第一章:灰と星の少女 第9話 霧の中の刃 ― 帝国の使者と裏切りの予兆
戦場の敵は剣を向けてくる。
だが、帝国の敵は微笑んで近づく。
――刃は、霧の中にある。
三日後。
砦の空はどんよりとした鉛色に覆われていた。
獣王連邦の襲撃の爪痕は、まだあちこちに残っている。
壊れた柵、焼け焦げた木壁。
血の匂いは薄れたが、空気はまだ重い。
アリアは城壁の上に立ち、風の流れを見ていた。
掌の紋は、今は静かだ。
だが――沈黙ほど不気味なものはない。
(戦の後は、必ず“人の戦”が始まる)
ミラが小走りに近づく。
「アリア様、帝都から新たな使者が……」
「監察官の部下?」
「いえ。軍政省直属だそうです。……旗印が、黒です」
アリアの眉が動いた。
黒旗――帝国の内務統制部。
軍ではなく、“粛正”を司る部署。
(……また、帝国の手)
■ 砦の会議室
重苦しい空気の中、四人が集まっていた。
ロウガ、アリア、監察官エリオン、そして新たに現れた使者。
黒衣の男――
名は ダリオ・ヘルトン。
軍政省・粛正執行官。
整った顔立ちだが、瞳の奥に何もない。
声も、まるで機械のように均一だ。
「第七軍団は、帝国上層部の監視下に入る。
最近の戦闘報告に不審点が多い。……特に“魔導の痕跡”について」
アリアの背筋が凍る。
(魔導の痕跡……私の血誓のこと)
ロウガが口を開く。
「報告済みだ。魔導師の介入はなかった。あれは、戦術上の結果だ」
「そうか。しかし――我々の検証では、魔力反応が観測されている」
ダリオの視線が、アリアへと滑る。
冷たく、無音の刃のように。
「新任の志願兵、アリア・ヴァルステッド。
君が“その反応”の中心にいたと報告されている」
ロウガの手が机を叩いた。
「その名をどこで――!」
「帝都は何でも知っている。
そして“血の系譜”を恐れている。……灰冠の娘」
静寂。
部屋の温度が数度下がったようだった。
アリアは目を閉じ、息を整えた。
「それが罪になるのなら、私が罰を受けましょう。
けれど――私の血は、帝国を裏切ったことは一度もありません」
「血そのものが罪だと言っている」
ダリオの声は冷徹だった。
「“血誓魔法”の系譜は、古代から帝国の崩壊を導いた。
貴様の祖先が起こした“灰冠の反逆”を、帝国は忘れてはいない」
その言葉に、エリオンが微笑んだ。
「――歴史の都合の良い部分だけを、帝国は覚えているらしいな」
ダリオの瞳がエリオンを射抜く。
「監察官ヴァス。君の独断的行動も問題視されている。
君の“灰冠計画”も、上層部は知っているぞ」
一瞬、空気が張り詰める。
ロウガが低く唸った。
(灰冠計画……?)
アリアはエリオンを見た。
「どういうことですか」
エリオンは笑みを消した。
「……君に説明するには、まだ早い」
「早い? 私の名が帝都の陰謀に使われているのに?」
「だからこそ、今は黙っていろ」
エリオンの声が鋭くなる。
その瞬間、アリアの胸の奥で何かが“切れた”。
(私はもう、誰かの駒じゃない)
アリアは立ち上がり、机に手を置いた。
掌の紋がじり、と熱を持つ。
淡い灰の光が、指の間から漏れる。
「帝国が私を恐れるなら、見せてあげます。
“灰冠の血”が、何を選ぶのか」
ロウガが思わず前に出た。
「アリア、やめろ!」
しかし、もう遅かった。
彼女の声と同時に、空気が揺れる。
灰の光が波紋のように部屋を包み、机上の紙が舞い上がる。
アリアの瞳が、灰色に染まった。
「私はもう、“血の呪い”には従わない。
私の血は――私の意志で動く!」
光が爆ぜ、壁に刻印が浮かび上がる。
“灰冠”の紋章。
そして、声が響いた。
――王は未だ死せず。血は冠を求む。
その瞬間、灯りが消え、部屋が闇に沈む。
ただ灰の光だけが、アリアの背を照らしていた。
■ 数刻後
アリアは部屋を出て、冷たい廊下を歩いていた。
体が重く、息が荒い。
血誓を使えば使うほど、命を削る。
だが、その代償を恐れる気持ちはもうない。
(帝国の嘘も、血の呪いも、同じ。
私の意志を縛るものは、もう何もいらない)
背後から、ゆっくりと足音。
エリオンだった。
「君は危うい。……だが、美しい」
「褒め言葉には聞こえません」
「褒めていない。忠告だ。
血誓は完全に目覚めた。これからは、君の感情が“兵器”になる。
怒れば、風が人を殺す。悲しめば、灰が街を覆う。
それでも進むつもりか?」
アリアは一瞬だけ目を伏せ、そして顔を上げた。
灰色の瞳が、静かに光る。
「進みます。
――私の名を、もう一度この世界に刻むために」
エリオンは笑った。
どこか哀しげな笑いだった。
「ならば、私も見届けよう。
君が“血の王”になるか、“灰の亡霊”になるかを」
外の霧が晴れ始めていた。
朝日が、砦の塔の尖端を照らす。
その光が、まるで新しい戦の幕を告げるようだった。
帝国はついにアリアの正体を明確に“告発”。
彼女は自らの血を恐れることをやめ、真の覚醒を始めます。
同時に、「灰冠計画」という帝都の謀略も動き出しました。




