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第一章 ~『転生したら子供になってました』~


 ぼんやりとした意識の中で、リサはゆっくりと目を開ける。


 天井に設置された蛍光灯は消えており、辛うじて割れた窓から差し込む自然光が、ぼんやりと機内を照らしている。


 潮風の湿った空気が鼻をつく。頭がずきずきと痛み、身体は鉛のように重かった。


(飛行機が不時着したんでしたね……)


 震える手で座席の肘掛けを掴み、リサは痛む身体を無理に引き起こす。金属の軋む音が、やけに耳に響いた。


 周囲を見渡すと、座席の列が無残に歪み、通路には荷物が散乱している。だが人影はどこにもない。


(私だけ……でも、どうして……)


 外に助けを呼びに行ったのか、それとも何か他の事情があるのか。現状に違和感を覚えていると、もう一つの異変に気づく。


 着ていたはずのシャツが肩から滑り落ち、胸元までだらしなく垂れ下がっていたのだ。デニムパンツは腰で止まらず、ずるずると下がり、裸足になった足には脱げかけのスニーカーが引っかかっている。


「なに、これ……」


 リサは震える指でポケットからスマートフォンを取り出す。ホームボタンを押し、インカメラを起動すると、画面に映ったのは金髪碧眼の幼い少女だった。


 髪は黄金を溶かしたような輝きを放ち、瞳は深い湖のような青を湛えている。小さな顔に、あどけなさを残す少女。だがそれは紛れもなく、リサ自身だった。


「嘘……」


 混乱と恐怖で胸が押し潰されそうになり、小さく震える声が漏れる。


 だが、こんな時こそ冷静でいなければならない。


 リサは必死に深呼吸を繰り返し、頭を整理する。今は自分がどうなったのかを追求するより、現実的な問題に対処するべきだ。


(服を……なんとかしないと……)


 このままでは動くことさえ難しい。リサは周囲を見回し、子供服と靴が落ちているのを見つける。先ほどまで泣いていた子供の持ち物だろう。


 リサはためらいながらも、今は非常事態だからと自分に言い聞かせて、服と靴を拝借する。袖と足を通すと、驚くほどぴったりだったが、勝手に借りた罪悪感は消えない。


 せめてもの償いに、リサは財布から一万円札を取り出し、座席の上に置いた。


「いつか必ず返します。本当にごめんなさい」


 着替えを終えたリサはスマートフォンを再び手に取る。助けを呼べるかもしれないと、通信状態を確認するが圏外になっている。通話も、メッセージも、位置情報も、すべてが使用不能だった。


(救助を呼ぶのは難しそうですね……)


 リサは唇を噛んで、込み上げてくる涙を必死でこらえる。


 こんな時でも、自暴自棄になってはいけない。


 意を決し、非常口へ向かうと、ドアの外には絵に描いたような絶景が広がっていた。


 澄んだ空にきらめく白砂のビーチ、そしてエメラルドグリーンに輝く海。視線の先には濃い緑に覆われたジャングルも波打っている。


 リゾート地のように美しい景色だがリサの心は微塵も踊らない。金髪碧眼の幼女となり、周囲に誰もいない異様な状況。圏外で連絡も取れない絶望的な環境でバカンスを楽しめるはずもなかった。


(なんとかして……日本に帰らないと……)


 リサは機体の下に降り立ち、砂浜を歩く。その時、奇妙な異変に気づく。


(足跡がありませんね……)


 飛行機がここに不時着したのなら、他の乗客たちの歩いた痕跡があって然るべきだ。だがこの場所にはリサの小さな足跡以外、何一つ残っていない。


(他の乗客たちはいったいどこへ……)


 まるで最初から誰も存在しなかったかのような状況に、リサは震える拳をぎゅっと握りしめる。


(もしかしたら私は長い時間、眠っていたのでしょうか……)


 何週間も前に他の乗客たちが救助隊に救出され、自分だけが何らかの理由で取り残されたとしたら。


 あり得ない話ではない。ただ釈然としない点も残る。どうして飛行機の残骸がそのままなのか。そして自分はなぜ幼女になってしまったのか。


(考えても答えはでませんね。まずは生き延びることを優先しましょう)


 幸いにも、飛行機の機体はほぼ原形をとどめている。外板はところどころ剥がれ、窓ガラスも割れていたが、骨組みはしっかりしているため、雨風をしのぐ寝床としては、十分過ぎるほどだ。


(ですがあまり楽観はできませんね……)


 救助がすぐに来るとは限らないし、もしかしたら地図にも載っていない孤島かもしれない。


 リサが空を仰ぐと、太陽は真上よりやや傾き始めているが、夕方までにはまだ数時間ある。


(森を、見ておくとしましょう……)


 体力があるうちに行動する。それはサバイバルの原則だ。白い砂浜を渡り、緑の生い茂るジャングルへと向かう。


 森の入口に立ったとき、リサは改めて息を呑む。そこはまるで異世界のような光景が広がっていた。


 巨大な葉を持つ木々。絡み合う蔓植物。足元を覆う見たことのない鮮やかな苔。湿った空気には、甘い花の香りと腐葉土の匂いが混ざっていた。


 耳を澄ますと、遠くで鳥のような鳴き声と、何か大きな動物の唸るような声が聞こえてくる。


「大丈夫、大丈夫……」


 自分に言い聞かせながら、リサは一歩、森の中へと足を踏み出す。地面は柔らかく、場所によってはぬかるんでいる。小枝を踏むたびに、パキリと小さな音が響いた。


 注意深く歩きながら、リサは周囲を観察する。


 目につくのは、赤い実をつけた低木や、鮮やかな黄色の花。だがそれらが食べられるかどうかは判別できない。下手に手を出せば、毒にやられる危険もある。


 森の奥へ進むほど、光は遮られ、足元が暗くなっていく。ふと、何かが木陰を走り抜ける気配を感じ、リサはびくりと肩を跳ねさせた。


(何かいますね……野生動物でしょうか……)


