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意気地なしども、その慎重な足取りを追え

 アルコールの海に浮かんでいた。熱い空気が鼻から抜けていった。ビシビシひびの入った頭と津波が押し寄せる胃袋と黄色い太陽。すべてはソフトフォーカスの夢の中で進行し、そして気づくと日曜日の夕暮れだった。

 脱ぎ捨てられた抜け殻を集めて一箇所に積む。空きっ腹にジャンクな食物を突っ込む。空になった財布に目ん玉飛び出る。そうしている間に日曜日の夜になっていた。それからここにこうして着席し、おれは今日の文章を書き始めるのだった。


 まだ揺れている。アルコール漬けの赤い心臓からアルコール混じりの血液が全身に循環している。気分はそれほど悪くはない。むしろメチャクチャ良いと言っていい。おれは普段アルコールは一滴もやらないが、こんなに良い気分でここにいることはそうない。身体とは健康とはなんだ。良い気分でいた方が気分がいいわけで、それは普段の身体的に健康な生活よりも宿酔気味の熱っぽさの方が極楽気分でいられるというこの事実の前で、身体とは健康とは一体なんだろうと考えてしまうというわけだ。

 実は冷蔵庫の中にはいつのものかも覚えちゃいないエビスビールが寝転んでいる。おれはいま、ここらでちょっとそいつをやっつけてしまおうかと考えている最中だ。宿酔ボディにビールの直球を投げ込む。昔はそんなことを毎日繰り返していた気がする。なに、ビールなんて水とほぼ変わらん。所詮はチェイサー酒だ。ひと眠り前の酔いを追っかけようか。どこまでも追いかけて、追求してやろうか。そんなことを考えている真っ最中だ。答えはまだ出ていない。酒を飲みたいわけではない。あいつらをやっつけるいい機会なのではないか。今ここ、なのではないか。そのためにおれは今まで生きてきたのではないか。まあなんのためでもどうだっていい。内臓を虐めてやる。普段ラクをしているのだから、たまには思いっきり働いてもらわんと割に合わん。


 人間ってのは本当にごくごく小さいことで悩み続け、ごくごく小さいことで騒いではしゃいで、日に日に小さく削れてゆくのだな、そんなことを実感した夜だった。俳優と呼ばれる人たち。映画監督と呼ばれる人たち。皆さんとてもいい人たち。本当にとってもいい人たち。常識を備え、おちゃめでやんちゃな部分もあわせ持ち、それぞれの生活を抱えている。

 だが。申しわけないが……大変申しわけないのだが、ほとんど全員が雑魚だな、そう思ってしまった。いや、本心から申しわけないと思っているのだけど、おれってやっぱり人間として傑出しているじゃねえか、そんな風に感じてしまった阿部千代はいけない子でしょうか。別にムカついたのならば引っ叩いてくれても構わない。でも誰も殴りかかってきやしなかった。雑魚ども。おれがどれだけおまえたちを挑発したことか。いろいろな実験をさせてもらったことか。結論は出た。あなたたちはいい人たち。とてもいい人たち。でも、ゴメン。おれはあんたらのことをあまり好きにはなれない。ごめんな。阿部千代は悪い子です。

 昔からの知り合いである、七十過ぎの老監督には一冊の書物を薦めてもらった。おまえは絶対にこれを読んだ方がいいと。おまえにはこいつがぴったりだと。この人とはいつだってなぜだか気が合っちまうんだ。

 アウトサイダー。コリン・ウィルソン著。素直に読もうと思う。ちょうどおれもそんな気がしていたところだ。おれはどこにも居場所を見つけられない。どいつもこいつも気に喰わない。いつだっておれは怒っている。うんざりしている。なにもかもにふざけんじゃねえよと思っているけれど、決してふざけているわけではないらしいと気づいて愕然としている。なんてこった。絶望しかない。だが希望はある。おれだ。おれが希望なんだ。


