らが統治することになる土地の復興や民心を慰撫するのに苦慮する事になるからだ。しかし今回の宣言は、略奪行為を許可したに等しい。それほどまでにシュナの、いや、苦杯をなめさせられてきた北域将軍家のニルテール王国に対する憎しみは強いという事である。
「勝利を手にせよ・・・進軍、開始!」
シュナの号令とともに、進軍太鼓が練兵場に響く。それに従い遠征軍の第一陣が進軍を開始し、次々と出発していく。
ベルティオン軍の兵は10万。今回の遠征ではそれを6部隊に分けて編成している。
第一陣はウイリー・ジョーンズ大尉率いる1万5千。
第二陣はショーン・ベッツ男爵大尉率いる1万。
第三陣はバーボンスの嫡男、シグルド・ウラゴリオス少佐率いる2万。
第四陣はバーボンス・ウラゴリオス少将率いる1万5千。
第五陣がシュナ・ベルティオン大将率いる本隊3万。
第六陣がリッチモンド・ビュワーズ伯爵少佐率いる1万。彼には兵站管理も任せてあり、これには補給部隊も含まれている為、戦闘員はもう少し少なくなる。
以上10万の兵士たちがニルテール王国討伐の為、出陣した。
ナナの日記
今日、シュナが出陣した。
今まで何度かあの子の出陣する姿を見送っているけど、やっぱり怖い。もしかしたらこれが『生きているシュナ』の最後の姿になるかもしれないから。でも『戦争なんてやめて』なんて言えない。
あの子は私たちが想像もできないような、もっと大きなものを背負って戦っているのだから。