第一章 ~『幼女は魚が食べたいです』~
翌日、リサとハンスは白い砂浜を並んで歩いていた。
朝の陽光を受けて、波打ち際の水面はきらきらと眩しく輝いている。遠くを見渡すと、岩がゴツゴツと並ぶ一角が目に入る。
「……あっちの岩場、行ってみませんか?」
「いいね。何か食べ物が見つかるかもしれないしね」
二人は歩幅を合わせて岩場へ向かう。波が静かに打ち寄せ、透明な水が岩の間に流れ込んでいる。
リサはそっと足を止めて、水面を覗き込む。浅瀬には魚たちが群れを成して泳いでいた。
「ハンス様、魚がいますよ!」
「本当かい!」
ハンスは即座に食いつく。リサもまた焼き魚の香ばしい味を想像し、口の中を涎で溢れさせる。
「こんなに近くに魚がいるのに、ただ眺めているだけなんて、もったいないですよね」
「だよね……ただどうやって捕まえるかが問題だね」
ハンスは岩の上にしゃがみ込んで水面を見つめる。魚たちは素早く身を翻し、きらりと光りながら泳ぎ回っている。
「とりあえず、手で掴んでみましょうか」
リサは水中に手を伸ばす。だが指先が水をかき乱した瞬間、魚たちは一斉に逃げ去る。ハンスも試してみるが結果は変わらなかった。
「難しいですね……」
「魚って、こんなに早かったんだね……」
二人は岩場に腰を下ろし、濡れた手を太陽の光にかざして乾かす。
「さて、どうしましょうか?」
魚は確かにいる。しかし、このまま素手で挑み続けても無駄に体力を消耗するだけだ。
「釣り具を作るのはどうかな?」
「針と糸があれば良いのですが……そうだ、作るなら槍はどうでしょう? 流木を加工して、先を尖らせれば、魚を突けるかもしれません」
「それは良い考えだね! 実は僕、槍術には少し自信があるんだ。きっと役に立てると思う」
「ハンス様は本当に多才ですね」
「リサほどじゃないさ……でも槍の扱いに関しては頼りにしても良いと思うよ」
ハンスは得意げに胸を張ると、周囲を見渡す。ちょうど良さそうな流木を見つけると、それを抱えて戻ってきた。
そして二人は岩場に腰を下ろし、槍作りに取り掛かる。リサが小刀代わりに石で先端を削り、ハンスはそれをさらに尖らせて枝で補強する。
汗を拭いながら、二人は黙々と作業を続ける。やがて即席とは思えない立派な槍が完成した。
「できたね」
「できましたね」
ハンスは槍を掲げて、にやりと笑う。
「じゃあ、僕が試してみるよ」
「お願いします」
リサが期待に満ちた目で見守る中、ハンスは慎重に岩場に立ち、水面を見下ろす。槍を構え、静かに呼吸を整える。
魚たちは、きらめく影となって浅瀬を泳いでいる。ハンスは狙いを定めて、一気に槍を突き出した。
「はっ!」
水しぶきが上がり、槍の先に重みがかかる。ハンスが槍を引き上げると、その先には小ぶりながら立派な魚が突き刺さっていた。
魚は必死にもがいていたが、ハンスはしっかりと押さえ込んでいる。
「ふふ、どうだい」
「さすがハンス様。頼りになりますね!」
リサが歓声を上げて、拍手を送る。
(私も何か貢献できること……)
小さく拳を握り、水面をじっと見つめる。そして頭の中に閃きが生まれる。
「ちょっと、試してみてもいいですか?」
「何をだい?」
「魔法です」
リサはそっと水面に手をかざし、小さく炎を灯した。強すぎないように、あくまで水を温める程度の火力で。
すると水面からわずかに蒸気が立ち上り、魚の動きが鈍くなっていく。浅瀬の岩陰に隠れる暇もなく漂っていた。
「ハンス様、いまがチャンスです!」
その合図に反応するように、槍が魚を貫く。手に入れた成果に、二人は笑みを零す。
「これなら当分は食料に困ることはなさそうだね」
「カニよりも美味しそうですしね」
「たまにならカニも悪くはないけどね」
二人は岩場での収穫を手に、再び砂浜に戻る。潮風に吹かれながら、焚き火の前にしゃがみこむ。
「よし、魚を焼きましょうか」
リサが笑顔で宣言すると、周囲を見回し、手頃な枝を数本拾い集める。小刀代わりの石で丁寧に削り、先端を尖らせる。
「こうして……串に刺して焼いた方が美味しくなるはずです!」
二人は捕まえた魚に串を通し、それを焚き火の周囲に立てかけるようにして、じっくりと炙り始める。
ぱちぱちと火が爆ぜ、魚の皮がじわじわと縮んでいく。香ばしい匂いが、潮風に乗ってあたりに広がっていく。
「たまらない匂いだね!」
「久しぶりのご馳走ですからね」
リサは真剣な顔で魚の様子を見守る。表面がきつね色にこんがりと焼け、脂が滴り落ちるのを確認すると、リサはそっと塩の小瓶を取り出した。
「仕上げに、特製の塩を……」
指先で白い結晶をつまみ、焼きたての魚にふりかける。ぱらぱらと振りかかった塩が、熱で音を立てた。
「よし、できました!」
リサは串を手に取ると、ハンスにも一本渡す。
「それじゃあ……いただきます!」
二人は同時に声を合わせ、熱々の魚にかぶりつく。
焼き立ての皮が香ばしい音を立て、ふわふわの白身が顔を出す。噛み締めた瞬間、魚の旨味と、塩の引き出す深いコクが口いっぱいに広がった。
「美味しいですね!」
「ああ、たまらないね」
二人は思わず顔を見合わせ、笑い合う。食材も調味料も限られた状況なのに、今食べているこの一口一口が、過去に食べたどんなご馳走より贅沢に思えた。
「明日からも頑張れそうな気がしてきたよ」
「私もです」
潮風の吹く浜辺で、二人は心から満たされた時間を共有する。焚き火の炎は、ぱちぱちと心地よく弾ける音を立て続けるのだった。