蹄状紋と渦状紋で象られた螺旋
こんな暑い日にだって、この国のどこかでは誰かと誰かがマッチングしてドッキングして、ハッとしてグーなわけでしょう。おれにもまだそういった衝動がないわけではないけれど、もう面倒なんだよね。とにかくもう。どうだってなんだって。羨ましくはある。下世話な衝動に衝き動かされて行動に移すことのできるそのパワーが。だが同じ国の中でもリビドーをパンパンに膨らませながら、そいつをどう扱っていいのかもわからずに、歪んでぶっ壊れていくやつらも大量に存在しているわけで、それはそれでまあ可哀想ではあるのだけど、結局は自分自身でなんとかするしかないから、それで他人に八つ当たりしてみたって更に自分が惨めになるだけです。あなたはきっとアニメとポルノの見過ぎなのだと思います。なんて無責任かつ挑発的なことを気軽に言い放ってしまう彼女はやっぱり危なっかしい。
まあどうしても人間が下手な人達ってのはいるもので、そういう人らが暴れ回りたい気持ちはわからなくはないけど、やるなら相手と手段は選びなさいよって言うね。なにも進んで外道にまで身を堕とすことはないでしょうって言うね。そんな身体のごく一部の器官に振りまわされ続けるなんてつまらないよって言うね。そんなようなことを耳元で囁き続けられたら誰だって気が狂ってしまうって言うね。わかった、明日会ったら必ず言うね! 元気よくそう言って帰路につく彼女だったが、おれにはわかっていた。明日になったら彼女は全部忘れちまうってことを。
いつだってそうだった。今日だってそうに違いない。だからといって念を押すようなことをおれはしない。なにをどうしたって無駄なのだ。彼女は忘れる。それが彼女の欠点であり、また美点でもある。忘れんぼうな彼女は、忘れんぼうゆえの愛嬌でもって社会から受容されている。いつだって彼女は新鮮な気持ちで朝を迎え、新鮮な気持ちでこの世界を見て、新鮮な声でいまだにこう言えるんだ。不思議! こんなのいままで見たおぼえがない! 誰もができることじゃない。彼女にしかできないことなのかもしれない。おれは彼女が愛らしいと思う。ぞっとするけど、大好きさ。
彼女は絶え間なく動き続け、一瞬たりとも捉えどころを提供しなかった。存在と運動は彼女にとって同じことで、すべてはただ過ぎ去ってゆくものだった。過去を愛撫している暇はない、間に合わせのやっつけに構っている暇などとても。というわけだ。
そして彼女の勢いに我々人間は弾き飛ばされ、苦笑を浮かべるしか、それくらいしかできることはなくなってしまう。並外れた不協和音にはもうお手上げだ。深淵なのか、曖昧なのか。ただ思いつきを片っ端から試しているだけなのか。寝静まった彼女のことを考えると、おれの頭は奇々怪々、どこか遠くに置き去りにされてしまったような気になってしまうのだった。きっと彼女の寝相は爆裂に違いない。竜巻のようにあらゆるものを巻き込み、轟音と衝撃ですべてをなぎ倒してしまうに違いない。あまり近寄りたくないけど、大好きさ。
そうだ。忘れていた。電話をしなければならないところがあるのだった。それもなる早で。だけどもうだいぶ経ってしまっている。これくらいがおれのなる早なんだってことにしてさっさと電話を掛けちまえばいいと思う? でも今日は土曜日だ。一応、日曜以外は電話をしても大丈夫と言っていたけど、それでも土曜日だぜ? 土曜日ってのは、昼食にラーメンか焼きそばか炒飯を、場合によってはその全部を食べたりする日だろう。晩飯には焼き肉、それかもう晩飯なんて抜きで酒を飲み続ける。歌って踊る。道路で寝転ぶ。街角で揉め事を起こす。現在地も現在時刻もあやふやになって、都合の悪いことは水洗便所に流れて消え去る。