 今夜は人並みに眠ろう。おれはスーパーマンじゃない。どこをとっても人並みか、それ以下か。おれを構成しているパーツに特別なものは使われていない。民生用の量産機。しかもグレードはちょっと下のほう。極薄メッキ加工がなされた安物の合成品だ。

 そんな安物に黄金の精神が宿った。なぜそうなったのかはおれにもわからない。なにしろそのことに気づいてしまったのが最近のことだから。そんなことがあるものかよ。そうおれだって何度も疑ってみたし、いろいろな試練を課してみたりもした。刺激を与えたり、蓋をしてみたり、目を逸らしたりもしてみた。だが黄金の輝きは日に日に増す一方で、おれにはもう手に負えないくらいだ。

 はっきり言っておれはこいつを持て余している。邪魔くさく感じる時だって多い。こんなものさえなければ、おれだってそこらの連中のように気楽にせこせこ生きてゆくことができるのに。そう思ったことだっていくらでもあります。だってこんなものに宿られたって良いことなんてなにもない。黄金のくせに金にならん。と言うかこの黄金の輝き、どうもおれにしか見えないものらしい。なんだそりゃ。ふざけんなよ。ただの貧乏クジじゃないか。

 おれはよくそこらの連中を雑魚どもめと酷い物言いをするが、生きていて楽しいのは雑魚の方に決まっている。雑魚は雑魚に生まれついた幸運にもっと感謝した方がいい。絶対にそっち側の方がラクですから。楽しく過ごせます。おれが保証します。だってあんたら楽しそうだもん。羨ましいよ。羨望というほどでもなく、もちろん嫉妬などするはずもなく、是非ともこちら側においでくださいませませと言われてもごめん被るけれども、それでもやっぱり羨ましいよ。普通が一番。なにより一番なのです。


 さあて、おれはどうしたものか。今までだってこれからだって、おれはいつでもなにもわからない。わかっているのは、これだけ。おれには黄金の精神が宿ってしまっているということだけ。こんなもの呪い以外のなにものでもないのだが。本当にどうしてこんなことになってしまったのか。なぜおれがこんな目に遭わないといけないのか。考えたってわけがわからない。

 おれが童貞を捧げた高円寺南三丁目のラブホテル、ホテル・モアが潰れていた。でも前もそのことに気づいていたような気がする。とっくの昔にホテル・モアは潰れていて、おれはそのことを前から知っていたようなそんな記憶がぼんやりと。

 あのころおれは三人連続で麻美という名前の女と恋をしたのだった。そのあとは二人連続で瞳という名前の女。それからはバラバラ。この名前の連続にはなんの意味もないけれど、それでもたまにおれはそのことについて考える。連続という偶然。断絶している連続。連綿と続いている、おれという存在。確かに手元にあった色々なこと。今ではもう、本当にあったことかどうかもあやふやな、だけども確かにあったはずの出来事の数々。すべてを手放してしまって、それでもおれはここにいて、こうして文章を書いているのだった。

 意味も理由もわからずに、ただ怒っていた。怒り続けていた。おれもそろそろ大人になって、ようやくこの怒りも治まってきたかな、そう思った時期もあったけど、おれが甘かった。怒りの炎はおれのあずかり知らぬところでブスブスと熱を発し続けていて、それでここにきてまた盛大に燃え上がったのだった。

 おれはいつかよりもほんの少し大人になったので、この獰猛な炎を多少は飼い慣らせるようになった。闇の中で炎の残像で描く一瞬で消える絵を前よりは上手に描けるようになった。その絵を見て、ちょっと綺麗だな、そんな風に思える余裕も出てきた。

 それでもいつかはきっと、この炎はおれを呑み込むだろう。炎に巻かれて、おれは消し炭になってしまうのだろう。そうだ。おれはいまも怒り狂っている。ふざけるな。くたばりやがれ。ファック・ユー・フォーエヴァー。

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