つむじ風に乗るのはいま埃だけ
なぜかお昼時に発射されることの多い摩天楼の少年であるが、意図的に行っていることではないのであった。しかしこうも同じ時間帯が続くと、おれもその時間までに書き上げればいいやという気になってしまい、結構な朝早くから文章活動を開始しているというのに、煙草を吸ったり必要以上に考え込んでみたり、いわば停滞した時間が合間をむさぼり、そして時間だけがいたずらに過ぎてゆくのだった。
文章を書くことが健康に悪い所以である。大量の煙草と大量のカフェイン。人によっては、コデイン、コカイン、メタンフェタミン、アンフェタミン。積極的に寿命を削りながら、神経系統を焦がしながら、今日こそは跳躍の自己ベストを出そうと、文字を刻み、言葉を繋げ続ける。
まったくもってヘルシーじゃない。おれだってヘルシーに生きていたい。毎日スーパースプラウトをサラダに入れている。パセリを刻んで混ぜ込んでいる。トマトが赤くなると医者が青くなる、の格言どおりにトマトも毎日。オクラに納豆、なめことミョウガを乗せた、血液サラサラ冷や奴はこの季節の定番だ。嫌いなニンジンだって積極的に摂取。セロリー、あしたば、モロヘイヤ。アスパラ、ささげ、コリアンダー。お野菜いっぱい生活。
なにもおれは長生きがしたいわけではないのだった。不快な思いをしたくないだけだ。身体的な不調を抱えて生きていたくないだけだ。特に身体の内側からくる不快感は、おれのもっとも苦手とする感覚なんだ。吐き気や鈍痛、倦怠感、腹痛、頭痛。勘弁してほしい。生きるのが嫌になってくる。存在するだけで不愉快を味わわなければならないって、そんなのって嫌すぎる。ただ生きるだけで、支払うべき代償があまりにも大きい。失うものがあまりにも多い。まあ最終的にはすべてを失うのだが。それはそうだけど、その過程においてなるべく楽に過ごしていたいというこのささやかな願いすら叶えられそうもないのはどういうことなのだろうか。
考えれば考えただけ、嫌なもの汚いものと出くわしてしまうし、なにも考えなければ愚者の中の愚者として、嫌なもの汚いものに爪先まで染まってしまうのだった。
これはいったいどういうおつもりなのか、おれはそう問いたい。どういった意図でこうなっているのか。創造主はなにを考えておられるのか。あまりにもシステマチック、そのくせスケールは途方もない。もはや意味がわからない。なにもかもがわからない。ただ吸い殻だけが増えてゆく。おれは不愉快になるために生まれてきたのかもしれない。
おれの不愉快はおれの手に余る。だからこうして書きつけて、きみたちにお裾分けだ。誤解はしないでくれ。きみたちにもこの不愉快を味わってほしいなんて気持ちはさらさらない。おれはそんな不潔な精神の持ち主ではない。きみたちにだって、それぞれの不愉快があるはずであって、きっとそれらに手一杯のことだろう。なにしろ老いも若きも男も女も、みんな不愉快を抱えているんだ。これ以上の不快感をきみたちに与えてやろうだなんて、そんな悪魔のような発想をおれがするわけがないじゃないか。おれは妖精なんだぜ。悪魔なんぞと一緒にしないでほしい。妖精は無からゼロを見出す。悪魔はゼロに値段をつける。跳ね上がった値段には箔がつく。妖精はその値段を見てゲロを吐く。つまりはゼロから派生したゲロが小説ってわけなんだな。
またひとつ賢くなってしまった。おれはどこまで賢くなってしまうのだろうか。そろそろ頭打ちにしたいのだが、そうは問屋が卸さないのだった。あくまでもこの値段で売り捌いてもらう。物質世界からの解脱の許しはまだ出ない。いったい、いつになったら? いや、許可などを待っているからだ。許可など必要ないんだ。境界を超えるのに必要なものは、もうとっくに揃っているじゃないか。あとは跳ぶだけ。飛び出す勇気だけ。そうしたいから、そうするだけ。
遠くから見る宇宙は湾曲していて、コンタクトレンズのようだった。真空の中、ぼくは胎児の夢を見ていた。胎児の瞳に、宇宙を見ていた。ぼくは無邪気に飛び回っていた。いま。かつて。それから。これから。一本のラインが象るシェイプに目を凝らすと、自ずと浮かび上がってきたフォームの暗示するもの、ついにぼくは秘密を解き明かそうとしていた。
でも、急に気が変わっちゃった。秘密を暴いたってなにも楽しいことなんてないでしょう? 秘密なんてどうせ大したことないよ。それよりもぼくはこうして飛び回っていたいね。不自由を感じることもあるし、飽きることもあるけど、結局ぼくはそれしかすることがないんだ。でも、まあ、概ね満足しているよ。うん、そうだね……ぼくは満足しているんだ。
摩天楼の少年はそう語ってくれた。おれだけに。このおれだけにだぜ? それってなんだか嬉しいじゃん?
