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幕間 ~『破滅する叔父と婚約者』~


 厚い雲に覆われた午後、グレムート城の一室。ベルナトスの執務室には重苦しい沈黙が漂っていた。


 高い天井、重厚なカーテン、黒檀の執務机の上には未開封の文書が乱雑に積み上げられている。


 窓の外では冷たい風が吹き荒れ、ガラス窓がかすかに軋んでいる。


「クソッ!」


 ベルナトスは苛立ちで椅子を勢いよく蹴り飛ばす。硬い音を立てて椅子が転がり、執務室の床に無惨に横たわる。


「何が任せておけだ! 暗殺に失敗しておるではないか!」


 咆哮のような声が広い部屋に響き渡る。暗殺に成功したら風の魔法で知らせる約束になっていたが、もう日付を何日も過ぎているのに届く気配がない。


「まずい……まずいぞ……」


 低く呻きながら室内を落ち着きなく歩き回る。靴音だけが冷たい執務室に虚しく響く。


「もし……もし奴が生き延びて正式に領主として戻ったら……私が暗殺命令を出したことが露呈する。そうなれば私は……間違いなく処刑される!」


 指の爪が掌に食い込むほどに拳を握りしめる。額に脂汗が滲む中、ふと後方から、やわらかな気配がした。


「ふゎぁ……」


 振り返ると、部屋の隅に置かれた大きなソファから、エリザベートが体を起こす。緩やかにウェーブした髪を肩に落とし、シルクのドレスの裾を直しながら、眠たげな目を擦る。


「……起きていたのか?」

「あんなに大きな声を出せば、誰だって目を覚ましますわ」


 エリザベートは涼しい顔で言いながら、ソファの肘掛けに腕を乗せ、優雅に脚を組み替える。


「それで……これからどうしますの?」


 その口調には、焦りどころかむしろ余裕すら滲んでいた。ベルナトスは苛立ちを押し殺すように唇を引き結び、睨みつける。


「随分と余裕だな……ハンスが戻ってくれば、貴様も破滅なのだぞ」

「あなたと違って、冷静なだけですわ」

「ふん、まぁいい。話を聞いていたのだろう。人に質問するより前に貴様も案を出せ」

「そうですわね……なら、もう一度、別の暗殺者を送るのはどうかしら」


 失敗しても二の矢、三の矢を繋げればいい。そう主張するが、ベルナトスは机を強く叩く。


「駄目だ。騎士団がこちらの動きを探っている。改めて暗殺を依頼すれば、その内容が露呈する可能性が高い」

「でも何もしなくても破滅ですわよ」

「依頼できない理由はそれだけではない。騎士団は商人ギルドを動かし、無人島に救助を送る準備を整えている。救助の船は、明日出航する予定だそうだ」

「他の暗殺者を送ろうにも、もう間に合いませんわね」

「加えて、あいつ以上の手練れもいない。結果は見えている。私には打てる手がないのだ……」


 ベルナトスの嘆きを耳にして、エリザベートはふっと小さく笑う。


「叔父様、ピンチですわね」

「何度もそう言っているだろう!」


 挑発するような言葉に、ベルナトスは怒声を返す。だがそれでもエリザベートは微笑を崩さない。


「ふふふ。なら、仕方ありませんわね」


 エリザベートは優雅に立ち上がると、部屋の隅にある扉に手をかける。軋む音とともに扉を開くと、そこには重厚な鎧をまとった男たちが立っていた。


 騎士団である。


 その先頭に立つ騎士団長のクルツが執務室へと踏み込む。


「クルツ……どうして貴様がここに……」


 ベルナトスが顔を引きつらせる間もなく、クルツは冷たい声で告げる。


「話はすべて聞かせてもらいました」

「ご、誤解だ……何かの間違いだ……」

「無人島にいるハンス様に刺客を送り込んだ。あなた自身がそう言葉にしたはずですよ」


 ベルナトスは口を開くが言葉が続かない。反論しようにも話を聞かれていたのでは何も言い返せないからだ。


 執務室が緊張に包まれていく。そんな中、エリザベートは微笑みを浮かべながら、ソファから立ち上がる。


「叔父様の発言は私も聞きましたわ」

「エリザベート、裏切るのか!」


 ベルナトスは信じられないという顔で叫ぶ。だがエリザベートは微笑んだまま肩をすくめ、まるで軽くため息でも吐くように続ける。


「だって叔父様、今やすっかり落ち目ですもの。私は負け犬に味方するほど安い女ではありませんの」

「ということです。あなたを公爵子息の暗殺容疑で捕縛します」


 その言葉にベルナトスは目を見開き、唇を震わせる。


