1986年のアレックスキッド
あんたがたどこさ。どこでもいいさ。おれの勝手さ。それで両親が電報を打ってさ。モウ、ニドト、カエッテクルナ。上等さ。望むところさ。こっちから願い下げさ。二転三転流転の嵐さ。街角で見かけたあのこさ。似ててさ。妬いてさ。食ってかかってさ。冒頭のソナタはきみに捧げて、飲み下したのさカプセル。
暴れる欲望は抑えつけられるのを嫌う。おれが機械でスイッチでもあれば良かったのに。いますぐにでもバチンと切ってやるのに。私はもちろん貝になりたい。口を固く閉ざして砂の中に埋まっていたい。それで満足できれば最高だ。しかし海底にいながら、こうして書いて、今日も今日とて困り顔のあなたにご開帳だ。開き直るわけではないが、粋がっているわけでもないが、どうしてもたまに暴れたくなる。すべてを悪し様に罵りたくなる。すべての中にはおれだって入る。あいつも、こいつも、そいつも入る。おれと地球を繋ぐ一本のザイル。たまにひと思いに切り離してしまいたくなる。
きっとおれの身体はすごい勢いで回転しながら、地球から遠ざかっていく。落下か上昇か、そんなことはもうどっちでもいい。すでに目の前にはデカい地球がある。そいつを包み込むようにどこまでも続く漆黒がある。あまりにも小さい自分だからこそ感じることのできるデカさだ。信じられないくらいの大きさだ。それでも、やっぱりおれは対等な位置で相対しようとする。目の前の現象すべてにだ。
現象の中におれは入らない。あいつと、こいつと、そいつは入る。地球も太陽も宇宙も入る。おれは現象ではない。おれだけの目を通して見れば。
だが、おれ以外からすれば、おれだって現象だ。いつかは弾けるひとつのあぶくだ。そういう現象が無数に存在する。そういうことを考えると頭の歯車が狂い出す。回転が止まり、ひとところに留まる。滞りたいだけ滞ればいいと思う。それもまた、ひとつの現象。幻想のように現実感が急速に薄まり、落下か上昇か、そんなことはもうどうでもいい。この場所が海底なのか宇宙の果てか、どっちにしたって、息が詰まることに変わりはないんだ。
おれの代わりなど誰も務まらない。生まれ変わりなんてのも信じていない。変わることを恐れはしないが、変わりたいとも思わない。ある日突然、目の前の風景ががらりと変わってしまったとしても、おれはなんだかんだ一瞬で対応できそうな気がしている。しかも、おれはおれであるという強烈な自負を持ってだ。
対応できない場合だってあるかもしれない。もちろんそんなことだって今のうちから想定済みだ。そうなったら逃げるのさ。ひたすら逃げるぜスタコラサッサ。逃げ切れるかどうかはそこまで問題じゃない。逃げるべき時に咄嗟に逃げるという判断ができないような間抜けにはならんぜ、ということだ。
潜伏先が嗅ぎつけられた。追っ手が乱暴に上がり込んでくる。おれは子ども部屋の布団の中で息を潜めていた。なんとなく落ち着いていたし、なんとなくどうでもよかった。いつかはこんなことになる。当たり前のことのようにわかっていた。いつまでも逃げ切れるもんじゃない。そんなに世の中甘くない。特におれのようなやつに対しては当たりがきついんだから嫌になってしまう。弱い者イジメが大好きなクソ野郎ども。すぐに洗脳されて染まっちまう臆病者ども。おれのこの落ち着きっぷりを見ろ。隠れちゃいるが、震えちゃいないぜ。息ひとつ乱れていないぜ。そうだ。来いよ。近づいて来い……。
布団が剥ぎ取られた。そこには学生服姿でピストルを構えたおれがいるってわけだ。ニカッと笑っておれは目の前の野郎にピストルをぶっ放す。野郎、ふすまを破って吹っ飛んでいきやがった。ざまあないぜ。
