ミミズが這う、そして焼かれる
目が覚めるとデビルのようなおれが腕を組んで高笑いをしていた。まったく。おれはいままでなにをしていたのだろう。なにを書いていたのだろう。なにを考えていたのだろうか。
笑うなよ。おれはなぜか、現在における芸術とは、なんて、そういうことを考えていたんだ。物語らない物語はなにを物語るのか、とか。おれの文章を文学にするためには、とか。
いや本当、うっとうしいったらない。大学すら通っていないこのおれがいったいなにをやっているのだか。唐突に高卒宣言をしたのは、これはまさしく文字通りの学歴コンプレックスであって、別におれは大学に行っていないことを恥じてはいないけれども、大学出の坊ちゃん嬢ちゃんどもにおれよりもすごい文章を書けるってのかい? そういうことを問いかけたくてたまらないこの気持ち、それはやっぱりコンプレックスだということだよ。
確かにおれには学歴コンプレックスがある。なんとまあ可愛らしいコンプレックスよ。でもやっぱり殆どの大卒の連中よりかは、素敵な文章を書いているという小っちゃな自負だってあるのです。
そりゃ、お勉強はあなたたちの方ができた。それはもうはっきりと認めるよ。仮におれが一生懸命に勉強を頑張ろうと誓ったとしたって、おそらくその日のうちに諦めたであろうし、もし諦めなかったとしても間違いなく一週間以内に頭が狂ってしまって人生の大半を隔離病棟か刑務所で過ごすハメになったっていう確信があるので、学力という意味であなたたちに勝てる気はマジでしない。あなたたちは凄い。本気で凄いと思う。十代の頃のおれから見たら、あなたたちは雲の上の存在。勉強ができるってマジで尊敬。偏差値45以上は天才の領域。偏差値52以上は神の領域。偏差値60以上は宇宙的恐怖。そらもう、おれとあんたらがまともに会話ができるわけがない。頭の作りからしてそもそもが違う。どこが違うのかはわからないが、テストの点数を見れば違いは一目瞭然だ。
羨ましかった。あなたたちが。まったく悩みなんて無さそうに見えた。悩みがあったとしても、学力にものを言わせて強引に悩みなどはねじ伏せてしまうのだろう、そう思っていた。どうやらそれは、おれの勘違いだったみたいだけど、まあそれだけおれはあなたたちに畏怖の感情を持っていたということだ。
だって怖すぎるでしょう。家に帰って勉強をするんだぜ? 定期テスト一週間前には、テスト範囲の勉強を重点的にするのが当たり前って、もうどんな異世界の話だよ。意味がわからなさすぎて怖かった。おれを含めた一部のゴミクズ以外は、みんな完全無欠のエリートに見えて、本当に恐ろしかった。で、なんの話だっけ?
本当になにを書きたかったのか忘れてしまった。たぶん悪口だとは思うのだが。なんだか頭がクラクラする。窓を開け、空気を入れ換えよう。う、暑い! まったく嫌になってしまう。おれはいままでいったい何度、まったく嫌になってしまう、そう書いただろうか。ついつい書いてしまうことってある。書く度に、なんかいつもこれを書いている気がすると思いながら、でもそうとしか書きようがないのだから仕方ないのだった。
文章被り言葉被りをなにより恐れるやつは同意語ってやつを探すのだろうが、どうせ意味が同じなら、そのまま書いてしまえばいい。連続、反復、繰り返すことにより、生まれるグルーヴだって確かにある。自分が持つ野蛮さをわざわざ取っ払ってどうするつもりなんだ。そういうわざとらしい小手先に頼るやつの書く文章はまったくグルーヴィじゃない。そそられない。無味無臭。なのに人工甘味料の後味が舌をざらつかせる。これ絶対に身体に悪い。きっと頭だって悪くなる。進んで頭を悪くしてちゃ世話ないよ。本当にもう少しちゃんと考えて文章を書いた方がいい。そう思わせられるやつばかりで、おれはまったく嫌になってしまう。
そんなの、結局は個人の好みの問題だって? おれはそうは思わない。どんなスタイルであれ、すごく良い文章ってあるよ。語彙とか技巧とかそんなものは目じゃないんだ。大事なものは、人として、ってやつだな。作家、小説家、詩人、肩書きなんてどうでもいいことだし、肩書きにこだわるやつは例外なくクソ以下のものしか書けないわけで、自分が他人にどう見られるかを気にしておどおどしている弱虫は、挟んで捨てられたって文句は言えないのさ。
人として、誠実に生きようとすら思えないやつは、いつまで経っても害しか生み出せないよ。そんなことはもうやめた方がいい。そんな自分を表現して見せようって、いったいどんな冗談なんだ。もうやめよう。つまらないものを垂れ流すのは。自覚してほしい。自分自身の退屈さを。どうして、キミはそんなにつまらない人間なんだ? どうしてそこまで心根を腐らせることができるんだ? なにがキミをそうさせた? 両親か? 学校か? 時代か? 社会か? キミ自身がそう望んだのか?
