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エピローグ ~『バカンスは楽しめた』~


 滝を後にしたリサたちは静かに森を進んでいく。


 疲労感と達成感が入り混じる中、リサの胸にはただ一つの希望があった。


(とうとう日本へ帰れるのですね……)


 森の奥、かつて訪れた古びた神殿が姿を現す。重厚な石造りの建物は変わらず静かにたたずんでいたが、今はどこか待ち受けているかのような不思議な気配をまとっている。


 リサはゆっくりと歩を進め、扉の前に立つ。上部には四獣の彫刻が彫られているが、最後に倒された鳳凰の赤い光が消えていた。


「やっぱり……」


 リサが思わず声を漏らす。ハクが静かにリサの横に並ぶと、まるでそれを待っていたかのように巨大な石扉がゆっくりと軋みを立てて開き始めた。


 思わずリサは、ハクを抱きかかえて頭を優しげに撫でる。四獣が一体になると扉が開くという日記の記載に偽りはなかったのだ。


「入りましょうか、ハンス様」

「そうだね」


 扉の奥は、ひんやりとした空気に満ちていた。


 奥へ進むと、そこには巨大な円形の部屋が広がっており、床には緻密に描かれた魔法陣が刻まれている。


 魔法陣は淡い光を放ち、リサたちの影を幽玄に揺らしている。光はまるで心臓の鼓動のように静かに脈動していた。


「これに乗れば私は日本へ帰れるのですね……」

「刻まれている魔法陣は転移の呪文だ。日記の内容も加味すると、きっと君の故郷に飛べるはずだ」


 その言葉を聞き、リサの表情に安心と少しの寂しさが入り混じる。


「では……これでサヨナラですね」

「寂しくなるね……」


 ハクはリサの腕の中で「にゃ……」と名残惜しげに鳴く。現代日本に魔物であるハクは連れていけない。ここでお別れだった。


「ハク様を頼みます」

「僕が責任を持って育てるよ」

「ハンス様なら安心して任せられます」


 ハクを手渡すと、寂しそうな目を向けられる。胸が締め付けられるが、グッと我慢する。


「リサと一緒の毎日は……本当に楽しかったよ。森を歩き、火を起こし、狩りをして……

無人島の日々は、僕にとって人生で最も幸福な時間だった」

「私もです。私も……幸せでした……」


 ハンスは目を細めて、そっとリサの肩に手を置く。


「君は本当にすごい人だ。僕がこれまで出会った誰よりも、強くて、優しくて、諦めない……心から尊敬できる人だった……」


 その言葉はリサの胸の奥深くまで響く。


 瞳がわずかに潤み、今にも涙が零れ落ちそうになるが、リサは必死に耐える。


(最後くらいは笑顔でお別れしたいですからね……)


 リサの微笑みはどこか儚く、しかし確かな強さに満ちていた。


 やがて、ゆっくりと魔法陣の中央へと歩み出す。


(さよなら、ハンス様、ハク様)


