第二章 ~『捕まえた暗殺者』~
夕暮れの光が、森と海の境界をゆっくりと朱色に染める頃、リサたちは廃墟と化した集落の探索を終えた。
崩れた小屋の残骸、散乱した日用品など一通り調べたが、日記以外に新たな発見はなかった。
「でもまぁ、神殿の扉を開ける条件が判明したのは大きな収穫だよ」
「ですね。ただ……」
「僕を狙った犯人の拠点は分からなかったね」
「そちらも発見できれば文句なしだったのですが……」
少なくとも集落の中には発見できなかった。リサはもう一度、背後の森を一瞥する。風に揺れる枝の影が不規則に揺れ、夕闇がじわりと森の奥から押し寄せている。
(ここからそう遠くない場所にあるなら、もしかしたら森の中に……)
そんな考えが頭に浮かんだ直後だ。ハクが耳をぴんと立て、尾をわずかに膨らませる。背中の毛が逆立ち、小さな唸り声をあげる。
「ハク様、魔物ですか?」
リサの問いかけに、ハクは首を横に振る。
「では、以前、ハンス様を狙った犯人ですか?」
今度の問いかけに、ハクは「にゃにゃ」と小さく喉を鳴らす。
(ハク様が犯人の気配を覚えていたとしたら……)
その警戒は信じるに値する。ハンスと目を合わせると、彼にも意図が伝わったのか頷きが返ってくる。
「我々を狙っているのでしょうか?」
「もしそうならハクの警戒する様子を見られているはずだ。だが敵は撤退していない。つまり僕らの存在に気づいていないんだ」
拠点が近くにあるなら、偶然、通りがかったのかもしれない。リサは深く息を吸い、森の奥へと視線を向ける。
「これはチャンスです。私たちで犯人を捕らえましょう」
先制できる貴重な機会を逃す手はない。ハクに先導される形で、リサたちは森の中に足を踏み入れる。
枝葉のざわめきが響く中、音を鳴らさないように注意しながらゆっくり進む。やがてハクが立ち止まり、前方の暗がりをじっと見据える。
木立の向こう、低く身をかがめながら動く人影を見つける。
(いました! 服の色が緑から黒に変わっていますが、間違いありません。ハンス様を狙った犯人です!)
リサは反射的にハンスに目配せすると、彼は即座に状況を理解し、片膝をついて地面にそっと手を当てる。
「逃がさない……」
彼の掌から赤い魔力の波が地中へと流れ込む。
次の瞬間、地面のあちこちから炎が吹き出す。森の小道から逃げ場を塞ぐように炎の壁を作り出していく。
暗殺者は一瞬ひるみ、踵を返すが、すでに退路は炎に塞がれていた。
「これでもう逃げ場はないね」
ハンスが暗殺者の前に姿を現す。追い詰められた暗殺者は最後の抵抗とばかりに、手から鋭い水の刃を放つが、彼は反撃さえも予測していた。
即座に腕を振り上げ、炎の障壁を展開。水と火がぶつかり、蒸気と熱風があたりに吹き荒れた。
「無駄だ」
蒸気が晴れた瞬間、ハンスは相手に接近すると、暗殺者の利き腕の手首を捕らえる。相手が必死に体勢を変えようとした瞬間、ハンスは肘と肩を極めるように関節を取ると地面に押し倒す。
暗殺者は体を不自然な形にねじられ、苦痛にうめき声をあげる。
「観念しろ。もう逃げられない」
リサが急いで駆け寄り、男の顔を確認する。彫りの深い顔つきは現地人のものだ。
「あなた、日本人ではありませんよね?」
「……日本?」
「転生したわけでもないようですね」
リサのように金髪蒼眼で生まれ変わった可能性を考慮したが、反応から察するに違うと分かる。
「この人、ハンス様のご知り合いですか?」
「いいや、初めて見る顔だ。でも僕を狙った理由は分かる。叔父に頼まれたんだよね?」
ハンスの問いに犯人の目がわずかに見開かれる。
