第二章:王の道、灰より始まる 第14話 静かなる侵入者 ― 渦影レムルスの黒い手
王を斬るのは剣ではない。
影だ。
心に入り込む影こそ、国を倒す最初の刃になる。
■ 灰冠砦 ― 風の弱い夜
珍しく風がほとんど吹かない静かな夜だった。
アリアは塔の上に立ち、焚き火の明かりを眺めていた。
(風が……囁いていない。
まるで、何かを恐れているみたい。)
そんな不安を抱えたまま、アリアは砦の中へ戻った。
■ 謎の来訪者
その頃――
砦の入り口で、ミラが補給品の整理をしていた。
「ええと、この救急薬草は……」
ふと背後から声がした。
「――優しい子だ。」
ミラがびくりと振り返ると、
そこには黒い外套を纏い、仮面をつけた長身の人物が立っていた。
「だ、誰……?」
男は静かに首を傾げた。
「敵ではないよ。
ただ、“王を見に来ただけ”だ。」
その声は妙に心に染みこむような、
柔らかさと冷たさが共存していた。
ミラは一歩後ずさる。
「……ここに入れるのは、王国の兵だけのはず……」
「入れたから来ているんだ。」
仮面の男が微笑むように見えた。
「名前は――レムルス。
《渦影》の者だ。」
ミラの背筋が凍りついた。
(渦影……!?
帝国も恐れる暗殺組織……!)
その瞬間、男の手がすっと伸びた。
ミラの眼前に指先が触れる――
「動かないで。
傷つけるつもりは、まだない。」
ミラは呼吸ができなくなり、瞳が揺れる。
「あなた、アリア様に……何を……!」
レムルスの声が、囁きのように落ちていく。
「王を倒すつもりはないよ。
私は“王の心”が欲しいのさ。」
その言葉が、ミラの胸を締めつけた。
■ アリアの部屋へ
レムルスは、まるで風のように砦の奥へ侵入した。
どの警備兵も気づかない。
足音も、気配も、匂いさえ残さない――
“影の歩法”。
アリアの部屋の扉が静かに開く。
アリアは振り返った。
「……そこに誰?」
部屋の中に立つ黒い影。
仮面の男。
レムルスは軽く頭を下げた。
「初めまして、灰冠の王アリア。
君を見に来た。」
アリアは剣に手をかけながら一歩前へ。
「渦影……ね。」
レムルスは嬉しそうに言った。
「噂よりもずっと“美しい王”だ。
風に守られ、意志で立つ――
まさに新しい世界の中心にふさわしい。」
アリアは眉をひそめる。
「目的は何?
私は帝国と戦っている途中よ。」
「帝国などどうでもいい。」
レムルスは肩をすくめる。
「帝国は壊れる。
君が壊すでも、ガルスが壊すでもいい。
問題は……“その後”だ。」
壁の影がわずかに揺れた。
「世界が壊れる時、
必ず中心に“王”が一人立つ。
君か、
あるいは――私か。」
アリアは剣を抜く。
「あなたが王になる?
そんなもの、許さない。」
レムルスはひどく楽しそうに笑った。
「許されなくていい。
王は奪うものだろう?」
■ レムルスの囁き
レムルスはアリアの目の前まで一歩で近づいた。
アリアの剣が反応するより速く。
「アリア。
君は恐れている。」
「……何を?」
「“王になること”を。」
レムルスの指先がアリアの胸元を指す。
「“血ではない王”として選ばれたのはいい。
だが――君が国を導けば導くほど、
人は君を“神”と呼び始める。」
アリアの胸がざわつく。
(……それは、怖い。
私は神になどなりたくない。)
レムルスは彼女の瞳を覗き込み、囁く。
「君がどれほど人を救おうが、
人々は“王=力”と見なす。
そして、また世界は血に染まる。」
アリアの手が震えた。
「そんな未来には……させない。」
レムルスは静かに手を伸ばし、アリアの頬に触れた。
「ならば――“私と来い”。
君の意志が負ける前に、
世界を壊してしまおう?」
アリアは一瞬、呼吸を忘れた。
世界を壊す――
レムルスはそれを“救い”だと考えている。
(……この男……危険すぎる。
でも……言葉のひとつひとつが
胸に刺さる……!)
アリアが苦しげに目を伏せた瞬間――
■ エリオン、乱入
空気が一瞬だけ変わった。
レムルスの背後に影が走る。
エリオンの刃が黒い外套を切り裂いた。
「アリアから離れろ。
レムルス。」
レムルスは淡々と後ろを振り返った。
「……ああ、やはり来たね。“第零試験体”。」
アリアが驚く。
「……知り合いなの?」
エリオンは短く言う。
「知り合いじゃない。
こいつは“敵”だ。」
レムルスは微笑み、アリアの指先に触れたまま言う。
「エリオン。
君はまだ気づいていないのかな。
アリアが“誰のために揺らぎ、
誰の言葉で立ち直るか”を。」
エリオンの目に怒りが浮かぶ。
「アリアの心を利用する気か。」
「利用じゃない。」
レムルスの声が低く優しく響く。
「触れてみたいだけだよ――
“世界を変える意志”に。」
アリアが一瞬だけ息を呑む。
レムルスは退くでもなく、攻撃するでもなく、
ただ影のように後退りし、
「今日はこれで十分。
アリア――
君は神にはならない。
なら“王としての弱さ”をどう乗り越える?」
そう言い残し、
レムルスの身体は影に溶けるように消えた。
■ 不穏な余韻
アリアはその場に崩れ落ちそうになり、
エリオンが支えた。
「大丈夫か。」
アリアは震える声で言う。
「……怖かった。
力じゃなくて……
心を、揺さぶられるのが。」
エリオンはアリアの肩に手を置いた。
「アリア。
あいつは“王を堕とす専門”の暗殺者だ。
剣ではなく、心を狙う。」
アリアはゆっくりと目を閉じ、
(レムルス……
あなたの言葉は、
確かに私の弱さを突いてくる……
でも――)
目を開いたとき、
その瞳に迷いはなかった。
「私は、揺らがない。
私は、意志の王になる。」
その風が砦に静かに流れ、
夜闇の影を払い始めた。
しかし――
砦の外で風はまだ警告を続けていた。
「影はまだ去っていない。
この夜は始まりにすぎない。」
まるでそう言っているかのように。
“心理戦”の幕開け。
アリアの戦いは
剣だけではなく心との戦いへ広がります




