気の狂った火の玉が交差点を抜けてった
文章を書きなさいと言う自分の声がおれには聞こえる。それはまったくの耳障りなノイズだらけのこの世界において、真に音と呼べる音であり、芯にまで届くその声にその音におれは従わざるを得ない……そんな気にされてしまうのだった。
そしてこうしてまたもや懲りずにおれは今日もコンピューターと向かい合っている。まったく普通じゃありませんね、そんな声だっておれには聞こえる。まったくだ。おれもそう思う。どうしておれはこんなことをしているのか。そんなことは誰にもわからない。好きだとか嫌いだとか普通だとかそういうことではないのは確かだ。おもしろいとかつまらないとか普通だとかそういうことでもないのだけれど、きっと誰も信じてくれやしないだろう。
なにを書けばいいのかわからないまま文章を書き続けるのだった。ひょっとしたらいつかこの行為が狂気の閾を越えてしまうかもしれないが、そんなことはもうどうでもいい。なにかを必要以上に恐れる時期はもう過ぎ去ったのだ。すべては過ぎ去ったのだった。おれはもうなにも気にしない。それでも気にすることが新たに次から次へと浮かんでは消えるのだろうが、それはもう生きる者の宿命であり、生きることの代償なのだ。死ぬまで付き纏う、あるいは死んでも付き纏うさだめに従う以外の文章の書き方をおれは忘れてしまった。
文章を書きなさい。はい、そうします。
単純におれは少年にこう言ってあげたかった。頑張ったね、辛かったね。そんな言葉は気休め以外のなにものでもなかったが、気休めになるかどうかも怪しかったが、おれの知っている少年ならばそんな言葉こそを求めていたのだった。ただそれだけを認めて欲しかったはずなのだった。
彼は優等生でも素直な良い子でもなかったし、どちらかというと非行の芽が芽吹き始めているような暗い目つきの少年だった。なにもかもが憎くて憎くてたまらなかったが、破壊の鉄槌を振り下ろすことはどうしてもできないでいた。自分こそが世界最下位、世界で一番みじめで情けない存在、そんな自分の衝動をどこかにぶつけたとしたって、なにかが変わるとは思えないし、なにかが変わって欲しいとも思えないし、なにかが変わったとしてもどうせ悪い方向に自分だけが変わるだけだし、自分が悲しく辛くみじめな思いをするだけのこと。それはやっぱり今となにも変わらないし、どこまで行っても辛く苦しい日々に終わりがくることはないのであって、自分だけがいつだって仲間はずれ、それはみんなが意図していることではなくて、むしろみんなはいいやつらばっかりで、自分だってその仲間に是非とも入ってみたいけれど、それなのになにかが確実に自分とみんなの間に隔たっているのだった。
そのなにかがなんなのかはとうとうわからなかったけど、それは自分の意思とは、みんなの意思とはなんにも関係なくって、記憶の前のずっと前、自分が自分になるそのずっと前から決められていたことのような気がしてならなくって、それでもう、自分は自分でなくなりたい、ただそう願うのだった。変わるとしたら、そこだ。自分が自分でなくなることをただ望むのだった。そこが変わらない限り、なにも変わらない。
だがおれは少年に気づいて欲しいのだった。少年はそれでいいのであって、少年は自分を認めてあげるべきなのだ。まったく普通のことなんだ。とても健全に、とても美しく、少年は育っているのだ。
なぜ、周りの大人たちは、少年にそう言ってあげなかったのだろう? それは謎だ。あまりにも残酷な謎だ。
そして少年は塔の屋上に上ったのだった。風の中、すべては風の中、一瞬のうちに起こるのだった。その時から、少年は年を取ることをやめた。引力に引き寄せられ続けることをやめた。世界は逆さまになり、ぐるぐると回った。すべては風の中、吹きすさぶ風の音の中、一瞬の出来事だった。一瞬のその時から、少年は摩天楼の少年になったのだった。
きみにどのような不運や不幸があったのかは知るよしもない。性にまつわる不運、力にまつわる不幸、死にまつわる不運、理由のわからない不幸、そのようなものがきみに襲いかかったのかもしれない。なにもかもありふれたことだ、そう言って嗤うやつらがいたのかもしれない。
世界がとてつもなく悪趣味な冗談だと気づいてしまうのだった。なにもかもが冗談だ。大仰に崇め奉っているものも、後生大事に守ろうとしているものも、信じるべきことだと信じているものも……。なにもかもすべてが馬鹿げていて、なにも救いにはならない。そこで目を逸らし嗤うのか、それでもまだ踏みとどまるのか。それはきみの自由だ。なにしろ自由だ。どう振る舞おうが好きにすればいい。おれはもう疲れてしまった。まったくの話、もう立ち上がることすら億劫なんだ。戦う理由がなにもない。それでも戦わなければならないのか。ひどい話じゃないか。この喜劇の観客はいったいどこのどいつなんだ。さぞかし笑える人気の見世物なのだろう。だって一向に悪い冗談は止まらない。真面目な顔した連中が抜かす桁外れに馬鹿らしい冗談が日々を駆け抜けてゆく……。これはいったいなんなんだ? あまりにもたちが悪い。底抜けにたちが悪すぎる。
だからこうしてまたもや懲りずにおれは今日もコンピューターと向かい合っている。おれの書く文章の方がよっぽど笑える冗談だと証明してやろうとしている。万に一つの勝ち目もないことは理解している。おれの感性はそこまでグロテスクなことに耐えられるようにはできていない。なにしろこの世はあまりにも法外で桁外れだ。ダイナミックでグルーヴィであると同時に、貧相でシケている深層を隠そうともしないバケモノが綴る物語に立ち向かおうなど、まさに狂気の沙汰だろうにねえ。
無意味さに耐えなければならない。耐え続けなければならない。それがおれに課されたミッションであるならばコンプリートを目指すのみだ。無意味に挑む無意味さの渦に巻かれて込まれて、最後はぷつん、弾けて潰れて遠心力で飛んでゆくことを恐れていてはなにもできやしない。
なにも恐れる必要はない。なにかを必要以上に恐れる時期はとうに過ぎ去っているのだった。そのことに気づいているかいないかで結果は大きく変わると言ってもいいだろう。すべては過ぎ去るのだ。なにも残さず、なにも顧みず、後のことは知らん顔で、のしのしと大股で過ぎてゆくのだった。残されたおれたちのことなど、なにもかも。
さあ、準備はできているだろうか。おれはもう準備バッチリだ。先走ってフライングをかましているくらいだが、少しくらいのルール違反は構いやしないさ。なんせ長丁場だ。これ以上ないってくらいに長い人生だよ。だってまだ一度も終わったことがないのだから。いまだに続いているのだから。こんな長いの、おれは経験したことがないよ。まったくもう参ってしまう。いつまでこんなことをおれにさせるつもりなんだ。おれを誰だと思ってやがるんだ。誰なんだ? 世の中には知らなくたっていいことだってあるんだぜ、ボーイ。
おっと、おれに触らないでくれ。誰と間違えているかはしらんが、おれを誰だと思っているんだ。だから、誰なんだよ? ヒュウ。じゃあきみにだけは教えてあげよう、ボーイ。今回だけ特別だからな、周りに言い触らしたりするんじゃないぞ。
おれは、阿部千代・アンタッチャブル。おれのスピードには誰もついてこれやしない。おれを追いかけようとしたって、ぐるぐる目を回すのがオチさ。誰もおれに触れやしないんだ。おれは阿部千代・アンタッチャブル。だから、触るなって言ってるだろうが、クソガキ。いったいおれを誰だと思っているんだ?