ここだけの話だけど、この世の中の99%のものは紛う方なきクソなんだ。つまりは99%の人間が退屈極まりないクソってこと。だから、キミがクソだろうと、まあ仕方ないっちゃ仕方ないんだ。だってほぼ全員そうなんだから。だから、せめて、静かにしてほしい。あまり騒がないでほしい。クソなのはもうどうしようもないなら、せめてクールなクソでいてくれよ。頼むよ。
おれは育ちも悪ければ学もないけれど、なぜか上品さだけは生まれながらに持ち合わせていて、もう本当に下品で退屈なやかましいクソに辟易しているんだ。下品ってのは醜いってことだよ。醜いものはおれの心を傷つけるよ。おれから生きる気力を奪おうとしてくるんだ。本当にもう、うんざりなんだよ。
なんだか気持ち悪くなってきた。これを読んでいる人にも是非とも気持ち悪くなってほしい。ヘラヘラ笑いながら読んでいる場合ではないですよ。もうそんな場合は過ぎ去ってしまったんだ。さっさと次に行こう、次に。外に出よう、外に。空を飛ぼう、空を。夢を見よう、素敵な夢を。星の旅路を巡り巡って、無重力の中で遊び続けよう。
そして帰ってくる。帰還してみて驚いた。なんだこれは。いったいなにがあったんだ。なんだか嫌な臭いがするし、すっごく不潔だ。ミルクもなんだかすっぱくて、胆汁みたいな色をしている。
「どうだい、景気の方は」
おれはミルク屋のオヤジに声を掛けてみた。
「わるいね」オヤジが答えた。「はっきりとわるい。人口は減るいっぽうだし、風紀は乱れに乱れている。変てこな連中が子どもをすっかり堕落させてしまった。悪巧みはする、言いつけに背く、減らず口は叩く。ここの将来はまっ暗だね。お先まっ暗闇。良いことなんてなにもないし、身体中が痒くてたまらん」
「そりゃたいへんだ、ごちそうさま」
ミルク代を支払って店を出た。おれもなんだか身体が痒くなってきた。この黄色っぽい空気のせいだろうか。いや、違う、蚤だ! うわあ、こりゃすげえ、払っても払っても、次から次へと蚤が襲いかかってきやがる。それになんだか……おれは靴を脱いで確かめた。やっぱり! 蛭だ! ちくしょう! ぶくぶくに太った蛭が何匹もおれの足に吸い付いている。靴下も靴のなかも、そりゃ血まみれさ。あと、もちろん蚊のやつだって、おびただしい量で湧いているし、虻どももブンブン唸りをあげておれの肌を切り刻んで血を舐めようとしてくる。頭上にはコウモリだって集まってきている。どうせ連中もおれの血が狙いに違いない。こいつらが束になって、執拗におれの後をついてくるのだから、これはもうたまらない。
まったく。このままじゃおれがスカスカになっちまう。
「退却!」
おれは、もう二度とここには帰ってくるもんか、そう誓った。おれはもう泣きたいよ。でも涙すら連中の餌になっちまうと知っているから、おれは必死で涙をこらえたのだった。




