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医学部の講義・提案

私立医科大学の講義教室である。この医大は新興勢力と言われ優秀な医学生が集まりにくく医師国家試験合格率は常にボトムである悩みがあった。


教壇にいるのは分泌液内科学の権威である(非常勤講師)。新興勢力にやってくる講師というはまともな学者は少ない。


開業医から大学に舞い戻った変わり種である。


『"偽医者稼業"は効率がよくローリスク・ハイリターン』


非常勤の講義テーマは『偽医者』である。


「…だからね。医療詐欺は後を絶たないんです」


新興勢力に偽医者は無関係なこと?


いやいや


こちらの医科大学に6年在籍して医師国家試験に合格する保証はまったくないのである。国試をクリアしなければ"(フェイク)"に成り下がる可能性


裏の世界に潜りそうな可能性。


さらに


昨今はテレビニュースで偽医者が逮捕されてバッコし賑わっていた。


患者や医院での"(フェイク)"医の評判は良かった。

「この手の"(フェイク)"は大きな医療トラブルに遭遇していないはずなんですね」


見よう見まねな知識だけで完治する軽症や怪我。単に介護や看護の知識だけで処置(内科/外科)程度でお茶を濁す。


「高度な知識を詰め込むのが皆さんの医学部。ここを出ていない"(フェイク)"がおこなう"医療行為"は当然ながら限界があります」


しかし病院や診療所で"(フェイク)"としての地位を確立してしまえば


医療過誤(リスク)が伴うも得られる報酬や社会的なものが大きいわけですね」

偽物が偽物である反社会的な罪悪感を失い"正規の医者"を自認する瞬間である。


「"(フェイク)"はもちろん医師法違犯というれっきとした犯罪」


多種多様にある稼げる犯罪の中ではかなり効率がいい類いである。


「10年ぐらい前なら"(フェイク)"という稼業は医職として成立しなかった。つまり稼げる世界ではなかった」


小説家・安部譲二の「塀の中の懲りない面々」に"(フェイク)"名乗り「医者・ドクター」と呼ばれた男が登場する。


あの詐欺師は"大学病院で本物の医者を教えていた"

もう本物と同じ医療知識である。


「詐欺の鉄則に"手に入るものが同じなら簡単な場所から手に入れろ"名言ですなあ」


10年前には病院に「簡単な場所」なんか無かった。


医者の絶対数が少なかったし外来に来る患者は実際に困っている人ばかり。


実際に痛い痒いなどの自覚症状があって病院に来るからいいかげんなことをしても治らない。


救急外来は本物の急患しか来ないから知識の無い医者は絶対にボロが出る。


間違った医療をするとたぶん死んじゃう。


ところが今は違う。


病院は簡単にお金を騙し取れる安易な患者があふれている。


"(フェイク)"がする医療のカモは夜に来る。


夜の救急外来は「カモ」の宝庫となる。


深夜に来院する痛い痒いの自称病人なる患者さん


風邪ひいた


眠れない


単に医者に話を聞いてほしいだけの人。


「もちろんそんな病人とはならないどうでもよい患者の中に「本物クランケ」が隠れているから油断はできない」


"(フェイク)"は医者だから診察してみる。


「"(フェイク)"がばれたら逃げる」を前提に偽物は医療をする。


医療は医療だがたいした病気や怪我ではないため


時間が経てば健常者!