「その反応からすると正解のようだね」
「ああ。その予想は正しい。暗殺はベルナトス様の依頼によるものだ」
「やっぱりね」
「貴様はすでに死亡したと見做され、ベルナトス様が領主を代行している。エリザベート様ともご結婚され、領地運営は円滑に進んでいる。今更、生きて帰ってこられると迷惑なのだ」
「エリザベートが……」
「彼女の幸せのためにも、貴様は命を絶つべきだ。それが理解できたなら私を解放しろ。首を刎ねてやる」
リサの背筋に冷たいものが走る。拘束された状態にもかかわらず、暗殺者の瞳は一切の迷いもなく、ただ任務の完遂だけを願っていた。
「エリザベートは幸せなのかい?」
「ふん、ベルナトス様の寵愛を受け、贅沢な日々を過ごしている。貴様と婚約していた頃とは違ってな」
「そうか……」
ハンスの声には怒りも悲しみもない。冷静な表情で暗殺者をジッと見据える。
「エリザベートは僕より金を選んだんだね……彼女らしいな……でも、おかげで嘘が見抜けたよ」
「嘘だと?」
「領地経営が上手くいっている話さ。あの叔父が心を入れ替えたなら、ありえたかもしれない。だけどエリザベートに贅沢をさせているなら、きっと民から重税を吸い上げているはずだ。違うかい?」
暗殺者は口を開きかけたが、何も言えなくなる。沈黙。それこそが、図星の証だ。
「君のおかげで僕は死ねなくなった。領地に戻り、二人を成敗する。民のためにも必ず生きて帰ると誓うよ」
「貴様っ!」
出し抜かれたことに怒りを顕にする暗殺者は藻掻く。だが関節技で動きを封じられているため、身動きは取れない。
「ところで……君が乗ってきた船があるはずだ。どこにある?」
「誰が教えるものか!」
「……無理矢理に吐かせることもできるんだよ」
「ふん、こちらにもプライドがある。教えるくらいなら死を選ぶだけだ」
重苦しい雰囲気が流れる。その空気を打ち壊すように、リサが前に出て、ハクの背に手を置く。
「問題ありません。ハク様なら匂いを辿れます」
「本当かい!」
「外套の色が緑から黒に変わっていますから。きっと海に飛び込んだときに着替えたのでしょうね。拠点で着替えたなら、そこに服もあるはずですし、ハク様の鼻ならそこまで案内してくれます」
船の在処が露呈するかもしれないと知り、暗殺者の表情が青ざめる。そこに追撃を加えるようにハンスは宣告する。
「君には気絶してもらう。もちろん僕が領地に戻ったら、正式に救助隊を送るから安心して欲しい。君は法の裁きで罪を償うべきだからね」
「クソォォッ……!」
叫びが森の中で虚しく木霊する。次の瞬間、ハンスは首筋に手刀を叩き込み、暗殺者の意識を刈り取った。倒れた身体を残して、森には再び静寂が残る。
「ハク様、お願いします」
「にゃにゃ」
リサに頼まれ、ハクは倒れた暗殺者の服に鼻先を寄せ、じっと匂いを嗅ぎ始める。ひくひくと鼻を動かしたあと、迷いなく森の奥へと歩き出す。
入り組んだ木の根や湿った苔が靴底を滑らせる。だが動きは止めない。確かな足取りで進み続け、やがて森が途切れた先、目の前に広がる入り江へと辿り着いた。
「ここが……」
潮の香りとともに広がる青い海。穏やかに寄せては返す波。その奥、岩陰に隠れるようにして一艘の帆船が静かに停泊していた。
「予想通りでしたね」
「間違いない。船だ……」
「これで無人島から脱出できますね」
リサの頬には自然と笑みが浮かび、ハンスも深く頷く。ハクが「にゃあ」と満足そうに鳴き、リサの足元をくるりと回る。静かな入り江の波音が、確かな達成感を与えてくれるのだった。




