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まともなやつらは狂人ばかり

 ありとあらゆるものが連中に奪われてしまったが、そのことばかりを考えていたってしょうがない。自らの意志でくれてやったんだ、そういうことにしてしまおう。最初から、おれには必要のなかったものだったんだ。捨てる手間が省けたってものだぜ。

 そんなどうでもいいものどもよりも、もっともっと大きな価値のあるものを、途方もなく価値のあるものを、連中は見逃してしまったというわけだ。いや、見えてはいたが、連中には価値が見出せなかったのだ。所詮、ものの価値のわからない虚ろな節穴の目で、目先だけを藪睨んでいる連中だ。チャートがないとビデオゲームすら楽しめない連中だ。効率よく正解のみを欲し、見事にスカだけを掴み続け、それでじゅうぶん満足している。それでいいなら、それでいい。

 摩天楼の少年からのサイン。そいつを見逃すな、おれはそう忠告してやったが、連中はなんのこっちゃわけわからんちんどもとっちめちん、という顔をしていた。わからんちんどもをとっちめるのは、おれの方だというのに。それでいいのだろうか。まあ、それでいいなら、それでいいのだろう。知らんけど。吠え面をかいてもな。


 メカナメクジが這った後の白い痕跡を丁寧に指でなぞってゆくと、秘密のメッセージがくっきりと浮かび上がってきたのだった。次の雨で流されてしまう、期間限定のメッセージ。そいつをおれによこした謎の機関の意図は、おれには図りかねるが、それでも受け取ってしまったものはしょうがない。

 こんなふうに、おれの元には毎日毎日、色々なメッセージが舞い込んでくるんだ。正直うっとうしい。なんだっておれは変てこなやつらの人気者なんだ。おれは静かに暮らしたいだけだってのに。

「それってビョーキじゃない?」

 パサパサのチキンフリッターをぱくつきながら、桃子は軽く言い放つのだった。これが病気だったらどんなにラクなことか。とにかくおれはなぜだか注目の的なんだ。最近じゃ、どこのどいつの仕業かは知らんが、ツイッター上におれのbotまで作られる始末だ。阿部千代bot。いろいろなヴァリエーションで、クソ野郎クソ野郎くたばりやがれクソ野郎ども、って呟き続けるんだ。ほら、見てみ。あれ? 昨日は確かにあったのに、もうなくなってら。ロビンマスクが癇癪おこしちゃったのかな?

「それってビョーキじゃない?」

 丁寧にマニキュアを塗りながら、菜々子は楽しそうに言うのだった。いや、まあ……そのセンはなきにしもあらずも疑わしきは罰せずってやつだけどさ。そのマニキュアの色、いいね。菜々子ちゃんに似合ってる。キュアマリンって感じ。海より広いあたしの心も、ここらが我慢の限界よ、ってね。

「それってビョークがビョーブにジョーズにジョークで屁をこいた、じゃない?」

 自護体を維持しながら、莉里子は歌うように言うのだった。うん、おもしろいね。でも、下品だ。もうちょっと腰を落とした方がいい。それじゃ簡単にぶん投げられてしまうよ。柔の道も一歩から、母をたずねて三千里、箱根の山は天下の険、函谷關もものならず、そう言うでしょう。


 それから三人のかしまし娘たちは、元気よくそれぞれの道へと散っていった。急激な静寂に部屋が戸惑っているようだった。いや、戸惑っているのはおれだ。部屋のせいにしてはいけない。彼女たちのさえずりの集中砲火を一身にうけていたせいか、耳鳴りがしているような気がする。ピィィィィィン……。

 ビョーキ、か……参ったね。別に参ってはいないが、そう言ってみるのだった。こんなことでいちいち参っていたら、おれとして生きてゆくのは不可能に近い。実際問題、おれはもう生きることに飽きてしまっているのだった。

