いまこの国はこんなジョークでもちきりなのさ
昨日書いたことはすべてが間違っていた。いや、すべてが間違っていたわけではなかったのだが、間違ったことを書いてしまった。こんなふうに遡り否定することはおれにはあまりないことだ。しかしモロイを読み進めてみて、おれの書いたことはなにもかもが間違っていたということだ。あまりにも先走った。薄い理解で性急に結論を出そうとしてしまった。どうしてあんなふうに思ってしまったのか、いまとなってはわからない。
もちろんおれが間違ったことなどはいままでたくさんあった。それこそいまこの瞬間にも間違い続けているのかもしれない。間違うことなどは織り込み済みで、納得ずくで、おれは書き続けているけれども、それでも看過できない間違いはある。あまりにも痛恨の間違いだ。おれへの信用が揺らいだ。薄々思っちゃいたが、おれはもしかして相当な馬鹿なのではないだろうか。しかし馬鹿だからと言って言葉を選ぶわけにはいかない。モロイはおれの手に余る。理解の範疇を超える。それこそが読むべき書物だということだ。何度でも繰り返し読まざるを得ない書物だということ。書くということ。書き続けるということ。おれができることと言えばそれくらいしかないのだった。
それ以外のことはおれにとって、端的に言ってどうでもいいことだ。書かれることすら、あまりにもどうでもいいことだ。おれは伝えたいわけではない。書くだけだ。流れるように書かれることもあるだろう。練られるように書かれることもあるだろう。質感を伴い、不定形の言葉が、そこに立ち現れるのであれば、どのように書かれていようが、どのように思われようが、どうでもいい、なんでもいい、化かしているつもりはないが、馬鹿にされていると思うかもしれないが、おれにとってはすべてどうでもいいことだ。なんでもいいことなのだった。
書かれた文章と読み手は常に一方通行の関係だ。それはおれが書いた文章をおれが読むときでさえ、例外ではないということだ。書かれた文章は常に死者が綴った言葉であり、生者はその言葉には干渉できない。もちろんなにを考えようがどう受け取ろうが、それは自由ではあるが、決して干渉はできないのだった。
新宿紀伊國屋のレジ、会計をしている時、隣のレジに並んだ女性が購入しようとしている本を見た。カフカ短編集とポール・オースターのリヴァイアサン。表紙をちらっと見ただけでわかってしまうのだから、おれもなかなかブッキッシュだ。別に気持ちよくなっているわけではない。こんなのは、背番号で贔屓チームの選手を判断しているようなものだ。繰り返し聴いた曲のイントロクイズに正解するようなものだ。
しばらくこんなことを考えた。おれがあの女性のような人と恋人同士になっていたら、どうなっていただろうかと。人間は時にどうもこうもないことを考える。そしてこんな結論に至る。おそらくは金が原因で別れていただろう。
ほんの少しの間だけ、カルヴィーノの「冬の夜ひとりの旅人が」のような展開を期待するようなことが、書店で起こったものだから、おれも少し想像を膨らませてしまった。だが、ほんの少しの間だけだ。その後おれはすぐ、ヨドバシカメラ西口ゲーム館へと急いだのがその証拠だ。京王百貨店の前を歩く頃にはそんなことはすっかり忘れていたのだった。
それにしても様変わりした新宿西口付近には驚いた。歩道橋がぶった切ってあった。歩道橋の下の暗がりで、「私の志集」を売っていたあの女性の居場所はどうなるんだ。人間はこんなふうに、どうもこうもないことを考えるのだった。
うんざりするような契約の世界だ。ゲームソフトの代金を支払いながらそう思った。おれたちは契約の一部。自殺する表現者たち若者たち男たち女たち、そのすべてが金絡みだと言えば、それはもうそうだろう。あまりにも振り回され過ぎている。しかし金の価値や信頼が揺らいでしまったら、ほとんどの物語が崩壊してしまうに違いない。数字が積み上がっていく快感。それは確かにある。よく考えてみると不確かなのだけど、そこに疑いを持ってしまえば、クソみたいな文章が垂れ流されることがなくなる代わりに、誰も文章など読もうとは思わなくなるかもしれない。それはそれで望むところだが、自殺者はもっと増えるかもしれない。そんなことを望みたくはない。
もう後戻りはできないのだった。決して拭えない不条理を内包していることは百も承知で、デザインされたこの社会のまま突き進むつもりだ。それは誰の意思だ。おれでもあり、あなたでもある。こうなってしまったのはすべておれの責任であり、あなたの責任でもある。好奇心は猫を殺すが、無関心がすべてを殺す。そのまま、立ち塞がる八方塞がりの閉塞に、閉じ込められ、流し込まれた蝋により固められ、やがてはすべて燃やし尽くされるのだ。そして悪魔との契約は成るのだった。お望み通りの形に。
誰もが予想しておきながら、誰もが予想し得なかったと、そう言う。嘘つきばかりだ。わかりきっていたことだ。もし本気でなにもわからなかった、こんなはずではなかった、そう言うのであれば、あなたは人間として生まれるべきではなかった。だが生まれてしまった。そこに捻れが生まれ、可能性の不可逆性により、生きるか死ぬかの選択を突きつけられ、おれは困惑しているのだった。第三の道はないのですか。ある。そう神は告げた。だがおまえには無理だ。そう仰るのだった。
「忘れるな。明日そうなるかもしれん」第三の男が言った。「今晩かもな。いずれにせよ、きっちり面倒はみてやろう」
そのまま時間ぴったりに乗り込んだ電車に揺られ、浦和駅まで束の間のうたた寝を楽しんだ。中央線の全面復旧は十六時頃になるらしいよ。沿線沿いの火事だって。最悪だね。最悪だろうね。そんな会話が聞こえてきた。なにか自分がゲームの中にいるような気がしてきた。ぜんぶ悪魔のせいらしいよ。火事も通り魔事件も。きっとおれはこのままダアトまで飛ばされて……真女神転生Vヴェンジェンスとユニコーン・オーバーロードのどちらを買おうか、最後まで悩んだ。そのせいで、こんなふうに夢うつつ。結局メガテンはまた今度ということになったのだが。
おれが無罪ということはないだろう。それはおれが一番よくわかっている。だが善く生きようとしたその気持ちは本当だった。特にここ十年くらいのおれの心境の変化はドラスティックとしか言いようがなく、それと同時に心根の醜い連中の見える化を実現してしまったため、おれは怒りと憎しみを絶えず心に湛える狂人となったのだった。
正直なところ、連中の嫌がることなら何だってやってやりたい。周りに誰もいないことを確認してから、思い切りぶっ飛ばしてやりたい。肘を顔面に叩き込んでやりたい。それはもちろん重罪ではあるのだが、そんなもん関係あるか、そういう気分がおれにはあるのだった。あるにはあるのだが、臆病者は決して表には出てこない……。おれは悔しい……。
第三の道とはどのような道なのですか。それはある。そう神は告げた。だがおまえには見ること叶わない。
「忘れることだな。結局はそれしかない」第三の男が言った。「黙るか、黙らせられるか。いずれにせよ、きっちり面倒をみてやろう」
それはこっちの台詞だ。おれがきっちりケジメをつけさす。貴様らの顔が歪んで元に戻らなくなるくらいにな。いい加減、ふざけるのはやめることだな。デマばかりを吐く、その薄汚いクチを閉じて、さっさと火山にでも飛び込みやがれ。骨ごと消え去ってくれ。それがおれの願いだ。




