坂道を後ろ向きで下ってゆく
午前中に鳴る電話は地獄への招待状だ。だから鳴りっぱなしにしておく。しばらく鳴って、止んだ。いいぞ。これでまたおれは落ち着いた気分でいられる。いまのおれに本気の用事があるやつなどいるものか。
明日にはおれは広島だ。ああ、もちろん面倒だぜ。面倒でたまらん。新幹線の中で五時間もの間、なにをするでもなくじっとしていなければならない。地図アプリを開いて、車窓からの風景と地図を見比べて、ものすごい速さで自分のアイコンが移動しているのを見たりする遊びもそろそろ飽きた。それでも、サガエメで遊ぶのはなんだか勿体ない気もするし、それに酔ってしまう。みるみる悪くなってゆく気分と、激しい頭痛に耐えてまでゲームで遊びたくないし、それにサガエメにだって失礼だろう。
いいかい。サガエメは紛れもない傑作なんだ。こういったタイトルを原語で遊べることこそが、唯一日本に生まれてよかったと思えることなんだよ。その他のことは端的に言ってクソだ。日本なんてクソだよ。ダサい。センスない。カッコ悪い。じゃあどこならいいの? どこだって嫌だよ。どこで生まれたって、おれはそこを呪い続けるんだよ。だって、どの国でも現代のパトリオットってダサいじゃん。頭カラッポじゃん。どいつもこいつも間抜けなツラをしているじゃん。嫌だよ。あんな連中の仲間になんて死んでもなりたくない。国益がどうのこうの。ハァ? どの立場からもの言ってるんだテメェーは。そんな妄想じみた戯言よりも、おまえが垂れっぱなしにしている足下のクソを片付けたらどうなんだ。
サガエメからこんな話に。どうしたというのか。まあいい、思いのままに書き連ねてゆけばいい。いったい誰が構うというんだ?
誰も何も構いやしない。誰も何も困りもしない。おれだってもう飽き飽きだ。文章。小説。詩。あるいは死。こんなゲームにくたびれてきた。元気が失せてきた。いつまでこんなことをやり続けるつもりなんだ。同じようなことを延々と書き続けて、その先に何が。そんなこと知るものか。そもそも何もかもわかっているのならば、こんな文章を書いていやしない。
いいか。驚くなよ。おれはこの半年間でこんな文章を五十万字以上書き続けているんだ。金銭的な報酬も気分的な報酬も一切無しでだ。その間おれがどれだけ悩んで迷って苦しんできたことか。本当にふざけるなよって話なんだよ。おれが禿げてしまったらどう責任をとるつもりなんだ。運動不足や肥満は解消できるが、一度失ったものは二度と戻ってこない。たとえ戻るとしても恐ろしいほど長い時間が必要なはずだ。あの頃の諫早湾を返せ。そう叫んだって、もう無駄なんだ。
そしてみんな忘れていっちまう。驚くほど短い時間で忘れていっちまう。馬鹿なのか? そう思ってしまうほどだ。まあ結局はなんだってどうだっていいのだろう。なにもかも消費してゆくだけだ。便所の水のように流れ去ってゆくだけだ。目につくことがなくなればもう綺麗だ。一件落着だ。下水道の中のことなど、誰が興味を持つというんだ?