「な、何を言っている……私は領主代行だぞ。貴様に私を捕らえる権限などあるはずが……」


 ベルナトスが言葉を終えるより早く、クルツの動きが閃光のように走る。彼の腕を関節ごと封じるように捻り、背後から地面に押し付ける。


「痛ッ……や、やめろ……私を誰だと……」

「あなたはもう領主代行ではありません」

「な、なんだとっ!」

「王室より正式に代行権限の停止命令が下っていますから」

「ありえない! なぜ王室が……」

「実はあなたがハンス様に暗殺者を送ったことは、事前にエリザベート嬢から聞いていたのです。おかげで王室を動かせました」

「エリザベートが……」


 囁くような声と共に怒りの視線をエリザベートに向ける。その表情には僅かな疑問も浮かんでいた。


「なぜだ……どうして私を裏切った?」

「ふふ、叔父様の苛立ち具合から、刺客が失敗したのは察していましたから。つまりハンス様はまだ健在。いずれ権力を奪われます。そうなれば叔父様はおしまい。あなたなんて、領主代行の地位がなければ、ただの哀れなおじさんですもの」

「ク、クソオオォォッ……!」


 凍てついた刃のような言葉がベルナトスの胸を貫き、重く苦しげな泣き声が、広い執務室の高い天井で反響する。


 そんな中、エリザベートは一歩クルツに近づき、まるで何事もなかったかのように微笑む。


「騎士団長。これで私とハンス様が寄りを戻すのを手伝ってくださいますわね?」


 その場にそぐわない甘い声音。だがクルツの視線は鋭い。しばしの沈黙ののち、静かに問いかける。


「その前に一つ聞きかせていただきたい。あなたも暗殺者を送り込むことに同意していたのですか?」


 エリザベートの瞳がわずかに揺らぐ。


「……どういう意味かしら?」

「先ほどの話を聞いていた限りでは、あなたは積極的に暗殺を提案していたように見えましたから」


 エリザベートはしばし無言のまま顔を伏せ、やがて小さくため息をつく。


「……演技ですわ。信頼を得るために協力者として振る舞いましたの」


 その言葉に真っ先に反応したのはベルナトスだった。彼は厭らしい笑みを浮かべながら、否定の声を上げる。


「嘘だ。エリザベートは私の共犯だ」

「叔父様、なにを!」

「むしろハンス暗殺はエリザベートの提案だ。私はその提案に従ったにすぎない」

「う、嘘ですわ!」

「本当だ。疑うなら嘘発見の魔法をかけてもらってもいい」

「――ッ」


 本人の同意がなければ発動できない嘘発見魔法。その受け入れを認めても真実だと主張するベルナトスの言葉には信憑性があった。


「エリザベート嬢、残念ですが、あなたも共犯として拘束させていただきます」


 クルツはすぐに後ろの部下に視線を向ける。その瞬間、エリザベートの顔から余裕の色が消えた。


「ちょっと待ってくださいまし! 誰のおかげで、叔父様から代行の地位を奪えたと思ってますの!」

「自己保身のために協力しただけでしょう」

「そ、それは……」


 騎士団員がエリザベートの腕を取る。彼女は必死にもがくが、あっさりと拘束される。


「放して、私は貴族よ! 誰に向かって……」

「連れて行け」


 だが抵抗もむなしく、彼女は牢屋に連行される。その光景を見届けながら、クルツはベルナトスに目を向けた。


「あなたも大人しく付いてきてくれますよね」

「……いいだろう」


 ゆっくりと立ち上がると、クルツはベルナトスを騎士団員に引き渡す。だが扉に向かう直前、不意に振り返った彼は、クルツを睨みつける。


「覚えておけ。もしハンスが戻らなければ……いずれ私の天下は再び訪れる。なにせ領内に血を継ぐ者が他にいないからな。その時は貴様らを地獄の底まで引きずり込んでやる。絶対にな!」


 狂気じみた声を残し、ベルナトスは騎士団員によって牢屋へと連行されていく。重い鉄扉の閉じられる音が廊下に響き渡る。


 しばらく静寂に包まれた後、やがて重々しい空気を壊すように執務室の扉がノックされる。


 クルツが「入れ」と短く声をかけると、若い騎士が軽く息を弾ませながら姿を現した。


「失礼します。ただ今、捜索船の準備が完了しました。予定通り、明朝には出航可能です」

「よくやった。では、行こう。ハンス様を迎えに」


 若い騎士は背筋を伸ばし、胸に手を当てる。


 クルツの瞳には新たな決意の光が宿り、部下たちへ指示を飛ばすために執務室を後にするのだった。


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