本当に驚くようなことばかりで、おれはもうちょっとやそっとじゃ驚きやしないよ。まあ驚くけどね。驚きはするんだけど、芯から驚くってほどじゃない。またかよ、っていう、そういう驚きだよね。いまだにそんなアホらしいことが起きるのかよ、っていう、そういう驚きだよね。新鮮な驚きではないんだ。もうなにもかもが陳腐化していて、おれはちょっともう、やってられない。本当にもう、心の底からくだらないと思う。笑えないくだらなさって最低だよ。そういうものに人間が群らがっている光景を見たときの気分ったら、筆舌にしがたいよね。筆舌にするけどね。おれはハーコー全身小説家だから。せざるを得ない。しょうがない。仕事だもん。つまりは、くたばれってことだよね。くたばりやがれってこと。魂ごと死神の鎌で刈り取ってもらえ。地獄の釜で天ぷらにしてもらえ。きっと中身はない天ぷらが揚がることだろう。天ぷら。おまえだ。カラッポ。
と、こういうものを書いていると、馬鹿はすぐ、シュールだ、などと乱暴なことを言い出すから、こっちはたまったものではない。鬱屈だけがたまってゆく。馬鹿に言葉を与えるな。卑しんぼどもには我慢がならない。だが同志たちよ、ここが我慢のしどころだ。鼻息荒く我慢しよう。怒りを押し殺して、自分自身だけは殺さないように。精神強姦魔たちには、のちのち然るべき罰が下るであろう。なんならおれが下したってもええんやで。いまはまだそのときではない。永遠にそのときはこない。じゃあどうしろと。だから、それをずっと考えているんじゃないか。考えてるだけではなにも始まらない。だから、こうして書いているんじゃないか。でもなにも伝わらない。おれは無力だ。いまさらなにを。自惚れるでない。
でもこれだけは言えるぜ。たとえなにも伝わっていないとしても、おれの書くものはおもしろい。最近のものは特にそうだ。読めて、おもしろい。この辺がおれの限界かな。ここから先は人外の領域。それでも、隙あらば……狙っているおれがいる。じりじりと少しずつ近づいてゆく。境界線まで目視ではあと少し。けれど本当はめちゃくちゃ遠い。めげそうになる。実際、半分以上は早くもめげている。
いま。かつて。それから。これから。どうしてこうなった。一本のライン。それを遙か遠くから眺めりゃ一個の点だ。なんていうのは言葉遊びで、本当はどこから眺めたって一本のラインは一本のラインだ。点はおれたち。極小の点がおれたちなんだよ。無数の点々がチカチカと明滅している。遠くから見ればそりゃ綺麗な眺めなんだけど、ここから見るとね……なんじゃこりゃって感じ。わかる?