第一章:灰と星の少女 第6話 帝都より来る影 ― 黒服監察官
戦場に剣を、政治に言葉を。
だが、沈黙の中こそ最も多くの命が奪われる。
昼過ぎ、砦の鐘が三度鳴った。
帝都からの使者が来た合図だ。
門前には黒馬に跨る男がいた。
黒衣、金糸の肩章。胸には「皇帝直属監察局」の紋章。
――黒服監察官。
名を エリオン・ヴァス と言った。
薄い笑み。だが、その瞳は獣より冷たく、鋭い。
彼は門を潜ると同時に言った。
「第七軍団の現状報告を。特に“不審な出自の者”がいないか」
ロウガが迎え出る。
「第十三分隊長、ロウガ・ディストルです。報告書は今、整えております」
「整える必要はない。私が見れば足りる」
エリオンの声には、感情というものがなかった。
その音だけで、砦の空気が締め上げられる。
(この人間……空気の温度を変える)
アリアは陰に隠れて様子を見ていた。
エリオンの目が一瞬こちらを掠めた気がして、心臓が凍る。
(……気づかれた?)
掌が疼く。血が脈を速める。
「血誓」が危険を察知している。
ミラが袖を引いた。
「アリア様、ここは……」
「まだ名を呼ばないで。監察官の耳は鋭い」
囁き、息を潜めた。
■ 夕刻。砦の会議室。
監察官エリオンとロウガが向かい合う。
その周囲には、主要兵長たちが並ぶ。空気は張り詰め、誰も咳ひとつできない。
「第七軍団は近月の戦績で著しい失態を繰り返している。
士気は低く、統率は乱れ、武具の整備も怠慢。
――恥だ。帝国軍の名を汚す」
冷徹な声が、刃物のように室内を裂く。
ロウガは黙して受ける。
「仰るとおり。だが、敗北は命令系統と補給の問題もあります」
「言い訳は不要だ、ロウガ隊長。
……それと、貴様の部隊に“出自不明の志願兵”がいると聞いた。確認したい」
その言葉に、室内の空気が変わる。
兵長たちがざわめく。
アリアの名を知る者たちが互いに目を合わせた。
ロウガは一瞬で察し、低く答えた。
「戦場で拾った孤児です。身元は確認済み。問題はありません」
「孤児? ……ふむ」
エリオンは興味なさげに微笑んだ。
しかし、その目が光る。まるで闇を覗きこむように。
「では、いずれ直接確認させてもらう。
血統の“記録”は正しく処理しなければならない」
「処理……?」
「血は帝国の財産だ。不要な血筋は、速やかに絶たれるべきだろう?」
ロウガの拳が机を軋ませた。
「……心得ております」
「ならよろしい。以上だ」
会議が終わると、兵たちは黙って散った。
誰も声をかけられない。エリオンの影が、砦全体を覆っていた。
■ 夜更け。砦の廊下。
アリアは外へ出ようとしたが、足元がふらついた。
胸の奥で血が逆流するような痛み。
(また……)
掌の紋が淡く光り、脈打つ。
その痛みはまるで、何かが体の中で「目覚めよう」としているようだった。
――名を思い出せ。
――誓いを果たせ。
幻聴のような声が耳を掠める。
アリアは膝をつき、唇を噛む。
「……やめて……」
「何をやめるのかな?」
低い声が背後から落ちた。
振り返ると、そこにエリオンが立っていた。
黒衣の裾が月光を吸い、瞳が光る。
「君、アリアと言ったか。……奇妙な“気配”を感じる」
「監察官殿……気配とは?」
「血の匂いだ。とても古い。
まるで――焼かれた名家の残り香のような」
アリアの喉が凍る。
彼は近づき、囁く。
「ヴァルステッド。知っているかね?」
瞬間、心臓が止まりかけた。
どうして――なぜ――?
「君の目が答えている。……安心しろ。私は敵ではない。
むしろ興味がある。君の血誓が、どれほどの力を持つのか」
「なぜ……それを」
「私も“血”の研究をしている。
君は生き残った最後の“灰冠の系譜”だろう?」
アリアの唇が震える。
隠してきたものが、あっけなく剥がされる恐怖。
しかしエリオンの声は柔らかく、冷たい刃のように静かだった。
「協力すれば、生かしておこう。
逆らえば……灰も残らない」
彼は踵を返し、闇の廊下へ消えた。
残されたのは、血の痛みと、名を突きつけられた絶望。
(……もう隠せない)
■ 翌朝
ロウガの部屋。
アリアは静かに扉を叩いた。
「監察官に知られました」
ロウガは驚きもしなかった。
「だろうな。あの男は、血の臭いを嗅ぎ分ける」
アリアは唇を噛みしめる。
「……私のせいで、この砦が危険に晒されます」
「黙れ。お前が来る前から、この軍団は死にかけてた。
お前がいるからまだ“生きてる”。それが答えだ」
ロウガの声は荒くも、確かだった。
「いいか。血で支配する奴らに、血を超える道を見せてやれ。
お前の戦いは、ここからだ」
アリアの瞳に、再び炎が宿る。
(灰に埋もれた名を、もう一度掲げる時が来る)
砦の外、風が吹いた。
灰色の雲が流れ、空は戦の色に染まり始めていた。
帝都の監察官エリオンが、ついにアリアの「正体」と「血誓」に気づきました。
彼は敵か、あるいは利用者か。
そして、アリアの力はもはや制御不能の兆しを見せ始めます。