 心の中でそう呟いた。まさにそのときだ。


「ハンス様、いらっしゃいませんか!」


 必死な叫び声が神殿の外から響く。二人は驚きで、顔を見合わせる。


「人の声でしたね」

「しかも聞き覚えのある声だ」


 リサたちは神殿の外へと駆け出す。分厚い扉を押し開けた瞬間、砂浜の方角から魔法で増幅された声がはっきりと届く。


「ハンス様、あなたをご迎えに参りました!」


 魔法で音量を高めたと思われる緊急の呼びかけに、ハンスは状況を理解する。


「砂浜から呼びかけているようですね」

「だね。きっと船もある。これで僕も領地に帰れるよ」

「砂浜まで私もご一緒します」

「いいのかい?」

「見送られるより見送る方が好きですから」


 二人は微笑み合うと、森の小道を抜けて、声のする方角へと向かう。


 やがて森を抜け、白い砂浜へと出ると、そこには甲冑の騎士たちの一団が集まっていた。海風にたなびく公爵旗が掲げる彼らの傍には、堂々たる大型の帆船も停泊している。


「ハンス様、わ、私です! 騎士団長のクルツです!」


 一人の端正な顔立ちの騎士が飛び出してくる。鎧の金属音を鳴らしながら、ハンスの元へと駆け寄ると、安堵の笑みを浮かべた。


「やはり……やはりご無事でしたか!」


 クルツの声がわずかに震えていた。それほどまでに主君の無事が嬉しかったのだ。


「心配をかけたようだね」

「とんでもございません。私はハンス様に忠義を誓った騎士。主のために尽くすのは当然のことですから」


 胸に手を当てて背筋を伸ばすクルツの瞳は忠臣のそれだった。表情には喜びと安堵の色が混じっていたが、すぐに緊張した面持ちに変わる。


「まずは現状をご報告させていただきます。ハンス様が不在の間、領地では大きな混乱がありました。叔父上ベルナトス様が好き放題に振る舞い、民に重税を課したのです」

「だから僕が邪魔で暗殺者を送り込んできたんだね」

「ですが、それが墓穴となりました。領主代行の地位を失い、エリザベート嬢と共に投獄されています。あとはハンス様さえご帰還されれば、すべての秩序は元に戻ります」


 少し離れた場所でリサは会話を聞きながら思わず笑みを溢す。


(ハンス様は部下の人たちからも愛されているのですね)


 心の中で彼に賞賛を送ると、そんなリサの存在に気付いたクルツがふと視線を向ける。


「そういえば……こちらの方は?」

「リサだ。過酷な無人島の生活で何度も助けてくれた命の恩人だよ。彼女がいなければ今の私はいない」


 クルツは驚きに目を見開くと、すぐにリサの前へ進み出る。


「我が主をお助けいただき、誠にありがとうございました。この恩義は決して忘れません」

「いえ、助けていただいたのは私もですから」


 クルツは立ち上がり、少し考えるように視線を落とした後、ゆっくりと顔を上げる。


「領地に戻られた暁には、改めて正式に感謝の機会を設けさせてください。貴女のご尽力に相応の礼を――」

「クルツ、駄目だ。それはできない」


 ハンスがクルツの言葉に口を挟む。そして毅然と首を横に振った。


「リサとはこれでお別れなんだ。私は公爵として生き、彼女は故郷に帰る。再び同じ道を歩くことはない」


 その瞬間、リサの胸の奥にずしりとした痛みが広がる。


(本当に……これでお別れなんですね……)


 潮風が二人の間を吹き抜け、波の音だけが耳に届く。


 ハンスの横顔はどこか寂しげで、それでも毅然としていた。リサはその表情を見つめながら、名残惜しさと感謝の両方で胸がいっぱいになる。


(私もハンス様もそれぞれの人生があるんです。だから、どんなに後ろ髪を引かれても……)


 やがてリサは顔を上げ、決意を宿した瞳でハンスを見つめる。そして静かに、だが確かな足取りで神殿のある森の方へと歩き始めた。


「リサ!」


 背中に、低く絞り出すような声が届く。リサは驚きと戸惑いの表情を浮かべながら、振り返った。


「どうかしましたか?」

「その……」


 ハンスは口を開くが、言葉が続かない。唇を噛み、目を伏せたまま黙り込む。しばらく待つと、かすかに震える声が彼女の耳に届く。


「……僕に、付いてきて欲しい」

「え……」

「勝手な願いだって分かっている。我儘だって理解している……でも……僕は君に傍にいて欲しいんだ……」

「ハンス様……」


 精一杯の勇気を振り絞ったのだろう。ハンスは年相応の少年らしく手を震わせていた。


 リサは波の音に耳を傾けながら目を閉じる。


「私は故郷に戻って慰謝料でバカンスを楽しむ予定でした。青い海と白い砂浜、朝は遅くまで寝て、昼は泳いで、夜は美味しいご飯を食べる……それが夢でした」

「リサ……」

「ですが……この島で過ごした日々は、南の島でのバカンスそのものでした。私は十分に堪能できましたから。次は大切な人と共に生きたい。そう思うんです」

「じゃあ……」

「これからもよろしくお願いしますね、ハンス様」


 ハンスは驚きの後、歓喜で笑みを零す。リサもまた柔和に微笑んだ。


 彼女は自らの意思で場所ではなく、共に歩むべき人を選んだ。転生幼女は保護した公爵と共にこれからも幸福な人生を歩むのだった。



最後まで読んでいただき、ありがとうございました

これにて完結です!

ここまで頑張れたのも読者の皆様のおかげです!!


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この物語の続編を強く望みます。そこからの新たな展開ははたしてどうなるのでしょうか?
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