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踵を打ちつけ火花を飛ばす

 よよよしえさんのエレキギターの音がカッコいいのはもちろんなんだけど、コーラスの声も癖になってきた。うーん。すっかりファンになってしまった。ライヴに行こう。なんておれが思うこと自体が異常な事態だということを誰もわかってはくれないのだった。

 はっきり言うが、大人も子どもも何もわかっちゃくれない。家族も友人も自分自身でさえも、何ひとつとしてわかりゃしないのだから、うーん……わかんない! と可愛く言いつつ、それでも何かをわかろうとするローラさんの美しさはおれの胸を打つんだ。なにもわからないくせに、わかったような口を利く馬鹿にはなにもわからないのであろうがな。

 まあ、なにもおれだってローラさんについて、特別詳しくわかっているわけではない。たぶんあなたよりもローラさんのことをわかっていないと思われる。それでもだ。インケツどもに尻尾を振ることが心底嫌になったのであろうその気持ちはなんとなくわかってしまう。

 インケツ野郎。クソ雑魚。凡庸な悪。呼び方などはなんでもいい。おれが繰り返し繰り返し訴えているのは、そういう連中がこの世の不幸を生み出すエネルギー源であり、自覚なき害獣であり、人類の癌細胞であり、こいつらを一刻も早く駆逐しなければ人類は滅亡に向かって加速し続ける。そういうことなのである。駆逐と言っても、皆殺しにせよ、みたいな物騒なことではないですよ。世の中の流れを変えればいいだけだ。連中の自我は極めて弱いので、おそらくは最初っから自分はそう考えていましたけどみたいなツラをして、超簡単に時々の世の中に迎合してくれるに違いない。理屈ではそうなる。と思うんだけど、所詮はこんなもの夢物語ですよ。世の中の流れを変えればいいだけ、なんて簡単に言うなよ。流れを変えようがなにしようがどうせ腐るんだ。インケツどもがインケツ精神のままでいる限りはなにも変わりゃしないよ。むしろもっと酷くなるかもしれない。

 自分でもなにを書いているのかよくわからなくなってきたが、とにかく状況は絶望的だということだ。ずる賢い悪と、自分を善良だと思い込んでいる馬鹿が、がっちりと手を組んでいるんだ。これはもう最強タッグだよ。相性バツグン。こんな状況を覆せるわけがない。ディストピアなんてとっくの昔に出来上がっていたんだ。暴力革命? 馬鹿言っちゃいけねえよ。おれたちの手には、もう暴力なんて残っちゃいない。ぜんぶ取り上げられちまった。なにもかもむしり取られた。ハゲ山のハゲタカがわたしをすこし齧ったので、ハッシッシ、ハッシッシ、ハッシッシをあげたのさ~ん。


 そして何事もなかったかのように、おれは書き進めるのだった。今となってはこれくらいしかやることがない。おれの仕事は書くことだ。それ以外の生命活動は遊びだ。食わせ者やクソッタレ野郎におれがしてやられたとしても、そんなのは実際大したことじゃない。おれは夢と幻想と現実と、あともうひとつ、おれの青臭い妄想……それらをごちゃ混ぜにして、サイコロの出目に従って、ただ書きつける。それさえ出来ていればおれは絶好調さ。それ以外のことなんてまったく大したことじゃないんだ。愚かな自分自身、捉えどころのない、本当に存在するのかどうかもわからないこいつを、いつか捕まえてやる。それからこいつが本来いるべき場所へと、そっと離してやるんだ。ここではない。おれがいるべきところは絶対にここではない。でも大丈夫。今のところはいい感じだ。逸脱したり戻ったり、そいつを繰り返してさえいれば、おれはご機嫌なんだ。

 もちろん作為的な文章を書くのだって素敵なことだ。でも突発的な文章を書くのは、おれの中ではもっと素敵なことなんだ。他の人からしたら出鱈目に書いているように思えるのかな。そんなことはないんだよ。むしろ出鱈目に書ける方法があるのなら教えてほしいくらいだ。こういう文章を書くには、ちょっと特殊な精神状態に持っていかなければいけないのであって、意識を少し後ろに押し出すという感じ。わかるかな? わからないだろうが、おれは自分勝手に書き進める。口をぽかんとあけて、よだれを垂らしているような状態、ぼけーっとなにも考えずに呆けているような状態、それよりは自意識を覚醒させるけど、完全に身体と一致させない、みたいな。わかりますか? わかりませんね。わかります。

 鳥を見るやつにはわかると思う。鳥を探す時って、自分の目のピントを一点に合わせずに視界全体を均等に視るじゃないですか。ステレオグラムを立体視する直前の感じが近いんだけど、そういう見方を意識に置き換えてくださいよ。そういう感じ。そういう感じでおれは文章を書いているわけなのですが、しかしたとえば今日の文章の最初の方なんかは、むしろおれの自意識バリバリで書いているわけで、こういうのはちょっとおれからすると恥ずかしいし、なんか嫌だね。書いていてどんどん嫌になってくる。自分も他人もこの世界もすべてが嫌になってくる。そこで見方を変えるわけですよ。意識を使った立体視。自意識八割、無意識二割。この状態で文章を書いていれば、おれは絶好調だし、みんなハッピーで、世界は平和に包まれるのだった。


 文末表現を「だった。」にすると、途端に小説っぽくなってしまうというおれの大発見。でもこいつはおれだけの感覚なのかもしれない。だがこの文章を読んでいる人には覚えていてほしい。~だった。そうおれが書いていれば、それはおれがまだ小説を書こうという意志があるということなのだと。

 別に読んでいる方には関係のない話と言えばそれはそうなのだけれど、でも読んでいる時点でまったくの無関係とは言えないと思うのです。つまりは私とあなたは共犯関係にあるとも言えるわけで、もちろん主犯はおれではあるけど、あなたにもその責任の一端はあるという自覚は持っていてほしい。

 結局のところはおれも不安でしょうがないということだ。どういう意味なのかは説明するのも面倒なので端折ってしまうが、つまりはそういうことなのだった。この不安を払拭するために、おれはもういっそ小説を書く機械になりたいと願っている。だがやはり生き物は生き物。構造もあり仕組みもあるのだが、機械とは一線を画す存在である。少なくとも、この時代においては。

 今日は書けた。曲がりなりにも書くことができた。だが明日の保証はどこにもない。明日のことなど知ったことではないが、いつだって明日は気がかりな存在であり、幻の中にあるのみである。明日はいつまで経ってもきてくれない。ただここに、今があるだけだ。文字が打たれ、そこに意味を灯そうとする。この不毛な作業に取り憑かれてしまったおれは、少年だけを心の支えにして、ひたすらに書き進め、とりあえずは安堵のため息をつく。少年とはもちろん摩天楼の少年のことであり、彼は今日も楽しそうに飛び回っているはずだ。


 摩天楼の少年からのサインを見逃すな。自分でそう書いておきながら、おれはだいぶサインを見逃しているような気がする。だがおれが見逃したサインは必ずどこかの誰かがキャッチしている。おれだけでもそう信じてみよう。信じるということは、現実にするということだ。個人にとっての現実。おれのそれが、間違いだらけであることは間違いのないところだ。それでもだ。致命的な間違いは決して犯していないと、そう信じる以外になにができると言うのか。なにも信じられなくなってしまったら、そいつはもう存在を殺す以外の道はなくなってしまう。そんな悲劇はここいらではありふれたものだ。悲劇とすら認識されない。悲劇が悲劇ですらなくなること以上の悲劇をおれは知らない。

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