第二章:王の道、灰より始まる 第9話 帝都の揺らぎ ― 皇帝カリオスの決断
帝国は強いから続いたのではない。
権力が恐怖を生み、恐怖が沈黙を強いたからだ。
だが――沈黙が破られる瞬間、帝国は揺らぎ始める。
■ 帝都セレスティア・上空
薄雲が赤く染まり、風が血の匂いを運んでいるように感じた。
巨大な宮殿《炎冠宮》は静かだが、
その内部は嵐の中心のように不穏だった。
宰相ガルス・ハーゲンは、重たい石扉の前に立つ。
扉には、古代語でこう刻まれていた。
【紅蓮段階 ― 侵触領域】
(“方舟計画”の第二段階……
やはり陛下は、ここまで踏み込むおつもりか。)
扉がゆっくりと開く。
赤黒い蒸気。
内側で脈打つ巨大な魔導器。
人の心臓のように鼓動するそれは、
帝国最大の禁忌――紅蓮の核。
■ 皇帝の間
皇帝カリオス三世が、窓辺に立っていた。
白髪、背筋の伸びた姿、瞳は燃える火のように鋭い。
ガルスが跪く。
「陛下……“紅蓮段階”を本当に開始されるのですか?」
皇帝は振り返り、静かに言った。
「アリア・ヴァルステッド。
あの娘は、帝国にとって“脅威”であり“希望”でもある。」
「希望……?」
「そうだ、ガルス。
あの娘は“血ではなく意志で立つ王”。
この帝国には、それが必要なのだ。」
宰相の表情が歪む。
「陛下……!
彼女は反逆者です!
帝国の秩序を覆す存在です!!」
皇帝は、ため息のように笑った。
「覆されるべき秩序だからな。」
ガルスが沈黙する。
「帝国は停滞している。
血に縛られ、腐敗した階級が国を蝕んでいる。
そんな帝国を救うのは――」
皇帝の瞳が光った。
「――“外から来た王”だ。」
ガルスの全身から血の気が引いた。
「お、お待ちを……
陛下はまさか、“アリアを次代の王に”……?」
皇帝は答えない。
しかし、その沈黙こそが答えだった。
(……この男、帝国という“国”ではなく、
国家という“理想”を見ているのか……!)
ガルスの胸に、怒りとも恐怖ともつかない熱が走った。
「ならば陛下。
私が“帝国”を守りましょう。
アリア・ヴァルステッドを……殺して。」
ガルスは深く頭を下げ、闇へと消える。
皇帝はただ呟いた。
「ガルスよ。
お前は“帝国の影”であり続けるだろう。
だが――王を決めるのは、人民だ。」
■ 情報局・地下廊
エリオン・ヴァスは机の上の文書を見つめていた。
そこには、宰相の正式な命令が記されている。
《特命:アリア・ヴァルステッドの処分》
――血導師団完全再編成
エリオンは紙を握りつぶした。
(……ガルスは“帝国”ではなく“支配”を選んだか。)
そのとき、背後から声がした。
「――エリオン。」
現れたのは、情報局長の老魔導師、セラフィス。
「お前には真実を話しておかねばならん。
お前の出生についてだ。」
エリオンが目を細める。
「今その話が必要か?」
「必要だ。……アリアのそばに立つというなら、なおさら。」
セラフィスは杖を地に打ちつけた。
「お前は――
**“灰冠計画・第零試験体”だ。」
エリオンの全身が硬直した。
■ 第零試験体
老魔導師は続ける。
「生まれる前、お前の母の胎に“灰冠の血片”が注入された。
人と灰冠の遺伝が初めて混ざった存在――
それがお前だ。」
「馬鹿な……俺は帝国の孤児として拾われただけだ。」
「その孤児院自体が“灰冠観測施設”だったのだよ。
お前の反応を監視するためのな。」
エリオンの拳が震える。
(……だから俺は、生まれつき“血”に耐性があった……
だから“灰冠の声”が聞こえたのか……)
セラフィスは言う。
「お前とアリアは、“対の存在”。
アリアは“器”。
お前は“観測者”。
帝国の計画によって、必然的に結ばれた宿命だ。」
静寂。
闇の中で、彼は笑った。
「皮肉なものだな。
俺の意志ではなく、血がアリアへ向かわせていたとは。」
「だが、今は違うだろう?」
セラフィスの問いに、エリオンはゆっくりと目を閉じた。
「違う。
今、俺がアリアのそばにいるのは――
俺自身の意志だ。
血ではない。」
老魔導師は、満足そうに頷いた。
■ 灰冠砦 ― 夜
その夜。
アリアは塔の上から夜空を見ていた。
風が冷たく、星が瞬いている。
(……胸騒ぎがする。
帝国の風が――変わり始めた。)
エリオンが塔に上がってくる。
「アリア。」
アリアは彼を見つめる。
その瞳に、迷いも恐れもなかった。
エリオンは言った。
「帝国が動く。
皇帝と宰相――完全に分裂した。」
アリアは静かに目を伏せた。
「やっぱり……避けられないのね。」
「だが、もう一つ伝えておく。」
エリオンは胸に手を添える。
「俺は――“灰冠計画の第零試験体”だ。」
アリアの目が揺れた。
「あなたも……?
私と……同じ……?」
「ああ。でも――」
エリオンは真っ直ぐに言った。
「俺は、お前の“王の選択”を信じる。
血ではなく、意志でな。」
その言葉に、アリアの胸が熱くなった。
(この人は……血に翻弄されながらも、
自分の“道”を選んでいる。)
アリアは答えた。
「ありがとう、エリオン。
あなたがいてくれるなら――私は前に進める。」
風が吹き、二人の外套を揺らした。
その風は、帝国の激動の始まりを告げる風だった。
帝国編、本格始動。
全てが、帝国決戦へ向かって動き始めます。