そうした見せかけ患者を相手にするのに医学知識は要らない。


医学の知識や医者の研修はそのほとんどが万が一に備えるために行われる。


病状が急変したときに対処できるため。


はっきりしない症状の中からまれな疾患を見逃さないため。


容態が急変し死亡に至る可能性があるときに逃げればいいなら


まれな疾患を見逃してもかまわないなら


医師免許など無くても「評判のいい先生」名医で通用してしまう。


医療という商品の2つの顔

患者さんというのは病院や医院に「医療」という商品を買いに来るお客さん。


この商品の価値には2つの側面がある。


病気や怪我を治すという確実な医療の要素


サービスをしてほしいというサービス業本来の要素

「評判のいい医者は"腕もいい"し患者さんへの"サービス"もいいわけですね」

例えば外科医のようなオペの腕だけよくても患者への怠りないサービスがなければ医者としては片手落ち。

「評判のよい名医の称号は得られないわけですね」


医学部もまともに卒業出来るか怪しい医大生。名医の域に達することなど夢の夢である。


「たとえですよ。傷病を治すのが上手だったとしても外来に来る人だれもが「2度とかかるか」と思ってしまうならすぐにその人は相手にされなくなるんです」

一方逆のケースならば


腕や見立ては悪くても


サービスのいい医者は万が一の時が来るまで「名医」でいられる。


「患者さんの容態が急変したら。また診たことない難病ならばこうした偽の名医はすぐに馬脚をあらわしています」


世間から名医と見られる大学教授などがまれな疾患を見逃したことが後からばれると恥をかくに同意語。


「ところがですよ。患者の急変なんてめったにあることではない。まれな疾患や難病というのは本当にまれ(笑)」


起きないことや遭遇しようもない事象にエネルギーを注いでもしょうがない。


無愛想な隠れ名医など存在しない。


「名医と呼ばれる人はみなどこかの方面で愛想がいいし温かみが感じられています」


それが患者さんなのか


同業者なのか


マスコミ限定なのかは人による。


偽物も本物も医学の勉強を怠れば患者さんの危険度は増す。


「本当のこと誰もが"歩く総合病院"(=歩く百科事典)を目指して勉強しないと患者さんの喜ぶ完治までは向上しないのである」


医者は勉強する。臨床では放電ばかりで経験を重ねるのみである。


もっと勉強する業界もたくさんあるだろうけれど


医者だって毎日勉強する。

インターネット時代。


主要な論文雑誌はほとんどが週刊誌。


水曜日のCirculation


木曜日のNEJMとLancet


毎月末はJACCとかAnnals

こんなに読んだって


いまさら外科医のオペレーションの動きがそう大きく変わるわけではない


それでも


読まないと医学界全体からおいていかれる。最新医療を知らなかったでは医者は済まされやしない。


「勉強することで少しづつ安全率が向上しているはずだけれど。どこまでいっても医学はゴールは見えないものです。医学とは奥が深いし傷病は人類史上常に挑んでくる宿敵なんですね」

『安全の青天井ルール』


「一般に競争というのはルールがあって枠内でいかに優れたバランスをとれるかが競われる」


格闘技『プライド』みたいな「何でもあり」の格闘技だって武器無しで人間が戦うというルールがある。


ミルコやヒョードル、ノゲイラといった格闘家はみんな出身が違うけれど、その格闘スタイルというのは、今のルールに沿った同じようなスタイルに収束している。


自動車の競争もそう。


F1(フォーミュラカー)はルールが厳しいけれど CAN-AM という「4輪ならば何でもあり」というルールのレースが実際にあった。


初期の試行錯誤の時期をのぞくと速い車のデザインや規格というものが自然に決まって1970年に入ってからはどれも同じような車ばかりになってしまった。


どんなに「何でもあり」のルールを考えても競技である以上無法地帯にはならない。


格闘技なら「武器無し」


自動車レースなら「車輪で走る」という縛りがつく。

縛りの中で何かの性能を向上させようとすると何か失うものが出てくる。今度はタイヤの消耗が激しくなってしまったり。


これを本当の無法たる青天井ルールにしてしまうと競技は成り立たない。


格闘技が「武器あり」になってしまえば、最後に行きつくのは銃や核兵器。


自動車競走にジェット戦闘機を持ち込んだら「自動車」競争にすらならない。


そんな中「安全性の向上」という競技にだけは、青天井ルールが成り立っている。


安全はお金をかければかけただけ向上する。


ダブルチェックやトリプルチェックといった安全対策を行うと煩雑さはますけれどそれすらも人海戦術でカバー可能。


お金に糸目を付けないならば安全性の向上は、いくらでも性能を追求できる。


安全性の追求には、本当はコストの上昇というトレードオフが存在するのだけれど、医療という産業の特殊性


コストについての問題を見えづらくしている。


競合相手のいない医療界

調子が悪ければ医者に行く。


近くの開業の医師にかかるか


ちょっと離れた大病院にかかるか。


このとき、開業医と大病院との間には競合関係が生じる。


一見するとこれは競争なのだけれど、どちらに行ってもでてくるのは医師免許を持った同じ医者だ。


医者同士の競争意識というものは知れている。


別に談合しているわけじゃないけれど、同じ西洋医学の医者ならば、考えることは大体同じだ。


自分が飢えない程度の利益を考えそこそこサービスが良くてそこそこ安全な医療を提供する。


医師その人のポリシーや人柄の差はあっても「そこそこ」の範囲の差でしかない。


・救命的な要素(医療行為そのもの)