 素晴らしきこの世界。ああ、おれもそう思う。素晴らしいものだけに目を向ければ、この世は美しく、魅力に満ちている。力強さに溢れ、生命が爆発している。この世界に嘘はない。すべてがリアルだ。なにもかも。参ったね。本当におれは参っているようだった。リアル過ぎる。なにもかもが。待ったが効かない。どこまで行ってもリアルしかない。おれはもう参った。降参。だが降るべきところがない。死ぬまで生きるしか手はないのだった。


 インテリでもないおれが小説を書こうとしていた。そんなおれを、おれが指差して笑っている。

 またなんかやってるよ。性懲りもなく。いくらやったって無駄さ。なにをどうしたって無駄なのさ。なにも知らないくせに、なにもわかっちゃいないくせに、なにも見えていないくせに。まともなプランもなく雪山登山をするようなものさ。耐えられっこないさ。どうせすぐに死ぬさ。明日の朝には死んでいるさ。山を舐めた報いさ。勘違い野郎の末路は悲惨さ。

 だが、摩天楼の少年だけは、おれを庇ってくれるのだった。

 大丈夫。心配はいらない。阿部千代さんの書く文章だ。つまらないわけがないじゃないか。


 そんな言葉が聞こえた気がした。おれはいっつも、気がしてばかりだ。どこまでも気のせいにして進むつもりなのだろうか。しくじったら気のせいだったで誤魔化すのだろうか。

「それってビョーキじゃない?」

 病気ではない。おれは悲しいくらいまともだ。たがを外そうとしたって硬くてびくともしやしないんだ。おれには逃避が許されていない。どうお願いしたって許可が出ないんだ。で、無理に逃げ出そうとするだろう? 一心不乱に逃げ出すだろう? 手足をばたつかせてしゃにむに走るだろう? ようやく逃げおおせた、これで安心ノー問題、なんだい簡単じゃないか、やってみるもんだね何事も、そう思うだろう? でも、ここ、なんだ。此処。おれのいるここにいるんだ。結局、ここでこんな文章を書くハメになっているんだ。なんでなんだろう?

 大丈夫。心配はいらない。阿部千代さんの書く文章だ。つまらないわけがないじゃないか。


 摩天楼の少年の言葉だけを気力の支えにして生きている男がいた。名を阿部千代という。メカナメクジが這った後の白い痕跡を辿って行くと、唐突に痕跡が途切れていた。メカナメクジって飛べるんだっけか。そんな機能はついていないはずだけど、わからないぞ。テクノロジーの進化は予想もつかない。まだ車は空を飛んじゃいないが、ナメクジを飛ばすくらいはもう余裕なのかもしれない。

 おれはなんだか納得した。これもまあ、気のせいと言えば気のせいだ。でもすべては気のせいなんだ。リアルに対抗できるのはこれっきゃない。気のせいを推進力に変換して、先に進むのみだ。ナメクジが飛べる時代だ。おれだって飛べるかもしれないじゃないか。やってみなければわからない。やってみるもんだね何事も。心からそう思える日がくるかもしれないじゃないか。それは今日かもしれないし、昨日だったかもしれないし、明日ということもあり得る話だ。

 世界は広い。おれひとりが遊ぶ余地くらいはあるはずだ。そう信じたい。そう信じなければやってられない。なにしろ酷いことばかりだ。疲れてしまうことばかり。虚しくなったり悲しくなったり、忙しい男なんだよ、おれは。でもおれの書く小説はおもしろい。そんな気がする。そんな気がしてならない。これはもう気のせいのレベルを超えている気がする。

 すべては気のせいさ。地球だって気分で回っているのさ。宇宙は気分で広がっているのさ。すべてが気のせいなら、気分がイイ方が良いに決まっているじゃないか。


 大丈夫。心配はいらない。そのとおり。

 阿部千代さんの書く文章だ。そりゃそうだ。

 つまらないわけがないじゃないか。わかってらっしゃる!

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