おれだって臭いのと汚いのだけは勘弁だ。いや、本当は何だって勘弁なんだ。なにもしたくない。
「阿部、進路はなにか考えているのか?」
「いや、なにも」
「でもそろそろなにか考えんとな」
「そう言われましても」
「ご両親とはそういう話はしないのか」
「まあ、なにかしろとは言われているけど」
「おまえはどうしたいんだ」
「どうしたいと言われてもな……どうもしたくないじゃ駄目なの?」
「ううん……それじゃ困ってしまうな」
「困っているのはこっちなんだよな。約束は果たした。あとは適当にやるだけだよ」
「約束?」
「うん、高校だけは行ってくれって。言う通りにしてやったんだから、もうどうでも良くないっすか?」
実際にこのようなやり取りがあったかどうかはわからない。響けユーフォニアム3を観ていて進路指導の場面があったので、ちょっと思いを馳せただけだ。というか、おれは進路指導なんて受けたことがあったのだろうか。まったく記憶にない。進路で悩むって経験をしたこともない。適当に生きてりゃなんとかなるだろうし、ならなきゃならないでどうにかするだけだし、どうしてもどうにもならなかった場合は死ねばいい。そんな風に考えていた気がする。部活ってものを頑張ったこともないから、先生の言葉に部員みんなで声を揃えて「ハイッ!」って威勢よく返事するのをみると、うわ気持ち悪ぃ、と思う。あ、響けユーフォニアム3の話ね。もう青春っていうよりも、中間管理職はツラいよって感じの世知辛い話に見えるよ。吹奏楽部部長ってあんな感じなのかね。嫌な世界だ。部活っていうシステムの気持ち悪さを浮き彫りにしている。まるで全体主義養成機関だ。黒沢ともよさんの声は相変わらず素晴らしいですけれども。
しかしオープニングの桜舞い散る中での膝枕シーン、あれはどうなんだ。友だち同士でしないだろう、そんなこと。恋人同士だってしないよ。なにがどうなったらそういうことになるんだ。
おれたち人間はあと三日で消えてしまうかもしれないし、あと千年は持つかもしれない。どっちもあり得ないかもしれない。その間のどこかがリアルな線だ。ま、こんなことを予想してみたってしょうがない。的中したってご褒美があるわけでもない。それよりもあんたはどうするつもりなんだ。
どうする、どうしたい。なんでみんなこういう言い方をするのだろう。どうもしたくはない、そう何度も正直に答えているのに、それは答えではないってそう言うんだ。本心以外の答えがあるのなら、先に教えておいてくれよ。もしくは、もうおれにその手の質問をしないでくれ。きみらが納得のゆく答えを導き出せそうにない。
こう毎日文章を書いていると世の中からどんどん遠ざかっているような気がしてくる。浮世離れしているって昔はよく言われた。いまはもう言われもしない。だってほとんど人と会っていないから。まるであの世にいるようだ。死んだことはないけれど、他人からしたら死んだようなものだ。やっぱり文章を書くっていうのは危ない遊びだ。抜け出せなくなってしまう。文章領域でしかものを考えられなくなってゆく。その他のことはほとんどがどうでもよくなる。こういうのってやっぱり文章っていうか小説特有の断絶感だよなと思いますよ。音楽とかマンガとか絵とかではこうはなるまい。世の中となんとか折り合いをつけられる、つけなければいけない表現方法と、つけなくてもいい表現方法がある。文章、文筆なんてものは別に世の中と折り合わなくたってぜんぜん大丈夫だからね。社会不適合者の吹き溜まりだ。でも社会に適合出来ているやつなんてイカレ野郎しかいない。ほとんどの人が必死になんとかついていってるという感じだろう。みんな辛そうだもん。そういう負のヴァイブスがおれみたいなやつの社会進出の妨げになっているんだ。本当に面倒なことばかりだ。挨拶したり謝ったりとか、帰りたくても帰れなかったりとか。挨拶の声が小さいとか指摘されると殺したくなるもんな。そんなもんどうでもいいだろうが。耳元でトラメガ構えて、ハウリング混じりの挨拶を喰らわせてやりたいね。おれのトラメガ好きは異常。阿部千代の愛読者の中にはそう思った方もいらっしゃるかもしれません。これは遠藤ミチロウさんの影響ですね。ザ・スターリン。知っていますか。超有名ですよ。吐き気がするほどロマンチックなんです。お母さん、いい加減あなたの顔を忘れてしまったのでした。ちゃんちゃん。