サービス精神(患者を安心させる要素)


2つの医療面は総合格闘技でいうと「人間が」「武器無しで」戦うという2つのルールに似ている。


ルールは最低限2つ無いと競技が試合(マッチ)が成り立たない。


「今の医療の現場に話しを戻しますとこの2つのルールをもっと強力に展開しようと思ったら医者だけの医療では格闘技やマッチにはならないんです」


日本教育の枠にある医学部から輩出された"医者"とは別の競合者がライバルとして欲しい。


「安穏に医療をおこなう医者を凌駕する存在が対抗馬として設定する必要があるわけですね」


医者に対抗馬とは?


歯科医師


薬剤師


「まあまあ医・歯・薬という医療の難関学部を揃えたんですが」


歯科と口腔外科医ぐらいならば比較されてもよいけれども


「ドクターとデンティスト。格が違いますなあ」


医学部落ちて第二志望でいく学部では喧嘩にもならない。


それが


「医者vs偽医者」


短絡的な世間ずれした見解をみてはいけないでしょうが


"価値の軸"をひとつや2つ増やすとニッチが生まれる。


「具体的な医療技術は限られていても」


医師としてのテクニックや医学知識が乏しくても


「診察コストが安く会話の時間を長く取れる職種を”準医師”として新たに認定するのはどうかと言いたい」


非常勤は持論の展開に熱を帯びて酔ってしまう。


"准"でも"準"となぞらえても


「街の開業医(内科)などはライバル出現により緊張感が高まり医院経営に危機感を募らせますよ」


自認をする内科開業医は妙に説得力がある。


イギリスの「NP(ナーシングプラクティショナー)

毛沢東時代の「裸足の医者」


システムや格は違うけれど

日本にある医療の施設を思ってもらいたい。


「接骨院」


「あんま・マッサージ」といった職種も"准"というライバル関係の類いに沿うかもしれない。


「ライバル同士のファイターが命を懸けてリングで闘う格闘技と比較したい医者の世界」


まったくの対極にある世界である。


「実は似て非なる存在であるんですね。比較は重要なファクターです」 


オッホン!


医学生を前にして教壇で息巻いてしまう。


「今ですね傷病で悩んでいる患者さんがいたとします」


医療の選択肢は決まっている。


「病院にいき医者の診察かかる」


一つの選択肢しかない。


「これは薪を割る大きな鉈と刺身を作るのに同じ鉈を使うようなものなんですよ。実用であっても効率が悪い」


鉈を振りかざせば薪も食用の刺身もバッサリ切れる。

「まあね。考えに余裕があったら"切れ味のいい鉈"を振るう前に板前用の包丁を買い求めて刺身には使いたいものですよ(笑)」


今の医療も同様なこと。


"医者"という1種類だけの職種以外にサービスに特化した別の職種を導入してやる。


病院などの医療の受け皿を多種多様にし選択に幅を持たせて可能にする。


傷病の治癒に医者も良いかもしれない。


他にも"板前の包丁"たる役目"准医師"があったら便利であり都合のよい医療サービスが受けられる。


新興勢力のこちらの医大はほぼ全員が開業医のご子息である。


サラリーマンの子供などは数える程度であり珍しいくらいだった。


医学部に入った限り医者にならなければならない。


ゆくゆくは父親の医院を継承し副院長とならねばならない。


世に言うボンボン育ちの二世たち。医学などまったく興味もなくボンヤリと講義を聞くのみである。


「偽医だろうが准医師だろうが」


何ら不満なく育った医者の息子には"話しの中身は他人のこと"である。


6年で卒業出来なくとも


医師国家試験にパスしなくとも


「父親が金で解決してくれるから」


早くくだらぬ講義は終わってくれ。


親父に買ってもらったポルシェで女子大の彼女とデートしたいのである。 

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