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第二章 ~『ハンスを狙った暗殺者』~


 翌朝、朝露が残る森の中を、リサたちは慎重に歩いていた。


 空はまだ白く、木々の間から差し込む光が、葉の縁に輝きを与えている。足元には湿った落ち葉が重なり、踏みしめるたびに音が鳴った。


「もう一つの集落は、前回見つけた場所とは、離れたところにあるはずです」


 リサが呟くように口にする。地図も標識もないこの島で、何を根拠にそう言えるのか。ハンスが問いかけるより早く、リサはその疑問に答える。


「日記の内容から推測したんです。探索派と安全派が争っていたなら、物理的に距離をとるはず。顔を合わせるたびに衝突が起きるなら、わざわざ近くに集落は作らないでしょうから」

「なるほどね」

「地形的には斜面の向こう、あの丘陵地帯が怪しいと思います」


 二人は視線を交わし、互いに頷いて足を速める。神経を尖らせ、少しでも人工的な痕跡がないか目を凝らす。


 ハクもまた嗅覚で周囲を探る。草や土の匂いの中から異物の気配を嗅ぎ取ろうと、ぴくぴくと鼻を動かす。


 そのときだ。乾いた風を裂くような音が、すぐ隣で弾ける。


「……っ!」


 振り返ると、ハンスが肩を押さえてその場に膝をついていた。リサの瞳が鋭く動き、すぐに肩口に突き立った短い矢を視認する。


「ハンス様っ!」


 鋭い矢がハンスの肩を貫き、真紅の血がじわりと衣服を染める。ハンスは苦悶の表情を浮かべながらも、倒れることなく必死に踏みとどまった。


「この矢……きっとプロだ……」


 矢の射角、速さ、距離感から、ハンスは素人の手ではないと結論を下す。


「矢を抜きます。痛いですよ」

「頼む……うぐっ……」


 リサが矢を引き抜き、ハンスの傷を確認する。わずかに濁った血とともに、皮膚のまわりが赤く腫れて変色している。矢尻には黒みがかった光沢が輝いていた。


(やはり毒が塗られていましたね!)


 心臓や頭を狙わなかった理由は、単に命中率の問題だけでなく、毒という保険があるからだ。


「ごめんなさい、我慢してくださいね!」


 リサはためらわず、傷口に口を当てる。舌に広がる金属の味と、わずかな痺れ。繰り返し吸い出しては吐き、傷口から毒を排出していく。


 次に指先に淡い炎を灯し、ハンスの肩に狙いを定める。


「うぐっ……」


 炎が皮膚を焼き、焦げた匂いが鼻を突く。毒の広がりを防ぐため、傷口を焼き塞いでいく。


(ひとまず応急処置は終わりました……)


 ハンスの顔は青ざめているが意識はある。今すぐに命を落とすことはないだろう。


「ハク様、ハンス様を任せてもよいですか?」

「にゃにゃ」


 リサはすっと立ち上がり、森に向かって駆け出す。


 ハンスのことも心配だが、暗殺者を捕まえなければ、また狙われる羽目になる。


 魔力を脚へ集中したことで、体はまるで風に乗ったように速い。木々の間を滑り、矢の放たれた方向を目指して疾走すると、わずかに開けた林の奥、緩やかな斜面の中腹に、何かが動いた影を見つける。


(見つけた!)


 深緑のローブに身を包み、身体の輪郭は木々の緑に溶け込んでいる。普通の目ではまず見つからないような迷彩効果を持った服装だが、リサの視線は、その細かな違和感を逃さなかった。


(風景と同化していますが、あれは人間で間違いありません)


 木の幹をすり抜け、枝葉をはねのけて追いかける。だが次の瞬間、空気が裂ける音と共に、水の弾丸が飛んできた。


(魔法!)


 リサは咄嗟に身をひねる。水弾がすぐ脇の樹皮に命中し、鈍い破裂音と共に、水しぶきが四方に散る。木の幹には深く抉れた跡が残った。


(殺す気で撃ってきてる……ですが!)


 リサは怯まない。再び脚に魔力を流し込んで加速する。


 逃げる背中が、次第に近づいてくる。


 だが人影は森を抜けると、振り返ることなく崖から飛び降りる。


「えっ!」


 リサは止まる間もなく崖の縁へと駆け寄る。身を乗り出し、崖下に視線を向けると、十数メートルはある高さの岩場の下で、荒々しく波打つ海が広がっていた。


(ここから飛び込んだ……)


 水面に浮かび上がる気配はない。潮の流れは速く、岩の配置も不規則で、即死もあり得る飛び込みだ。


 暗殺者の姿を探すため海面を凝視する。


 意識を集中させていると、背後から足音が鳴る。


 リサが慌てて振り返ると、額に汗をにじませたハンスが、肩を押さえながら小走りに駆け寄ってくる。足元にはハクの姿もあった。


「ハンス様、お怪我は?」

「君の処置のおかげで少なくとも動くのに支障はない。助かったよ」

「私はただ最低限の治療をしただけですから……あまり無理はしないでくださいね」

「もちろんさ」


 ハンスはわずかに微笑む。ただ周囲への警戒だけは解かず、緊張感を保っていた。


「それで……僕を狙ってきた犯人は?」

「この崖から飛び降りました。緑の外套を着ていましたが、それ以外の情報は何もわかりません。顔も声も何もかもです」

「犯人の正体を探るのは難しそうだね……」

「あ、でも、水の魔法を使っていました」

「水の?」

「はい。逃走中に私に向けて水の弾丸を撃ってきたんです」

「魔法使いか……」

「只者ではないと思います。訓練を受けた者か、それともこの島で長く生き延びてきた漂流者か……どちらにしても強者です」


 波が岩を叩く音がする。二人の沈黙を縫うように、風が吹き抜けていった。


「ハンス様は犯人が生きていると思いますか?」

「間違いなくね。プロなら事前にこの崖から飛び降りることも逃走ルートの一つとして考えていただろうから」

「なるほど……」

「それに水魔法を使えるなら生き残れる術はある。なにせ極めれば、水中で呼吸もできるからね」


 リサは暗殺者を逃してしまったと知り、唇をわずかに引き結ぶ。


「でも、誰が僕を殺そうとしたんだろうね……すぐに思いつくのは、僕を疎ましく思っている叔父かな」

「ハンス様……」

「でも、命は取りとめた。今は、それでよしとしよう」


 リサは返す言葉を探しながら、そっと海に目を向むける。消えたはずの人影がまだどこかで見ているような気配を感じながら、息を飲むのだった。



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