第一章:灰と星の少女 第7話 獣王の爪痕 ― 血誓の代償
静かな朝に、戦は忍び寄る。
牙を隠す者たちが、血を呼ぶ風に誘われて。
そのとき少女の中で、封じられた“何か”が目を覚ました。
夜明け前。砦を包む空気が重かった。
遠くから風の唸りが聞こえる。草の匂いの奥に、鉄の味。
アリアはその“違和感”で目を覚ました。
(……血が疼いている)
掌に痛み。
皮膚の下で、紋章が熱を持つ。
昨日よりも深く、赤く、内側から呼吸しているようだった。
ミラが駆け寄る。
「アリア様、また……?」
「違う。今度は――外だ」
アリアは窓を開けた。
冷たい風と共に、遠くで閃光が走った。
空気を震わせる低い轟音。
魔力の爆ぜる音だ。
次の瞬間、鐘が鳴った。
連打。警報。
「北方より敵襲――! 獣王連邦の軍勢、接近中!!」
■ 砦前、北壁
ロウガが鎧を掴みながら怒鳴る。
「全軍配置! 歩兵前列、弓兵上段! ――迎撃だ!!」
アリアは走りながら息を整えた。
胸の奥の血が脈を打つたび、視界が明滅する。
恐怖ではない。呼応。
遠くの戦場の鼓動と、自分の血が“共鳴”していた。
(血誓が戦を感じている……?)
城壁の上から見下ろす。
霧の奥、草原を裂いて進む影。
獣人たち。狼、虎、熊――それぞれの姿を持ち、しかし統率された動き。
獣王連邦の前衛部隊だ。
ロウガが隣に立つ。
「アリア、後方へ下がれ」
「指揮を執らせてください」
「なに?」
「あなたが戦えば、軍は動きます。
でも、あなたが倒れたら、誰も繋げません。
――私が“見る”ので、命じてください」
ロウガは短く息を吐いた。
その眼にはためらいがあったが、次の瞬間に決意が宿った。
「……よし。戦場で語れ。失敗したら俺が斬る」
アリアは頷く。
「それで構いません」
獣王連邦の号令。太鼓が鳴り響く。
地が揺れ、数百の足が踏み鳴らす。
帝国軍第七軍団――わずか三百。
圧倒的な兵力差。
だが、退けば砦が落ち、帝国北境が裂ける。
アリアの声が響いた。
「弓隊、合図まで射るな! 距離を詰めさせて!」
ロウガが驚く。「奴らは速いぞ!」
「速いからこそ、風を読ませない。
霧を利用して――角度をずらして!」
霧の中に風が走る。
矢が早く撃たれれば風に流れる。
遅ければ敵は遮蔽に入る。
だがアリアは風の“呼吸”を読む。
血誓が彼女の感覚を拡張していた。
「――今!! 弓、放て!!」
矢の雨が霧を割る。
獣人の前衛が一瞬ひるみ、動きが乱れる。
その隙に歩兵列が前進。
「盾列、左へ二歩! 槍、喉を狙え!!」
命令が走る。
兵たちの動きが、わずかに整う。
今までバラバラだった第七軍団が、ひとつの波になり始めた。
ロウガが笑った。
「いいぞ、嬢ちゃん……いや、将軍!」
しかしその瞬間、空気が変わった。
霧を割って現れたのは、巨大な影。
黒い毛皮、双角を持つ獣人――獣王軍中隊長、「黒角のドルガン」。
人の二倍の体躯。
振り下ろした斧が地を割り、三人の兵が吹き飛ぶ。
ロウガが前に出ようとするが、アリアが止めた。
「待ってください――私が」
「馬鹿言うな!」
「彼は、私を狙ってきています」
黒角の獣人が吼える。
「灰の娘ッ!! 貴様の血を捧げろ!!」
(やはり、私を……)
アリアは掌を見た。
血誓の紋が、燃えるように浮かび上がる。
(もう、隠せない)
斧が振り上げられる瞬間、アリアは囁いた。
「灰は冠を呼ぶ――」
風が止まった。
次の瞬間、地が鳴った。
空気が歪み、アリアの足元から灰色の光が立ち上がる。
淡い風の輪が生まれ、獣人の斧を逸らす。
衝撃が彼女の体を突き抜け、血が噴き出した。
しかしその痛みは、力へと変わる。
ドルガンの目が見開かれる。
「……血の魔女……!」
アリアの声は静かだった。
「戦場を、荒らさないでください。ここは――私の家の土地です」
風が弾け、獣人の体が吹き飛ぶ。
地面に叩きつけられ、血を吐く。
その衝撃で霧が晴れた。
ロウガが呆然と立ち尽くす。
「今のは……魔導士じゃねえ……」
だが、アリアはすでに崩れ落ちていた。
掌から血が止まらず、皮膚に灰の紋が広がる。
その光が、まるで焼印のように彼女の体を蝕む。
ミラが駆け寄る。
「アリア様! やめてください! それ以上使えば――!」
ロウガが咆哮する。
「撤退線を引け! アリアを守れ!!」
兵たちが動く。
砦の旗が風に揺れる。
霧が完全に晴れたとき、獣王の軍は退いていた。
勝利――だが、それは小さな代償の上に成り立つ。
アリアの意識は遠のいていく。
血の中で、誰かの声が響く。
――お前は、まだ冠を掲げていない。
――奪われた王国を、取り戻せ。
(……あなたは、誰……?)
――灰冠の王。お前の、祖。
光が、消えた。
■ 夜
ロウガは寝台の傍らに座っていた。
アリアはまだ目を閉じたまま。
ミラが薬を塗りながら震える声で言う。
「血誓の暴走です。もう限界を超えています。
これ以上は……命が……」
ロウガは拳を握る。
「……あの子を兵として扱っていた俺が、間違いだった。
あいつは、軍を変える“核”だ。
帝国の狗には、させねえ」
月光が差し込む。
外では戦の匂いがまだ残っていた。
夜の風が灰を運び、静かに彼女の髪を揺らす。
アリアの唇が微かに動いた。
「……灰に……冠を……」
ロウガは微笑んだ。
「そうだ。奪われたもんを、取り返そうぜ、灰の将軍」
アリアはついに「血誓魔法」の力を解放し、獣王軍を退けました。
しかし、その代償として命を削るほどの痛みと“祖の声”を得ます。
ロウガは彼女を“将軍”として正式に認め、物語は次の段階へ。