そんな日に電話をかけるって失礼にあたらないだろうか。ここは無難に火曜日の午後あたりにした方がいいのではないかな。なぜ月曜日を飛ばすのかというのは言うまでもない。当たり前の話だ。みんなそうだ。だって月曜日だし。別におれは構わないんだ。何曜日だろうとね。ただ先方の事情も考えると、選択肢は自ずと限られてくる。いわゆるマナーの問題ってわけ。
土曜日の昼下がりは、メチャクチャ楽しいか、ものすごく退屈か、大抵はそのどっちかで、割合としてはまあやっぱり退屈が多いです。弛緩した雰囲気に国全体が支配されてしまうのだが、おれはそれこそが人間のあるべき姿とさえ思えます。日曜日になるとそれが一転、なんとしてでもアクションを起こさなければ、楽しまなければ、そういう病に衝き動かされて国全体がいわば躁状態、おれは大っ嫌いだぜ、日曜日。
なんたって平日が一番。なにをするにも平日が一番都合がいい。電話をするのだって、外に出るのだって。マッチングするのだって、ドッキングするのだって。文章を書くのだって平日がいいに決まっているし、読むのだっておそらくはそうなのでしょう。だって週末になると摩天楼の少年はまったく読まれなくなるのだった。意外にアクティヴなのか? 摩天楼の少年を読んでいる人々は。アクティヴな人間がこんな文章を必要とする理由がよくわからないですけど、個々人いろいろな事情があるのだろう。安心してくれ、おれは深入りしたりはしない。
それからまた、蚊に喰われていた。ここ最近何度も蚊に喰われるのだが、蚊のやつは姿も音も現さず、決して尻尾を捕ませやしないのだった。あまり気にしないことだ。痛い痒いで大騒ぎするのは、いい大人のすることじゃない。いつだって急がずに慌てずに騒がずに一番乗り。それがいい大人の身の処し方ってやつさ。
まさか、胸の大きいノースリーブの女があっちから歩いてきたからって、横目でしっかり眺めたりはしていないだろうね? 女性の身体はフェティシズムの対象にされるためだけの存在ではない。もちろんそれで喜ぶ女性もいるだろうが、傷つく女性だって確かにいると言うことだ。
だったらなぜ! ノースリーブで! パイオツの谷間をこれ見よがしに! まあまあ、そういきり立つなって。こんな暑い日にノースリーブで歩いていったいどこに不思議があるってんだ? 彼女が自律して主体性を持っているひとりの人間であるということを理解し、人間性を尊重し、対等な立場に立つことから始めてみてはいかがでしょうか? 谷間の奥の人間性を見つめてみませんか。彼女が興味を引くもの、情熱を注ぐもの、大切に感じているもの、そういったものに関しての質問をしてみましょう。あなたなら、きっとできるはずです。ファイト!
そんな期待をされたって、できないものはできない。見てしまうものは見てしまう。その瞬間に、おれ自身も傷ついているってこと、こういう感じはどう説明したらいいのだろうか。男と女は永遠にわかり合えないのだろうか。ぜひとも触れたいが、決して触れたくはない。ぞっとするけど、大好きなんだ。大好きだけど、避けているんだ。だからもう下を向いて歩くんだ。下を向いて歩くメリットだってちゃんとあるんだよ。胸を張るだけが男らしさではない。まず、気づかないうちに女性に目がいっている自分に気づいてしまって、傷つくことがなくなる。これは大きなメリットと言えるでしょう。それに道端に落ちているクソを踏んでしまうことがなくなる。おれのようなクソ嫌いの人間にとっちゃこれは最高のメリットさ。おれほど落ちているクソに敏感なやつはなかなかいないんだ。と言うよりも、みんなクソに無頓着すぎる。おれは気が気じゃないよ。だからおれは注意喚起を欠かさないんだ。
おい、そこ! クソがある! 気をつけろ!
そんなことを繰り返していたら、ウンコマンって呼ばれるようになっちまった。悲しいけど本当の話さ。こうなると、おれはクソが嫌いなのか好きなのか、そこのところがよくわからなくなってくる。そんな風にみんな自分を見失ってゆくのだろうな。とても悲しいけど本当の話なんだ。