 緊張で手のひらに汗が滲む。リサはそっと足音を殺し、葉の陰に身を隠しながら気配がする方向に視線を向ける。


(――――ッ)


 思わず声を発しそうになるほど巨大な銀の虎が、黒い牛の怪物と対峙していた。


 虎はサーベルタイガーのような鋭い牙を持ち、しなやかな筋肉を波打たせながら、牛のような怪物を威嚇している。


 怪物の方も負けていない。黒光りする皮膚と赤く光る瞳は、普通の動物と明らかに異なる。


 二匹はにらみ合った後、同時に飛びかかった。衝突の衝撃で地面が震え、リサは思わず身を縮める。


 虎は素早く怪物の脇腹に爪を立て、怪物は角を突き立てようとする。息を呑む攻防が続いた後、虎が大きく口を開いた。


 その瞬間、轟音とともに、虎の口から火炎が噴き出す。リサは思わず両手で口を押さえた。目の前で起こっている出来事が信じられなかったからだ。


(火を……吹いた……)


 炎に包まれた牛の怪物は悲鳴を上げ、のたうち回ったが、数秒後には力尽き、黒焦げになって地面に崩れ落ちる。


 辺りに肉の焦げる匂いが立ち込める中、リサは震えながらじっと息を潜めた。


(もしかして……私はファンタジーの世界に迷い込んだのでしょうか?)


 現実の虎が火を吹くはずがない。さらに幼女の姿に変貌していたのも、異世界に飛ばされたのだとしたら説明がつく。


(いや、こんなことを考えている場合じゃないですね! いますぐ逃げないと……)


 虎は満足げに牛の亡骸に近づき、焼けた肉を前足で転がしながら、豪快にかぶりついている。むしゃむしゃという咀嚼音を聞きながら、リサはゆっくりと後退る。


(どうか……私には気づかないで……)


 だが、そんな願いも虚しく、虎は突然に顔を上げた。銀色の瞳がリサの隠れている場所をまっすぐに捉える。


「――――ッ」


 リサは反射的に後ずさり、足元の小枝を踏んでしまう。音が鳴り、存在に気づかれてしまうが、虎は動かない。再び牛の肉を無心で食べ始めた。より美味しそうな方を優先したのだろう。


(助かったのですね……)


 機を見て、森の中を一目散に走り出す。枝が顔をかすめ、蔓が足に絡まる。しかし、そんなことに構ってはいられない。


(この森は……危険すぎます……)


 リサは何度も転びそうになりながら、必死で森を駆け抜ける。背後で虎の咀嚼音がまだ響いているが、追ってくる気配はない。


 心臓が破裂しそうなほど脈打ちながら、必死で森の中を進む。ようやく光が差し込む場所が見えてきた。


 白い砂浜。リサにとっての唯一の安全圏。


 リサは最後の力を振り絞り、砂浜に飛び出すと、膝から崩れ落ちる。荒い呼吸を繰り返しながら、震える手で顔を覆う。


(こ、怖かった……人生で一番、怖かった……)


 だがそれでも生きている。深呼吸を何度も繰り返したリサは立ち上がり、波打ち際に、何かが打ち上げられているのを見つける。波が引くたびに、その物体は小さく動いていた。


 最初は漂流した流木かと疑ったが、目を凝らして見るうちに、リサの表情が驚愕に変わる。それが人間だと気づき、無意識の内に駆け寄った。


 それは少年だった。海水で濡れてもなお美しい金髪の持ち主で、まるで絵画から抜け出したかのような整った顔立ちをしていた。肌は青白く、波に洗われるたびに冷たさを増している。


「大丈夫ですか? 意識はありますか?」


 肩を揺らしてみるが反応はない。焦りを感じながらも、リサは彼の胸に耳を当てる。鼓動の音はしっかりと耳に届いた。


(まだ……生きている……)


 安堵と同時に、すぐに心臓マッサージを開始する。小さな身体で必死に体重をかけ、押し込んでいく。


(意識が戻りませんし、やるしかありませんね)


 一瞬の躊躇の後、リサは覚悟を決めて、人工呼吸を行う。自分の小さな唇を彼の唇に重ね、空気を送り込む。


 少年の胸がわずかに膨らむのを見て、リサはさらに続ける。数度目の人工呼吸を終えたその時、突然、彼の身体がびくりと跳ねた。


「ごぼっ、ごぼっ……」


 彼は苦しげに水を吐き出し、激しく咳き込む。しばらく荒い呼吸を繰り返していたが、やがて重そうな瞼をゆっくりと持ち上げ、赤い瞳がぼんやりとリサを捉える。


「……君は?」


 かすれた声で、少年は弱々しく問う。その疑問にリサは笑みで答えた。


「私はリサ。あなたと同じ、遭難者です」


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