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幕間 ~『ベルナトスの悪巧み』~


 仕立てのよい絨毯が敷かれた回廊を堂々たる足取りで歩いている男がいる。金糸を縫い込んだマントをはためかせながら、ベルナトスは肩で風を切っていた。彼の周囲には誰もいない。付き従う者すら遠巻きに控えている。


(今や領内のほぼすべてが私の掌にある)


 心の中で、ベルナトスは静かに笑う。


 領主代行としての認可が下りてから、わずか数日のことだ。


 彼は驚くほど迅速に、そして徹底的に政権の掌握を進めた。


 秩序回復、経済再建と銘打った新たな政令は、日ごとに増えていく。しかしその実態は、忠誠を誓わない家臣の左遷と追放、そして自身の取り巻きの重用による体制固めでしかない。


 表向きこそ理知的な統治者を装いながらも、その裏には、牙を隠した獣のような支配欲が脈々と息づいている。


 かつて兄であるリカード公が穏やかな調和を好み、甥のハンスが民との信頼関係を重んじていたのに対し、ベルナトスは支配による強制的な忠誠を信条としていた。


 彼の方針は領内の色を染めていく。本来ならばハンスの婚約者であり、民からも良家の令嬢として親しまれていたエリザベートでさえも、今では宝石と絹のドレスに身を包み、贅沢三昧の日々を送るようになった。


 公の場に現れた彼女はまるで別人だ。高慢な笑み、浮ついた口ぶり、取り巻きに囲まれて優雅に振る舞うその姿に、民衆の多くは落胆を抱いた。


 ハンスが生きていれば。そんな声が城下のあちこちで囁かれるようになった。


 それでも、人々はベルトナスを非難できない。沈黙こそが、唯一の自衛手段だと知っているからだ。


(とはいえ、まだ私が支配できていない者たちもいる)


 残った者たちに忠誠を誓わせるために、ベルトナスは広間へと足を運ぶ。


 広間に辿り着くと、領内の有力者たちがすでに揃っていた。城の重臣たち、各部門の長、商人ギルド代表、そしてグレムート騎士団の者たちもいる。どの顔にも緊張と警戒が浮かんでいた。


「待たせたな、皆の衆。早速始めようか」


 ベルナトスは足取りに迷いなく、広間の中央に向かう。そこには布で覆われた大きな額縁が置かれていた。


「使用人ども、用意しろ」


 ベルトナスの合図に従い、奥に控えていた数名の使用人が、その布を剥がす。


 すると現れたのは、一枚の肖像画だった。


 それはハンスを描いたもので、正面を真っ直ぐに見つめる蒼い瞳と端整な顔立ちは、広間の空気を一変させる。


「諸君、私は強き統治を行う。それには多くの反発を買うだろう。だが皆には過去の執着を断ち切り、私に忠誠を誓ってもらいたい」


 ベルトナスが片手を上げ、使用人に指示を出す。すると、肖像画を横たわらせた。


「諸君らにはハンスの肖像画を踏みしめてもらう。まだ生きているかもしれないという幻想を断ち切り、新たな主を選ぶのだ」


 沈黙が場の空気を支配する。まさかここまでやるとは思っていなかったのか、皆の額には汗が浮かんでいた。


「私に忠誠を誓う者はいないのか?」


 再度、ベルナトスが問いかける。すると商人ギルドの代表が重々しい表情のまま、ゆっくりと前へ進む。誰もが見守るなか、無言でハンスの肖像を踏みつける。


 誰かが小さく息を呑んだ。


 続いて、他の者たちも彼に倣う。誰もが無言のまま、絵を踏みつけていく。忠誠より保身と打算。立場を守るための沈黙の行進だった。


 だがグレムート騎士団の者たちだけは違った。


 彼らはその場に立ち尽くし、顔を強張らせている。視線を伏せる者。剣を握る手を震わせる者。反応は様々だが、ただ一人、クルツだけが静かに前に出る。彼は端正な顔立ちを鋭く引き締め、肖像画の前に立つと、じっと、その絵を見つめる。


 沈黙が続く中、ベルナトスに頭を下げた。


「申し訳ありませんが私にはできません」


 その言葉は静かでありながら、広間の空気を貫く一撃となる。不快感を隠そうともせず、ベルナトスは眉を釣り上げる。


「ならば目障りだ。踏めぬ者は私の前から消えろ」

「承知しました」


 それだけを言い残すとクルツは背を向ける。仲間たちが彼の後を追いかけるように、一人、また一人と堂々とした足取りで、広間を去っていく。


 扉が閉じられると同時に、ベルナトスは口の端を吊り上げた。


「確認できてよかった。忠義の仮面の下の裏切り者どもめ」


 まるで舞台の幕が下りた後のような静けさに呟きが広がる。


 それからも儀式は続き、全員が踏み絵を終えると、ベルナトスは解散を言い渡した。


 やがて一人になった空間でベルナトスは語りかける。


「隠れているのは分かっている。出てこい。話がある」


 しばしの沈黙のあと、影の一角から、まるで空間からにじみ出たかのように、一つの気配が現れる。


 黒衣に身を包み、顔を覆面で隠した男は、足音すら立てずにベルナトスの前で膝をついた。


「ご命令を」


 その声には感情の揺れがない。ベルナトスは目を細めて、覆面の男を見据える。


「ハンスが生きていた場合は殺せ。私がやったという痕跡も残すなよ」

「……よろしいのですか?」

「もし奴が戻ってきたなら、面倒が過ぎる。今のうちに、芽を摘み取っておくのが最も効率的だ。貴様の仕事ぶりには期待している」


 暗殺者は深く一礼し、音もなく影に溶けるようにして姿を消す。この選択がハンスの運命を大きく変えることになるとは、この時はまだ誰も知らなかった。


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