オナガはこんなふうに鳴くこともある
なにごともない日々。それが何週間か。いや、もっと……もっと長い間、おれは息を潜めていた。その間に何人ものやつに出し抜かれて、おれは情けない気持ちに耐え続けなければならなかった。
最初から勝負をしているつもりはない。勝負になどなるはずがない。勝者も敗者も存在しない。競い合うのはごめんだ。目くそと鼻くそで優劣を比べてどうするというんだ。
だが、まあ……おれは負け犬だ。自覚の薄い負け犬だ。自ら勝負を降りた時点で、自動的に負け犬となったのだ。ごくたまに負け犬であることが恥ずかしくなる。みな自分は負け犬ではないと必死に証明しようとしているのに、おれは負け犬のままで不様を晒している。そのことに気づくと、その瞬間だけなんだか無性に恥ずかしくなる。
おれは言い聞かせる。嘘だ。出鱈目だ。まやかしだ。気のせいだ。
実際、そうなのだ。そのとおりなのだ。それで間違っちゃいないはずだ。でも、恥ずかしく惨めな感じはリアルだとしか言いようがない。それがまた、おれを情けない気持ちに誘うのだった。いろいろな理由が複合的に絡んで、おれは自分がとにかく情けなくなるのだった。
いつまでこんな退屈なところに潜んでいればいいのだろうか。魂解放計画は遅々として進まない。計画と銘打ちながら、具体的なプランもビジョンもなにもないのだから、それも当たり前のことなのだが、こうして書くことによって、なにかが進んでいる気はするのだった。この気に賭けてみるか。それだけの理由で、消極的ながら大胆に、おれは文字を打ちつける。
最初から勝負をしているつもりはない。最初からなにかを期待しているつもりもない。最初の一歩はたったひとりの少年のため。祈り続ける少年のため。少年の笑顔を取り戻すため。そのために、おれはこうして書いているのだった。
おれはきみのための物語などは書けない。時々の流行にしたがい、否定といえばルールに違反したものにだけ、この時代の創作物を盛んに消費し、享楽的な快感を執拗に求め、かと思えば下手くそな日常の風景のスケッチを文学だと言い切ってしまう。自分には価値があるんだと勝ち誇る、そんなきみのような人間のための物語などは。
率直に言うと、きみには読むことも書くことも、まったく向いていない。それでも読んだり書いたりしたいと言うのであれば、どこかの地点からもう一度やり直した方がいい。だが、そんな面倒なことをする必要がどこにある? 人には向き不向きがある。それが真実かどうか、おれにはなんとも言えないが、そういうことにしておくと、きみはまったく向いていないんだ。悪いことは言わない。すっぱりと文章とは手を切った方がいい。
大丈夫だ。きみがいなくてもおれがいる。おれがいるからなにも心配はいらないんだ。あとのことはおれに任せて、きみはこれ以上ゴミをばらまいたり、ゴミを褒めそやしたりしないでほしい。
きみの野望のような、あまりにもつまらなく下らないものに、これ以上こだわり続けたって悪いことしか起こりっこない。きみにはきみの役目がある。それは決して表現をすることではない。きみ自身をきみのために有意義に使ってほしい。
おれはきみのことを考えて、いつも心を痛めているよ。もうきみのことで悲しい思いはしたくない。きみ自身を貶めることは、金輪際やめることだね。
だけどきみはおれにとっても必要な人間だ。きみのような人間がいるから、おれは文章を書こうという気分になれる。この世界が、おれのような妖精ばかりなら、それはそれで退屈な世界だ。そんな世界なら、おれはきみのような人間になっているかもしれない。きっとなっているだろう。間違いなくそうなると思う。
おれは世界が一色で染まってほしくはない。それがどんなに綺麗な色だとしても。それがどんなに魅力的に思えるとしても。おれもある意味、日和見といえば日和見なんだ。でも、まだら色の世界だから、おれのような妖精でも隙間に入り込んで生きていける。ひび割れに潜り込むことができる。そのざらざらした質感を愉しむことができる。そこから調子っぱずれの歌を歌って、周囲をざわつかせることができる。その様を見て、笑い転げることができる。
きみのような人間にイタズラをするのはとても楽しいことだ。そのために妖精がこの世につかわされたと言っても過言ではない。だけどこういうイタズラをするのは、おれたち妖精だけでいい。人間がやったら袋叩きに遭ってしまうよ。なにしろきみたち人間のイタズラといったら、まるでなっちゃいないんだから。そういうのはイタズラとは言わないんだ。悪意の発露っていうんだ。
イタズラには然るべきイタズラ心が備わっていなくちゃならない。それにイタズラっぽい笑顔も入り用だ。見返りを求めない奉仕の精神も忘れずに。ハンカチとポケットティッシュ、スキットルにはスコッチウイスキーをたっぷり。ホイッスルを首から提げて、煙草とライターと家の鍵。窓を閉め、部屋の電気を消したら、さあ出発だ。イタズラの旅に出掛けよう。
辛く厳しい旅になるだろう。ひもじい思いをたくさん味わわされるに違いない。予期できなかったトラブル、まったく関係のない事件、突発的な事故、仕組まれた罠、陰謀、策謀、政争、闘争、理不尽な言い掛かり、背後からの不意打ち、待ち伏せ、野伏、ありとあらゆることに巻き込まれるに決まっている。
だけど、ぜんぶシカトだ。勝手にやってろ、死ぬまで群れてろ、自分の葬式の計画でも練っていろ。妖精には直線のスピードはないが、はしこくすばしっこいんだ。逃げ道、抜け道、その道とはツーツーに通じているんだ。捕まえられるものなら捕まえてみろって。尻尾すらも掴ませやしない。たとえ四方八方から狙われたとしたってな。おれは嘲るように逃げまわるぜ。すり抜けるぜ。おっと残念、そいつは残像だ。反応がない。どうやら抜け殻のようだ。はい、ハズレ。ダメーッ。間抜け。のろま。見当違い。勘違い。スカ。びよーん! びよんびよんびよん……。
まあ、ざっとこんなもんだ。連中の悔しがる顔ったらないね。一生そこで臍を噛んで含めて、ちゅうちゅう吸っていな。地団駄を踏んで、ついでに犬のクソでも踏み潰しな。そして、どうしてこんなことになってしまったのか、一晩中考えな。
考えたって答えなんて出やしない。それでも考え続けるんだ。考えて考えて、なんだか馬鹿らしくなって、いっぺんすべてを放り投げて、ぼーっとして、もう一度拾いなおして、またいちから考え始める。そんなことの繰り返しだ。こんなことを繰り返して、季節が巡る。そして、初夏だ。ナガミヒナゲシの目につく季節だ。今年も駅にはツバメが巣を作っていた。駅利用者の頭すれすれを飛んでゆくツバメを見ると気分が爽快になる。それでも答えなんて出やしない。そんなもんだ。
摩天楼の少年だって、ずっと飛び回っているわけじゃない。屋上のへりに腰掛けて、両足をぶらぶら交互に揺らしている時もある。もちろん飛び回っている時間の方が圧倒的に多いけれど。
だからもし、少年が腰掛けているところを見かけたら、きみはとてもラッキーだ。近いうちにきっとなにかしらの幸運が舞い込む。仮に舞い込まなくたって文句を言わないでくれよな。おれは予言者でも占い師でもないんだ。ただの小説家だ。ハーコー全身小説家なんぞの言うことを真に受けた自分を恨むんだな。だけど、きみの幸運は祈ってる。これは本当? 嘘? さあね。一晩中でも考えな。