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幕間 ~『騎士団の作戦会議』~


 夜のグレムート城は、昼の喧騒が嘘のように静まり返っている。


 そんな中、騎士団の詰所の奥深く、誰も使っていない書庫の一室に、鎧の軋む音と小さな囁き声があった。


 団長であるクルツは、部屋の中央に立ち、己の手で古ぼけた地図を広げている。


 それはハンスが行方不明になった海域の周辺と、南方に連なる無数の小島を描いた航海図だった。


「全員、揃ったな」


 クルツの低い声が、静まり返った部屋に響く。


 集まっているのは忠義をいまも胸に抱く騎士たちだ。顔ぶれは若手から壮年までさまざまだが、その瞳に宿る覚悟だけは同じだった。


 クルツは一呼吸置いて、語り出す。


「今はベルナトスに従う素振りを見せる。だが心まで売り渡すつもりはない。我らの忠誠は、今も、そしてこれからも亡きリカード様と御子息のハンス様のためにある」


 その言葉に重く沈んでいた空気がピンと張り詰める。皆が大きく頷き、瞳の奥で意思の光が輝く。


「我々はハンス様の生存を信じて行動を起こす。行方不明になった海域に関する過去の記録、風向き、潮流、すべてを照合した。その結果、向かう先はやはりここだろう」


 クルツの指先が地図のとある島を指差す。もし仮に生きていたとしても辿り着くのは魔物が棲む危険な島だ。一同が緊張に包まれて息を呑む。


 そんな中、冷静な若い騎士が手を挙げる。


「危険以外にも問題はあります。無人島を探索するにしても、物資や船が必要ですから。そしてそれらを用意するための資金が要ります」

「それはそうだな……」


 クルツは小さく頷き、視線を地図から外す。


「騎士団の正式な予算は、すべてベルナトスの監視下にある。捜索の名目で申請すれば、我らの動きが筒抜けになる。却下されるか、あるいは罠を仕掛けられるだろう」

「では、どうやって?」

「商人ギルドに援助を頼む」


 室内が一瞬ざわめく。クルツは彼らを落ち着かせると、冷静に言葉を続ける。


「商人たちは私利私欲の集団だ。だが打算で動くからこそ、話も早い」


 クルツは拳を握ったまま続ける。


「ベルナトスは、商人ギルドへの税を倍にすると公言した。いずれ正式に発布されれば、領内の流通は滞り、商人たちにとって死活問題になる」

「なるほど……つまり商人ギルドにとってもハンス様を発見する利益があるということですね」

「その通りだ」


 商人たちはハンスに忠義を誓っているわけではない。だがそれでも利害が一致するなら手は組める。


 しかしその判断に若い騎士は怪訝な表情を浮かべる。


「本当に商人を信用できるのでしょうか?」

「懸念があるのか?」

「我々の動きが商人ギルド側からベルナトスに漏れる危険も十分にあるのでは?」

「それも考慮して、最小限の代表と会うつもりだ」

「ですが、それでも……」

「分かっている。だが商人は損得で生きる者たちだ。だからこそ、すぐには裏切らないと信じられる。なにせハンス様が生きてさえいれば、我々は逆転できるのだから。裏切るとしても、死が確定してからでも遅くはない」

「なるほど……」


 商人たちからすれば勝負の行く末を眺めておき、騎士団側に勝ち目がないと判断してから切り捨てても遅くはない。


 利に敏い者たちは、裏切る時すら慎重に選ぶ。クルツの読みは、冷酷だが理に適っていた。


 部屋には再び静けさが戻る。その静寂の中で、今度は別の騎士が口を開いた。


「しかし、問題は資金だけではありません。捜索のためには人手が必要です。上陸後の調査、魔物の排除、避難経路の確保……外部の傭兵を雇う案もありますが……」

「駄目だ」


 短く、だが明瞭に否定する。


「傭兵は金で動く。金で命を張ることが悪いとは言わんが、金で雇われた傭兵は、やはり金によって裏切る。逆にハンス様を襲う刺客になりうるリスクさえある」


 騎士たちの顔が強張る。信頼できる仲間でなければ、捜索そのものが命取りになると理解したからだ。


「だから、俺たちが行く。他の誰でもない、ここにいる我々自身が……ハンス様に忠義を誓った騎士として、命を賭して探す。それ以外の方法はない」

「クルツ様……」

「問おう。皆に命を懸ける覚悟はあるか?」


 部屋に再び、張り詰めた空気が走る。誰も動かず、誰も声を発さない数秒の沈黙。だが次の瞬間、剣を引き抜いた音が響く。


 続いて、もう一人。さらにまた一人と続き、やがて全員の剣が、鞘から抜かれて一斉に掲げられる。


「我らの命をハンス様に捧げます」

「ありがとう……お前たちはグレムートの誇りだ」


 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、扉の向こうで足音が響く。


 一同は即座に反応し、剣を掲げたままで息を呑む。音の出所に神経を集中させると、一瞬にして部屋の空気が緊張の色を帯びた。


 足音がゆっくりと近づいてきたかと思うと、扉の前でぴたりと止まる。


 誰かがそこに立っているのは間違いない。だがノックもなければ、声もかからない。


 部屋の中はまるで凍りついたかのような静寂に包まれていく。蝋燭の炎がわずかに揺れ、その影が騎士たちの緊張を照らし出す。


「……動きません」


 扉に耳を寄せていた若い騎士が、かすれた声で呟いた。


「立っている気配はある……だが何もしてこない」


 クルツは軽く息を吐く。剣は下げぬまま、静かに指を立て、全員に警戒を解くなと目で合図を送る。


 数秒、あるいは数十秒にも感じられる沈黙ののち、扉の向こうから伝わっていた気配が、ふっと遠ざかった。


 足音が再び鳴るが、その足取りは先ほどよりもずっと軽い。そして遠ざかるように廊下の奥へ消えていった。


「……いなくなったか?」


 誰ともなく囁いた声に、答える者はいない。クルツは目を細めて扉の隙間に目をやるが、もはや人影の気配を感じられなくなっていた。


「誰かに情報が漏れたかもしれんな……」


 クルツが低く呟く。その声音には、怒りでも焦りでもなく、ただ静かな決意がにじんでいた。


「捜索を予定より前倒しして進めよう。さっそく商人ギルドとの交渉を開始だ」


 騎士たちの表情が引き締まる。この夜に交わされた密かな誓いは、もはや後戻りのできない段階に差し掛かっていたのだった。



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