どぶの中から勢いよくこんにちは
おれの文章を苦しめていたのは何か。その正体を知ったとき、おれは思わずにやけてしまった。なにげなく書いた言葉、おれはちょっと本気を出す……自らが吐いたこの一言で、おれは自縄自縛の状態に陥ってしまって、自爆寸前まで追い詰められていたというわけだ。
おれの本気とは? おれがいままで本気を出していなかったとでも? おれは、おれが本気を出して書くべきことを探そうとして、自分自身さえも見失ってしまった。とても笑える話だと思う。
結局のところ、おれは二時間ちょっとで三千字の文章を書くだけであって、その中で何かをやろうとか、こんなものを書こうとか、そういう余計なことを考え出す前に書き終わっている文章を書くだけであって、自分で言うのもなんだが、それこそがおれの美学なわけで、自分の美学に反することをやろうとすることは、自分自身を虐待していることに他ならず、そんなことをこのおれが許すわけがないのであった。
のたうちまわって苦しんでいるおれを、摩天楼の少年はどんな表情で見ていたのだろうか。そこらの連中ならまだしも、まさかこのおれがこんな見え見えの罠に嵌まってしまうなんて想像もしていなかったんじゃないのかい。阿部千代ならこんな罠は簡単に抜け出せるだろうからなにも心配はいらないって? それともあれかな。阿部千代もそこらの連中もなにも変わりゃしない、そう思っていたかな。
でも見てくれよ。おれはこの通り、ぴんぴんしてる。ちょっとだけコースアウト、でもこれくらいのタイムロスなら余裕で挽回できる。おれはぜんぶ自力でなんとかしてしまう。永遠に思えるスランプ、底なしのスワンプなどは、鍛え上げた文章作成筋肉で強引に飛び出してしまうんだ。誰にかはわからないけれど、ざまあみろ、そう言いたいね。
アチョオーと勢いつけてステーキ肉をフォークで滅多刺しにする。塩胡椒して、薄く切ったニンニクと一緒にバターで焼く。肉の表面に血が浮いてきたらひっくり返そう。適当に火が通ったら肉を皿に、フライパンには適当に余っている洋酒、ブランデーでもワインでもなんでもいいのさ、適当な量を注いでアルコールが飛んだかなと思ったら醤油を適当に入れて、少し煮詰めればステーキソースになるんだ。なんでかはわからないが、なっちまうのだからしょうがない。考えている時間などない。迅速に行動しなければ肉が冷めてしまう。おれは別に冷めた料理でも構いやしないが、やっぱりほら、熱々の状態で食べて欲しいじゃないですか。
それにしても牛肉の値段には驚くばかりだ。そしてオリーヴオイル、おれはいつもボスコのエクストラバージンを使っているのだが、オリーヴの不作により大きいボトルがスーパーの棚から消えた。仕方がないから中瓶を購入したが、そのうちこいつも消えてしまうに違いない。ヨーロッパではトマトも不作だったらしく、缶のホールトマトも姿を消しつつある。なんというか、ヤバいねって感じだ。もう色々とヤバいねっていう。異常気象、戦争、不景気、物価高。人類が追い込まれているのかは知らないが、おれは確実にじりじりと追い詰められている。どうなりますかね、食糧事情。なんかヤバそうな雰囲気が蔓延していて逆にワクワクしてきた。
リアル・ワールドは意外に厳しい。厳しいというか寂しいというかさもしいというか、まあ全部ひっくるめて厳しいわけだが、それでも気楽に適当にやっていきたい。たまにはステーキも食いたい。いや本当に躊躇してしまうくらいの値がついているが、煙草を一週間我慢したと思えば大したことはない。実際に我慢はしないのだが。
それでも昼下がりに買い物に出掛ければ、陽光は眩しく、風は穏やか、子どもたちは元気いっぱいながらも信号をちゃんと守っている。偉い。そうだ。自分の身は自分で守らなければな。友だちのことも守ってあげなくちゃな。この天使たちの群れのどれだけがこれからクソ野郎に変わってゆくのかな。きっとほとんど全員。リアル・ワールドは意外と厳しいんだ。つるまなければやってられない部分が確かにある。それでもおれはやっぱりつるみたくない。群れたくはない。粋がるのであればたったひとりで。それがルールだ。だが悲しいかな、そのルールが守られることは滅多にない。真女神転生Ⅲでムスビのコトワリを迷わず選ぶやつはそう多くないということだ。確かに勇のやつはなにもかもが中途半端だった。ノアは勇ではなく、おれを見出すべきだったんだ。
だがコトワリなどは存在しないので、おれだって他人と一緒に暮らしている。お互いがかなりのワガママだからだろうか、喧嘩もしたことがない。おれは最初っから我慢しないし、相手に我慢もさせない。それがコツだ。しかしそれは子どもがいないからできることだろう。もちろんそうだ。子どもなあ。おれの両親ですら自分の子どもをこさえたんだ。そんな時代が確かにあった。でもそんな時代はとっくに過ぎ去っていた。悲しく思うことはない。そういうもんなんだ。
摩天楼の少年は休憩中。今日の文章はおれの魂のデトックスのようなものだ。だがデトックスという言葉を出すと、途端に胡散臭くなるのはどうしたことだろう。デトックスという言葉から、自然食、オーガニック崇拝からスピリチュアル、そこから陰謀論へ、という一本のラインが浮かび上がるからだ。
確かにオーガニックもスピリチュアルも見るべきところはあるにはあるだろう。だがあらゆるカルトとの親和性が高いがゆえに、極端に嵌まってしまうと変な連中に踊らされてしまう可能性が高い。まあ、でも好きにしたらいい。アホはフェイクの食い物にされる運命だ。そしてそれぞれの現実に迷い込み、二度と出ることのできないやつもいるし、あっさりと脱出するやつもいる。好きにすればいいんだ。おれをワンネスの中に巻き込まないでくれさえすれば、なんだっていい。
おれはカルトに誘われたことがない。池袋で手相を見させてくれませんか? そう誰彼構わず声をかけていたやつもおれの手相は見たくなかったらしい。なんでだ。おれはそいつの近くに立って待っていたのに。見ろよ、手相を。変なアンケートの協力だってお願いされないし、マルチに嵌まっていたバイトの同僚も決しておれを誘いはしなかった。なんでだ。そういう出来事ひとつひとつに、人知れずすこしだけ傷ついていたおれの心。誰にもなにも誘われやしないんだ。もちろん誘われたって断るし、場合によっては怒ったりするかもしれないけど、やっぱり仲間はずれにされているみたいで気分が悪いぜ。
まあこんなしょうもないことを書いてもしょうがないのだが、やっぱりいきなり絶好調というわけにはいかないので、リハビリは必要なのだった。楽しいリハビリなんていうものは存在しないよ。退屈で苦しいのがリハビリってやつだ。そう自分に言い聞かせながら、書き進めていた。なんだかしっくりこない。まったくおもしろくない。だがそれでいい。作られたおもしろさよりも、生のつまらなさの方がおれは好きだ。そのうち調子も戻るだろうさ。それまで退屈を打ち続けるだけだ。自棄を起こさないことだ。おれを信じることだ。大丈夫だ。摩天楼の少年だってそう言ってくれた。そうだ。少年を信じることだ。少年の飛び回る姿を、少年と太陽が重なるその瞬間を。フェイクだらけのリアル・ワールドにはさっさと見切りをつけて、こっちにおいでよ。文章領域においでよ。魂のドレスコードは存在するけれど、阿部千代の文章を読んでいるきみなら余裕でパスできるはずさ。




