第一章 ~『幼女は天才でした』~
遭難してから数日が過ぎたが、リサは毎日欠かさずに魔法の訓練を続けた。
最初は蝋燭サイズの小さな火を灯すことでさえ四苦八苦していたが、今では拳くらいの大きさの炎を生み出せるようになっていた。
「普通なら、基礎の火球を作るだけでも数ヶ月はかかるんだ。それを、たった数日で……」
「まだまだです。でも、できることは増えてきました」
リサが笑顔で手のひらを掲げると、小さな火球が揺れる。そっと指を動かすと、火球が形を変え、空中にふわりと模様を描く。
「魔法をここまで制御できるなんて……」
「私、もっと、もっと上手くなりたいです!」
二人は砂浜に並んで立つと、海に向かって炎を放つ。波の音が響き、時折、白い鳥たちが空を横切る中、炎が海に落下し、白熱した蒸気が吹き上がる。
「これなら応用に進むのも早そうだね」
「応用ですか?」
「例えば、炎を盾にする防御魔法とか、鋭い火の矢を作る攻撃魔法とか。魔力の形を変えれば、色んな使い方ができるんだ」
「学び甲斐がありそうですね!」
「でも、まずは基礎をもっと固めよう。焦ると魔力の流れが乱れるからね」
「はい!」
その後もリサの訓練は続いた。炎が暴れて手を焦がしそうになったり、火球が暴走して地面を焦がしたりもした。
だがリサは諦めなかった。何度失敗しても、顔を上げ、ハンスの助言に耳を傾ける。そんなリサの努力を見守りながら、ハンスはふと口を開いた。
「そういえば、もう一つ伝えるべきことがあったよ。実は魔力を体に巡らせると、耐久力や腕力が底上げされるんだ」
「そんな効果があるのですか!」
リサは驚きに目を見開き、自分の腕をまじまじと見つめる。たしかに、最近体が妙に軽く、力が湧いてくる感覚があった。
「試してみよう」
ハンスは浜辺の端に転がっている大きな流木の前へ移動すると、それをあっさりと持ち上げる。
「僕の腕力でも魔力があれば、こんなことができるようになる」
「私も同じことが?」
「訓練すればね」
ハンスは流木をそっと砂浜に戻し、額の汗を拭う。砂浜に降り注ぐ太陽がリサの喉にも乾きを与えていた。
「そろそろ水分補給しましょうか」
リサはミネラルウォーターをハンスに手渡す。ペットボトルの扱いに慣れたのか、器用に蓋を開けて、水分を摂取する。
「水も減ってきたかな……」
「心配しなくても貯めた雨水がありますから」
リサは乗客が残した荷物の中から鍋を発見していた。鍋に溜めた雨水を移すと、慎重に炎の温度を制御しながら鍋の底を温めていく。すると、ぐつぐつと水が沸騰を始めた。
「これで、殺菌完了です。あとは冷ませば飲めるようになりますよ」
「リサは本当に頼りになるね」
「たまたま学ぶ機会が多かったおかげですよ」
命に直結する飲料水を確保できたのはテレビ番組のおかげだ。心の中で感謝していると、ハンスが神妙は面持ちで次の課題を切り出す。
「あとは食料だね」
「乗客たちが持っていた食べ物、それに非常用食料もかき集めてみましたが……計算では、二人で節約すれば、あと一ヶ月は持つはずです」
「一ヶ月か……すまない。僕がいなければ、もっと食料を長持ちさせられたのに……」
「そんなことを言わないでください! ハンス様がいてくれたから、私は魔法を覚えられたのですから。それに一人だと、寂しくて心が折れていたでしょうから……」
「リサ……ありがとう」
「こちらこそ」
リサが笑い返すと、二人の間に柔らかな空気が流れる。だが、その安堵の中にも、現実の厳しさは確かに存在している。
「ただ食糧問題は考えなくてはいけませんね。今の私たちでは、森へ行くにはまだ不安が残りますから」
「魔物に遭遇したら、今の実力では逃げ切れるか分からないからね」
二人は良い策がないものかと思案を巡らせる。しばらくの沈黙が続いたあと、リサがぽつりと提案する。
「虫を食べるのは、どうでしょうか?」
「……虫?」
「私の故郷ではコオロギ食がブームになったこともあります。私も試しましたが、意外と悪くなかったですよ」
「そ、そうか……う、うん。たぶん……いける……と思うよ」
ハンスは目を泳がせながら、頑張って前向きな言葉を絞り出す。その反応にリサはくすりと笑みを零す。
「虫は最終手段にしましょう。できる限り、別の食料を探します」
「ありがとう、リサ……」
少し場が和んだその時、リサはふっと思い出したように手を叩く。
「良い食材を見つけました!」
リサは砂浜にしゃがみ込む。そこには小さなカニが器用に足を動かして歩いている。ハンスもリサの肩越しに覗き込む。
「おお、本当だ……ちっちゃいけど、ちゃんとカニだね」
「この大きさでも、集めれば立派な食料になります」
リサは嬉しそうに、そっと両手でカニを包み込むように掬い上げる。小さなハサミをバタつかせるカニを、リサは丁寧に持ち上げた。
「ほら、ハンス様も」
「よ、よし……」
ハンスも恐る恐る手を伸ばし、近くを歩いていた別のカニをつまみ上げる。慣れない手つきだったが、なんとか捕まえることに成功する。
「やった!」
「この調子で、たくさん捕まえましょう!」
二人は夢中になって、砂浜を探し回る。小さなカニたちが、砂の中に潜ろうとするたび、リサとハンスは素早く手を伸ばして捕まえていく。
「二十匹くらい集まりましたね!」
シャンパンを冷やすためのアイスバケツを発見していたリサは、その中にカニを投入していく。カニたちはバケツの底で元気に動き回っていた。
「こんなに小さなカニでも、集まれば立派な食事だよね」
「早速、食べてみましょうか」
鍋にカニを移し、火の魔法で加熱していく。じゅう、と小さな音を立てながら、カニたちが赤く色づいていく。
香ばしい匂いが漂い、二人のお腹が鳴る。リサは焼き上がったカニを一つ取り上げると、ハンスに差し出した。
「どうぞ」
「ありがとう。いただくよ」
ハンスは笑顔で受け取ると、口の中に放り込む。
「硬いけど……うん、十分に美味しいよ」
「では私も……悪くない味ですが、やっぱり味が薄いですね……そうだ、塩を使いましょう!」
「そういえば、魔法の練習のために作っていたね」
海水を蒸発させて塩を作るには、緻密な魔力の制御が求められる。その修練の過程でできた塩を小瓶に残していた。
白い結晶を指先でつまみ、焼き上がったカニにふりかける。そして再び、カニを口の中に放り込む。
「やっぱり、違いますね!」
「うん、塩の力はすごい……」
二人は小さなカニを夢中で食べ続ける。潮風が優しく吹き抜けていくのを感じながら、リサたちは笑みを零すのだった。