人生で一度くらいはそんなふうに追い詰められてみたいもんだ。とかなんとか心にもないことを言っている。柄じゃないよ。トラブルもヴァイオレンスも大嫌いだ。死なないっていうならちょっと好きかも。でも、もういい。いらん、いらん。だっておれはやっぱり貝になりたいんだから。余計なことを言ったりされたりはもう沢山だ。
おれの峠はもうとっくに過ぎてるんだ。あとは転がり落ちていくだけ。必死こいて登る必要はもうない。慣性と感性に任せるだけさ。完成なんてとっくに諦めている。と言うよりも、最初からそんなもん望んじゃいなかった。おれが欲しいのはスプーン一杯の混沌だ。目には見えない混沌の種を文章領域にバラ撒いてやりたいんだ。混沌の比率がほんの少しでも増えていったら嬉しいな。
それがおれの動機だ。理解して欲しいなんて思っちゃいないさ。むしろ、尻尾を掴まれそうになったらすぐに煙に巻いてやろうって思っている。わかられるのは好みじゃない。共感なんてものをおれの鼻先に近づけて欲しくない。まったく恐ろしい。共感ほど信用できないものはないよ。
おれの疑問は、どうしてみんな簡単にわかってやろうとしてくるのか、そして、どうしてみんなわかって欲しいと望むのか? そんなもん無理に決まっているのに。
共感という病は至るところに根を張っている。わかってあげたくてたまらないやつら。おれを取り込もうとしてきやがる。用済みになったら吐き出して捨てちまうんだろう。カラッカラに干涸らびたおれの残りカスを。
おまえらの手口はわかっているんだ。おまえらはなにもわかっちゃいないのさ。わかったようなツラをしているだけだ。わかった気になって気持ちよくなりたいだけだ。自分はひとりじゃないと思いたいだけだ。
残念だが、自分はひとりだ。どんなに寂しくたってひとりっきりだ。おれの代わりなど誰にも務まりやしない。当たり前だ。おれだってちゃんと務まっていないのだから。それでも、努めておれ自身であろうとしている。どんな時でも、どんな場所でも、どんな状況でも。愛想笑いはしたくない。困ったような顔で笑っていたくない。だったら、しかめっ面をしていた方がマシだ。だが、実際のおれはよく笑う。笑い上戸なんだ。おかしくってたまらないからな。なにもかもが狂っていて。おれは狂ってしまわないように笑い飛ばすんだ。
なにしろ、くだらないことばかりだ。くだらない、つまらない、クソだるい、そうぼやき続けて42年だ。嘘だろう? もうそんな歳かい? 本当に嘘みたいだ。でも本当らしい。信じられんが本当のことらしい。周りがどんどん老いぼれてゆく。なんだか取り残された気分。差は開く一方。でも追いつきたいとは思わない。出し抜いてやろうとも思わない。浮いて浮いて、いつかは弾ける。ただその時を静かに待っている。
人生のリハーサルが延々と続く。おれの人生はいつ始まるのだろう? そう不思議に思っていたのは昔の話だ。つまるところ、おれの運命はリハーサルを繰り返すだけなんだ。本番なんて来やしない。リアルなのは痛みだけ。あとは吐き気とか、痒みとか。ウマいとかマズいとか。それ以外のことはぜんぶ嘘。ずっとなにかに化かされているような気分だ。生命って本当にあるのか? だんだん疑わしくなってきた。
おれが熱くなれるのは、野球の試合とか馬鹿げたゲームとかだけだ。こんなにくだらない生き物が生きることを許されていていいのだろうか。ちょっと心配になる。でも、それらを止めちまうと暇でしょうがない。あとはまあ、書くことか。
なにが楽しくって書いているのやら。この謎はいつまで経っても謎のままだ。謎は謎として、謎のまま在ればそれでいい。おれはわかってしまうなんて願い下げだ。共感人間どもにはわからないだろうけどよ。いや、意地でもわかってやろうとするかもしれん。そうなったら逃げるのさ。ひたすら逃げるぜスタコラサッサ。捕まえられるものなら捕まえてみやがれってんだ。




